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私はオタクになれない。

私は漫画が好きだ。

小さい頃から(なんなら今でも)、登場人物たちは私の憧れで、いつかは彼らのようにかっこよく、優しく、賢く、活躍したいと思っていた。

登場人物が好きな本があれば読んでみたし(そして挫折もした笑)、体の一部に模様が出ていたらマジックペンで実際に描いてみたし、修行して強くなるなら見様見真似で試したりもした。(修行もキツくてすぐ挫折したけど笑)

挫折したらその時は、「あー、やっぱあの人たちはすごいわ」と憧れの気持ちを増幅させた。

小学校低学年まではアニメを見るにとどめていたけど、高学年になるとお小遣いや誕生日プレゼントを駆使して、好きな漫画を全巻揃えようと必死になった。(巻数が多くて一度には買ってもらえなかった。)

同時にその頃から、関連グッズを買うようにもなった。

学校の友達にも漫画以外に、アイドルが好きな子やスポーツが好きな子が多く、好きならグッズを買うという文化が徐々にできてきた。

中学高校と熱は冷めず、新しいグッズを見つけては買う、限定と聞けば予約して注文するなんてこともするようになった。

でも、結局買ったグッズたちは買っただけで満足してしまって、家に持ち帰って開封したら、しまったり飾ったりして、それきり。年に何度かは見返すかもしれないけど、それも、掃除してて見つけたとか、探し物しててたまたま、なんていう受動的なものだった。

グッズって買う意味あるのだろうか?

そんな気持ちを自分が抱いていることに気がついた。

だけどなんとなく、その作品のファンなら「グッズは買って当然」と思っていた。周りのアイドルが好きな友達はコンサートが近づくたびに金欠といってうちわやペンライトやタオルを買っていたし、アニメが好きな友達の部屋はたくさんのポスターやぬいぐるみやフィギュアでいっぱいだった。

テレビやネット上には「熱狂的なファン」なる人たちの、グッズで埋め尽くされた部屋の写真が出ていたし、どこかで、好きならグッズ買わないといけないと感じ取っていた。

でも、グッズって義務感で買うものじゃないし、お金は大事だ。自分に合った好きの姿勢を保てばいいのではないだろうか。

最近気づいたのだけど、私は、その作品に物質的に囲まれていたいのではなくて、その作品の世界を自分に取り込みたいと思っているようだ。憧れの登場人物の考え方、能力、知識、作者の意図、描かれている世界の時代背景も含めて自分の心の一部として吸収して、そして、現実世界を過ごしたいのだと思う。

自分の中の物質的欲求をいくら満たそうとしても、なんか満たされない感がある。

私が満たされた感覚を得るのは、現実世界と作品世界の共通点を見出した時だと思う。「あ、この建物はあの話のあれに似ているな」「この状況って、あの事件と似ているな」とか。そこから、登場人物たちの体験を追体験できる感覚が、楽しいのだと思う。

もちろん、気に入ったグッズがあれば変えば良いと思う。グッズの存在を否定するつもりは毛頭ない。好きな作品のグッズは日常生活に彩りを加えてくれるだろう。

しかし、なんとなく「好きだから買わなければいけない」という気がしているだけなら、無理しなくて良いのだと思う。

自分のペースで自分の「好き」を育てていけば良いのだ。

「缶ジュース奢ってやるか」くらいの気持ちでぜひ!