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開かれの法則とは

 自分の人生がおもしろくなっていく予感の波がひたひたと満ちてきているのを感じる今日この頃。これまでの人生がおもしろくなかったというわけではなく、人生の危機というようなものも何度か経験しているけど、結果、恵まれているなというところに落ち着く…そんな自分の人生が我ながらおもしろい。

 子どもの頃から「こんな風に生きたい!」とつよく願ったことなどほとんどない。大志を抱け!と自分に喝を入れながらも、夢を聞かれても答えられないような思春期だったし、まあ流されて生きてきたに近い人生だと思う。

 ああ、ただ2年半前に本を出版した時だけは何かに突き動かされるように、情熱を燃やしていたなぁと思う。自分の使命?のようなものを感じて。で、そんな時でさえ、情熱の炎の最初の点火は偶然というか、まあ道に落ちているものを拾うくらいの些細な行為の中にあって、後々、それが何年にもわたって走る機関車の種火になるなんて、思いもしなかった。

 私はその時、落ちていたものをスルーしなかった。ただそれだけなんだよね。ああ、もちろんこれは比喩であって、本当に道で拾ったわけではないんだけど(笑)。

 私の持っている国家資格も別の学科目的で出かけた学校説明会で「へえ、そんな資格もあるんだ」となって選んだもので、「〇〇になりたい!だって△△なんだもん!」という明確な理由などなかった。のに、結果、30年も続けることになるとは。

 そんな感じで、情熱の種火ってどこに落ちているのか分からないよねという話。

 最近の私の種火はFacebookの中にある。ひとに話すと「え?本当?」って驚かれるんだけど(笑)。実は本名アカウントが苦手なので、私はほとんどのSNSが本名ではない。でも、Facebookって本名ベースなので、仕方なく本名でアカウントを取った。なぜかというと、好きなアーティストやお店の情報がほしいから。単純明快。いわゆるロム専だ(←死語。昔、掲示板サイトで『投稿せず、読むだけの人』をこう呼んだ)。

 Facebookでの友だちは一人もいなかった。ごく最近、社会人大学のお付きあい上、必要なので仕方なく何人か友だちになったけれども。つまり私にとってのFacebookは情報発信でもコミュニケーションツールでもなく、情報収集アイテム。

いま勉強している大学の社会人履修コースもFacebookの広告で知った。
「ええっ!Facebookの広告なんて(クリックして詳細を)見たことない!」と友人は口々に言う。そういう人たちはみんなコミュニケーションツールとして使っている人たちだ。私とはそもそもの入り口が違う。というか、私の使い方のほうがレアなのだろう。

 で、社会人大学のこともふくめ、私の場合、冒頭に書いたひたひたの波はFacebookからやって来ることが多い。
 で、最近、発見したおもしろそうなイベント。これもたしかFacebookの広告始まりだったように思う。広告のリンクをたどっていった先で紹介されていた地域コミュニティのイベントに来週の土曜日に参加してくる予定。
 これはもしかすると、今後の私の主軸になるようなものかもしれないという予感。いま大学で勉強していることとも限りなくリンクしてきそうだし、わりと近所だし。

 あともう一つのおもしろそうな場所。賃貸物件をサーフィンしている時にネットで見つけた(でもまだ会ったことのない)街の不動産屋さんを私はFacebookでフォローしているんだけど、そのおじさんがFacebookに投稿していた『町の居場所(相談カフェ)』。その記事を読んで、私と近い職業の人が、他の職種の医療従事者と組んで、半ばボランティアでやっているような相談カフェが家から自転車で行ける距離にあることを知った。「ええ!おもしろそうなことやっている人が近所にいるんだ~!」ということで、ちょっとその人にアポを取ってみようかなという気持ちになっている。

 そんなわけで、最近の私はFacebookにかなりお世話になっている。ちなみに某T〇itter(青い鳥のロゴ)の広告はあてにならないので、ほとんど私の役に立ったことはない。これって相性みたいなものもあるのかもしれんが。

 「そんな風にFacebookを使っている人、初めて見ました」と、先日も後輩に言われた。そうなんかな。

 最近、巷では引き寄せの法則というワードをよく聞くけど、私はそれをもじって一連のこれらのことを“開かれの法則”と名付けてみた。どういう意味なん?ってマジで聞かれると、ちょっと説明に困るけど(笑)。

 引き寄せの法則をちゃんと調べたことがないから、結局、同じこと言ってんのかもしれないけど、オープンマインドでいることって可能性に開かれている状態と言い換えることもできるんじゃないかな。自分の関心があちこちに開かれていると、道に落ちているものをスルーせずにキャッチアップできるというか。それが何年か先まで続くような種火になるかどうかは分からない。でも、まずは目に留まって、手を伸ばすことをしなければ、判断もつかないと思うんだよね。

 もちろん、リスクもある。拾ったものがとてつもなく臭かったりするかもしれないし(笑)。SNSには危険がいっぱいあるし。でも、もしかすると「絶対、これになりたい!」みたいなものが強固にある人のほうが、リスクを軽視して突き進んじゃうのかも。
 私みたいにフラフラしていると、拾ったものに固執しないからリスクを感じたらすぐに手放しちゃうことができるってこともあるのかもしれない。

 要約すると

 大志を抱かなくたって、おもしろい人生になってくことはあるし、オープンマインドでいれば、その種火はどこにでも落ちている

という話。

 今日は話が長くなったな。お時間、取りました。すんません。

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