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過去の棚卸し

 夫が学術大会で遠方に出かけている。一日目を終えて、二日目の朝。何となく話したいなと思って、電話をかけてみた。コロナ禍で長らく会えていなかった人との再会、昨年末に仕事を辞めて状況が大きく変わったこと、これから始めようとしている仕事…そんなよもやま話がたくさんあっただろう。

 電話に出た夫の声は、私の想像に反してトーンが暗めだった。最初は語ろうとしなかったが、話を聞いていくと、どうやら気分がブルーになっているらしい。

 原因は、辞めた職場のスタッフと会場で顔を合わせたことだと夫は言った。とくに部下だったスタッフとの再会は夫に動揺をもたらしたようだった。

「俺、ほんとうに(仕事を)辞めたんやなと思って」

 元 部下とどんな会話を交わしたかは分からない。でも、その人と会うことで、自分はもうその職場にいない人間なのだということをリアルに感じ取ったのだと夫は言った。
 退職して、私と二人で家にいたり、友人の事務所の手伝いに行ったりしている時には、元の職場のことを思い出さなかったし、辞めたことのリアリティが薄かったのだろう。

「辞める時は、そのことを考える余裕もなく辞めたから。今はそれを考えられるだけ回復してるってことかな」と夫は付け加えた。
 ちょうど一年くらい前に退職を決めて、それから3ヶ月で夫は辞めた。管理職だった夫が急に退職して職場に大きな穴を開けたことについて、初めて夫は振り返っているようだった。

 たしかに夫の中でのリアリティの薄さは私も感じていた。

 たとえば、夫の退職後に兼任で代役を務めることになった元 上司(夫の退職で激務となった人)と、退職してから別の仕事のオンライン会議で一緒になった時も「どうして、あの人が自分への当たりがきついのか分からない」というようなことを言い、理不尽だと怒っていたこととか。

 労働者には自分の意志で退職する権利があるし、その元 上司は夫のことを守らなかったのだし、夫が退職することでその元 上司が激務になったことはその人自身の負うべき課題であり、別の会議で夫への風当たりが強くなるのはおかしな話だ。理屈で言えばね。
 でも、その元 上司の立場からすると、感情的には平穏でいられないのも分からなくはない。『こんな会議に出てこられるくらいなら、仕事を辞めずに続けられたんじゃないの』とか『お前のせいで、どれだけ職場に(というか俺に!)迷惑がかかったと思ってんねん』というようなことを言外に匂わせたくて不機嫌になる気持ちが(その人の性格を知っているだけに)分かる気がする。
 むしろ私もフツーに会議に出て、彼の理不尽さに怒っている夫もどうかなと思っていたくらいだ。気まずさとか、バツの悪さみたいなものないんかな、と。
 どちらも大人げないな~と思っていた。言わなかったけど。

 夫曰く、メンタルが回復してきて、ようやく“そのことの意味”とか“コトの重大さ”のようなものがリアリティを伴ってきたらしい。
 今回、元職場のスタッフとの再会したことで、それらが“見える化”したということなのだろう。

 整理してこなかった過去とは、いずれ向き合わなければならないし、向き合わなければ整理できないのだから、遅かれ早かれ通るプロセスだよね…そんなことを夫と電話で話した。

 そう。これは正常な(あるいは健全な)回復のプロセスなのだ。

 興味深いのは、夫にリアリティをもたらしたのは、その元 上司ではなく、直属の元 部下との再会だったことだ。夫は(たぶん私以上に)自分の職場に思い入れがあったし、だからこそ思い通りにならない状況がきつくて、孤立して辞めてしまったのだ。
 そして、自分がネガティブな辞め方をした職場に居続ける元 部下と再会したことで、自分抜きで流れている元職場のタイムラインのようなものをリアルに感じ取ったんだと思う。

 例えが合っているかどうか分かんないけど、離婚した夫と街でばったり出くわした時に、チャイルドシートのついたママチャリに乗っていたとか、新しい結婚指輪をしているに気がついたとか、そういう感じかもしれない。 
 
「自分抜きで相手のタイムラインは流れているんだな」ということをまざまざと見せつけられる、みたいな(もちろん、相手は故意ではない)。

 そりゃそうだろーと思う自分と、そのことに少なからずショックを受けている自分とが混在する、みたいな。伝わるかな。
 自分のタイムラインも前に進んでいる…にもかかわらず、何か複雑っていう感じ。

 そういう心のさざ波というのは、落ち着くまでに少し時間を要する。言い換えると、それを鎮めることができるのは時間くらいしかない。

 「他の人にはみんな所属先があってさ、そこそこの肩書になっているのに、自分には何にもないんだよね…」と夫は弱々しく付け加えた。
おおっ!そのリアリティも付け加わったのね。
 何もない上等じゃん。自由の象徴さ。 そう思ったけど、言わなかった。

「大丈夫。それも時間が解決してくれるからね。一緒に乗り越えよう」

 今回、自宅に事務所をつくるのに、たくさんモノを捨てた。それって、物理的な意味での過去の棚卸しなんだけど、それがある程度、片付いたところで、次は心理的な意味での過去の棚卸しの機会がやって来た。それだけだ。


 今朝は思い付きで電話してみて良かった。LINEの交換だけだったら、夫のそういう複雑な感情に気づいてあげられなかっただろうし。
 こうして私たちはいろいろなモノを整理しながら、軽くなっていく。前に進むために。

 私の最近のお気に入りの言葉。 

何かを始めるのに、早すぎることはないし、遅すぎることもない。全てはちょうどいいタイミングでやって来る。

まあ、そういうことだよね。


 

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