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無駄なことを頑張る -大学の意味-

こんにちは。相変わらず毎日、大学の課題に勤しんでおります。


さて、大学で材料工学の授業があり毎回課題が出されるのですが、私は理論物理に興味がありまだ電気回路系もなんとか興味は持てるのですが、材料系は全くと言っていいほど興味が湧きません。

というわけで課題にも身が入らないのですが、、、

大学の課題の厄介なところは、高校までの勉強と比べると検索しても求めている答えがなかなか簡単に見つからないところです。

大学の勉強はより専門的になり、計算系にしろ調べる系にしろ答えを出すのが一筋縄ではいかないのです。

だるいと思いながらも課題をしていると、やる気は無いながら感じたことがありました。

発見はある

興味は無いなりに発見はあります。

ラジオやスピーカ―などの仕組みや磁石の仕組み、電子機器に使われているパーツの仕組みなど、これまで私は興味を持ったことはなく、課題を与えられたときにも興味ゼロ。むしろマイナスでした。

しかし、言われてみれば身の回りの物たちがどういう仕組みで動いて私たちの生活を支えてくれているのか、ほとんど知りません。

いくつものタブを開いてPCで調べていくうちに、(今回は20以上のタブを開きました。)流し読みをしながらも「あぁこういう仕組みなんだ」「高校で習ったこの物理の電磁気分野の法則はちゃんと使われているんだ、説明できるんだ」と分かっていきました。

「無駄なことを頑張る」ことは、意味がないわけじゃないです。

脳科学的にも意味はある

勉強することで脳内で記憶力を上げる助けをする物質が分泌されます。
その物質は勉強時間が長いほどたくさん分泌されます。勉強すればするほど勉強向きな脳に進化するのです。
勉強をする人と、勉強から逃げる人ではどんどん差が開いていってしまうのですね。

ここでまとめると、

【まとめ】無駄なことを頑張る意味は…

・粘ることで学力全体の向上につながる(脳的にも)
・視野が広がる、アンテナが広くなる


大学の一つの意味

工学系も扱う学部に進学しなければ、材料工学について調べて文献を読むこともなかったかもしれません。
私は常々、教育や刺激を受ける機会は大事だと考えていましたが、大学は学びたいことを学べるだけでなく、興味のないこと・これまで触れる機会のなかったものにも出会う機会も提供してくれる場だなと感じました。


例えば、世の中のあらゆる知識が集約された空間があるとします。

様々な文献や本があれば、音楽や芸術について、またあらゆる娯楽についての情報もあり、実物もあります。実際に将棋やチェスを嗜めたり、科学実験ができたり、美術作品を鑑賞できたり、描き方を勉強しながら自分で作品を作ることも可能な空間です。世界中の漫画やゲームもあるとします。運動やスポーツもできます。

理系の人にはお馴染みの、”理想”空間です。

さてそのようなところに放り出されて無限の時間を与えられたら、私たちは何をするでしょうか。
あらゆる分野をバランスよく学ぶでしょうか。


前述の理想空間にいる場合の時間は、有限とするか無限とするかでまた変わってくるかもしれませんがそれは置いておくとして、もし時間が無限でも、自分が興味がないものには学んでみようという意欲はほとんどの人は湧かないと思います。
多くの人が、全部の分野を網羅しようとはしないでしょう。たとえ理想空間の中で与えられていても、です。


私たちが存在している世界はそんな理想空間もなければ時間も有限です。学べることも吸収できる量も、やる気も限られている中で、大学では自分が勉強したいもののほかに教養科目として多少興味がない分野の勉強も強いられます。しかしそれは自分の知識や視野や感覚を広げて刺激を受け、より聡明な人間へとなれる機会なのではと感じます。
大学の、その強制力も含めた勉強環境に対して、お金を払っているのだと私は思いました。

何事も真面目にやってみるものですね。

読んでくださりありがとうございました。

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