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#6 "生"の基本原理:『循環』


▶︎わたしたちは、【循環】によって生がうまく保たれるしくみで成っている

『生きる』という活動において、循環がうまくいっていると生を綺麗に維持でき、滞ると問題が起きるしくみについて


●〈肉体/現実面〉

〔外と内の循環〕
・息を吸って吐く
・食べ物を食べて出す etc
〔体内の循環〕
・血の巡り
・リンパの巡り  etc
〔肉体表面の循環〕
・手が汚れる→洗う
・身体が汚れる→お風呂に入る etc

このような【世界×自分】、また【自分の中】循環がしっかり行われることでわたしたちの体は生がうまく保たれ、生活習慣が悪い・自分の体のことを知れていない、などでこの循環が滞ると問題、障害が起こるようになっています。

また、「地球」においてもそうです🌏

生き物や植物は生きて死ぬことで循環しているし、人間がゴミなどをポイ捨てして放置すると土がやられたり海に流れつき魚がやられたりして地球の循環が滞り問題が発生します。

あとは「家」などで考えてみても🏠、

物を買う→使用して→捨てる
汚れる→掃除する

を繰り返すことで家は綺麗が保たれます。

そして、清潔・衛生的であることが健康的に気持ちよく生きる上で大切ですが、逆に、清潔にしすぎても問題が発生するようになっています。

このようなことから、この現実世界は、基本的に【循環】で生がうまく保たれることが理解できるかなと思います。

(↳※ここにも世界の表裏性(二元性)が関係しています。)

(メモ:この現実・物理面の循環は基本的には自動で行われるが、意識(観測)がここに影響を与えるようになっている?)


そしてこれが、目に見えない、わたしたちの精神においても同じとなっています。

●〈精神〉

〔精神⇄物理〕
現実世界から得た情報により形成した、された意思や意見・想像⇄表現
〔自己内〕
・情報を取り入れる→確定→また新しい情報が入る→思考・選択(不必要なものを排出)→くりかえし
↳心:自意識が取得した情報→心の自然現象(感情など)→思考→決定or消化

※おそらくもう少し細分化できますが簡略にしました

ここがうまくはたらいていないと、【循環障害】が発生します。

循環障害の簡単な例は:心は基本的に幸せな状態が通常・当たり前なので、不幸や不快な情報を認知すると問題発生としてアラートを出し留まる、などです。そのとき、自由、時間が奪われるような感覚にもなって、自分自身がそれを認知することになります。

✔️この精神における【循環】では、基本的に自分の中で自分がうまく循環させる必要、また、外に適度に表現、そしてまた新しい情報を取り入れたりする必要があります。

そして基本ポイントとしては💡

⑴自由と制限の50:50
⑵『自分と世界がつながっている』という感覚
⑶"信仰"のはたらき
⑷意識の向き(思考のベクトル)


まだあるような気がしていますが、現段階で挙げられるのは主にこの4つです。

⑴自由と制限の50:50

表裏性の原理も関係し、自分の自由を感じすぎていても心はうまく保たれません。世界や人のために自分の時間を使っている(制限する)という感覚も必要になります。

人と関わるにあたって、自分の意志ばかりおしすすめすぎても心はどこかで罪悪感を覚え、相手ばかり重んじていても不快感を覚えます。

おそらく、『人のためになることが=で自分のためにもなっている』と感じられていることで、心にとって一番いい形でこの循環は保たれます。

逆の、『自分のためになることが⇒人のためになる』でも悪くはないし、最初の取っ掛りとしてはこちらが大切なのではないかとも考えていますが、ただ全体としてみると『人のため⇒自分のため』が重要です。

このように自分が思える環境にいないと循環障害が起き、最終的になにかしらを殺す破壊的思考になるか無気力状態になります。


⑵『世界と自分が繋がっている感覚』

✔️人々の大半には、社会に出ていないと、学校へ行きまたは仕事をして役に立っていないと人は無価値だ、のような幻想を抱いてしまっているところがありますが、人間の思考がそうなる原因について心という観点からみると、「自分を価値づけたい」とする心のはたらきと、世界と繋がっている感覚がないと精神と現実世界の循環が滞って心は自分の存在価値を感じられなくなってしまうので、その不安から心理としてできてしまったものなのではないかと考えています。

この感覚を実感できていないと心は孤独感、疎外感、無価値感を覚えます。

ほとんどの場合、人と繋がっている感覚が重要です。

ただ、自己内循環能力が非常に高い、楽しく前向きに積極的に社会から逸脱して引きこもれるような、人と関わらなくてもゲームをしたり本やアニメをみていればいい、と自分の世界を楽しめるような人もいると思うので一概にはいえません。
自分の精神空間内の情報が外部と循環すればいいので、自分が興味のある本やアニメなどに触れることでも循環は行われます。

あとは自由編でも触れた『自己表現』もここに関わってきます。

自分に適切な形の表現法を知り、それをもっておくことでもまたうまくはたらきはじめます。自分をうまく表現できないことは心にとってものすごいストレスとなります。
↳自己表現には色々な形がありますが、たとえば言葉にする、絵を描く、文章にする、スポーツをする、音楽にする、ダンスをする、などです。

わたしたちは、子どもの頃は思ったことをそのまま口に出すことが多いですが、次第に言ってはいけないことなどを学び思ったことをそのまま言わないという選択肢を覚えます。社会的な自分としてそれはいいことだと頭でわかっていても、それを「我慢」と捉えていた場合、循環が滞り問題が発生しストレスとなります。このようなことからも、別のところで発散できるものをもっておくことが重要な点のひとつとなってきます。

そして、『"世界"をある程度理解していること』も重要です。


⑶心に必要不可欠な『信仰』

ここが一番のポイントになります。

この、『心は必ずなにかを信じていないと生きていけない』という性質が、結構な確率でこの循環を阻害してきます。

『信じる』という行為は、人が日常生活を送る上で一番のエネルギー源といってもいいくらいのものなのではないかと個人的に考えています。なぜなら、心が信じられる情報を失い、絶望や不安に耐えられなくなり、そこから身体・現実のあらゆる機能を停止させようとしたりする力は、自分の肉体が存続の危機に陥ったときに発動するものよりも深く強いように思うからです。

『信じる』というのを自分の内部にもっている人はあまり意識しませんが、外部にもっている人はその情報が破壊されたら=死 を感じます。
わたしたちは外部の情報を得ることで自分を認識するので、ほとんどの人間は外部にもつことが多いです。

たとえば、人間において『信仰』という言葉から連想されがちなのが「神」という概念ですが、そこで神を全く信じていないという人も、神なんていないということを信じて生きているので変わりません。(その場合、大抵は科学や世間一般常識などを信じています)

これがどのように関係してくるかというと、:人が宗教を強く信仰している場合・または多くの一般的な人々(現地点でギリ20.30代〜の人)にあてはまる大きな信仰例パターンだと、『人は人生でパートナー一人を選び結婚し家庭を築き子どもを産むもの・それが普通・幸福・いいこと・浮気や不倫は悪』のような価値観です。そのような情報への人々の信仰は、時間が経過すればするほど心にとって深く強固なものとなり、あとから循環を促そうとしても完全に引き剥がすことはできません。
もしこの先、結婚制度終了自由恋愛OKのような価値観へと時代が変わり、そうした人々が新しい時代の変化についていこうと、理解しようと思えたとしても、一度その価値観を信仰した心にとってまったくの0とするのはほぼ100%といっていいくらい不可能です。それほど人の心が長く信仰した情報、とくに、自分にとって価値があると信じた、幸福や救いとなる情報への信仰はすごく根強いです。

その中で、精神において自分を幸福に導くような情報を固定させ続けることをせず、必要に応じて循環させることを人生で常に意識的にしろ無意識的にしろ習慣化できていた人間だけは、時代の変化に合わせ常識の変化も比較的すんなり受け入れられます。『信じる』という対象を他に求めるのではなく『自分の"選択"』におけているとこの循環はうまくはたらきます。

↳信仰とは少しズレますがたとえばお年寄りの方でもスマホをすぐに使いこなしSNSをしたりゲームをしたり、最新科学にすんなりついていけるような人はうまくはたらいているといえるのではないかと思います。ただ「信じる」という面でいくとお年寄りの方で自分にとってずっと価値のあった常識的な人生の価値観をすんなり変化させて受け入れられる人間はごく稀なはずです。

ここで必要となってくる力は主に、哲学的思考力、論理的思考力、それに伴う問題解決能力、そして想像力ではないかなと考えています。
世界を知ることを楽しむ力がある、起きた現象には必ず理由があると考え、常にその理由を追える、それに伴い自分を変えていける力、そして人や世界に対し、現実に基づいた想像ができる力です。

(これはなんとなくですが、先天的にこの能力が身についているような場合と、頭が固まりはじめる20歳前後〜最新科学への拒否反応が出はじめる30歳前後くらいまでに好きなものをみつけ勉強するなどして後天的に身についた場合があって、この20〜30歳ぐらいまでで本当にギリ、この力がなんとか身につきます。なにかしら方法を確立して教育で身につけられるようにすることもおそらく可能ですが、基本的には0〜10代のうちに身についていないと厳しいだろうと推測してます)

また、思考・自身の精神に入ってきた情報の整理整頓法を知っている、ということも必要です。

この力を持ち合わせている場合、おそらく高次脳機能がよく発達しているということでもあると思います。


⑷意識の向き(思考のベクトル)

精神的意識の向きがポジティブに向きやすい状態かネガティブに向きやすい状態かで、循環の状態も変わります。

物事を悪い方にばかり捉えてしまう状態だと循環が滞る確率は上がり、いい方に捉えられる状態だとうまくはたらきます。

幼少期〜10代のころにありのままの自分を表現をして存在を許された環境に身を置いていた場合、ここがうまくはたらく基礎ができるのではないかと考えています。

ただし、物事を否定的に捉え、それを自己内でいい方向へ循環させられるプロセス(思考法)を心得ていた場合は、そちらの方が世界への理解度が高まります。


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