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【漫画の感想】『ダーウィン事変』で自分に内在する差別意識と向き合う

5巻が発売になったので、改めて読み返した。

人間の父親とチンパンジーの母親から生まれた「ヒューマンジー」のチャーリーが主人公。

類い稀なる身体能力がある。

幼稚園に通っていた頃の、とある事件のせいで、高校入学まで家から出ることを許されなかった。

とは別に、ヴィーガンを標榜しつつアニマルライツ(動物の権力)の確立を謳う団体がテロリストとして悪辣なことをやっている。
動物を食べるために命を奪っている事に対しての、人間への過激すぎる暴力で主張しているわけだが、作者は決してどちらの立場にも加担していない。
まるで、主人公チャーリーが自分はこの世界に生まれたことに、生まれたという事以外何の特別な意味はないと言っているのと同じだ。

読む側は、果たしてどう捉えるのだろうか。

例えば、ヴィーガンでアニマルライツについてネットで主張していた男の子が、テロ組織と出会い洗脳というより煽動されて、自分の学校を銃撃してしまい40人以上の死者を出してしまう。それもネットで中継しながら。

しかもそれでチャーリーの立場も、学校に行けないものとしてしまう。わざとだ。テロ組織に狙われている。
そして全米で湧き起こるヴィーガンへの対抗、暴力。
暴力が暴力を、憎しみが復讐心を掻き立てるさまは、ヒトって何とダメな生き物なのか?とさえ感じてしまう。

ルーシーという女の子が、チャーリーの友人として、恋人として活躍していくのだけれど、彼女の意見や怒り、行動力は読んでいて清々しい。

しかし心のどこかで、ヒューマンジーが私の目の前にいたらどう感じるだろうかという問いをずっと抱えながら読んでいるのだ。
おそらく作者はそれも含めて突きつけているんだろうなと思う。

動物可哀想とか言いながら、何もしていないでしょ。
ヴィーガンへの理解も中途半端でしょ。だからと言ってどっちにもつけないでしょ。あなたの心に偏見はないって言い切れるの?
と。


彼女がルーシー

それでも自分で答えが出ないことを自覚しながら、この漫画を読み始めてしまったからには読み続けたい気持ちに駆られるのだ。

自分の中に正解はない。
でも考え続けることはできる。
そんな自分と向き合える漫画だ。

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