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『ペンギン・ハイウェイ』から読みとく人間の真理

※こちらの文章は映画『ペンギン・ハイウェイ』に関するネタバレを含みますので、ご了承ください。

この週末に映画館でみた『ペンギン・ハイウェイ』が、とてつもなく面白く、『カメラを止めるな』の裏でまさかの大穴。

近所のきれいなお姉さんとそのおっぱいに思いをはせる、小学生アオヤマくんのかわいらしさと、人間の本質に迫るような哲学的テーマのコントラストが非常に秀逸で、とにかく観た方と語らいたくなったので、今回noteで筆を取ることに。

ちなみに、『ペンギン・ハイウェイ』のあらすじは、こんな感じ。

小学校4年生のアオヤマくんは、たいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強をする。毎日学んだことをノートに書きつけ、大人に負けないほどいろいろなことを知っているから、将来は「えらい大人」になるのだとすでに自覚している。ちなみに、近くに住む歯科衛生士のきれいなお姉さんとそのおっぱいに、目下夢中である。
そんな彼らが暮らす住宅街に、ある日突然「ペンギン」が現れる。住宅街に存在するはずのない「ペンギン」の謎に、大好きなお姉さんが関わっていると知ったアオヤマくんは、一層夢中になって、ペンギンが通る通路「ペンギン・ハイウェイ」に関する研究に打ち込む。
その謎の先には…

普通の日常を送っているちょっと頭のいいアオヤマくんとあこがれのお姉さんが、ペンギンの出現を契機に、この世界の平和をかけて「世界の果て」と対峙する、いわゆるセカイ系のジャンル。

その中でも、俺も昔はあんな子だった、とおもわず自分を重ねたくなるかわいらしい主人公と、男性の憧憬をくすぐるお姉さんの存在によって、なんとも気持ちよく観ることのできる映画だった。

かわいらしいペンギンという違和感のメディアと反して、内容は極めて哲学的。
ああ、真理だな、と思う部分が多々あったので、以下に自分の解釈を記します。

人間のエゴが、自然のエコシステムのバランスを崩す

ひと夏にアオヤマくんが出会った不思議な現象。
ペンギンと、海、そしてお姉さん。
この 3者は、それぞれあるがまま ー すなわちお姉さんが気ままにペンギンを出し、ペンギンはペンギン・ハイウェイを辿って海へ向かい、そして海の増長を防ぐ ー の状態を維持できていたら、エネルギー収支が釣り合い続けて、この世界と「世界の果て」は絶妙なバランスを保ちながら共存していたのかもしれない。

でも、残念ながら物語はそううまくはいかない。
アオヤマくんたちが研究を続ける過程で、ペンギンや海の存在、そしてペンギンを出すことのできるお姉さんの能力が「大人」に知られてしまう危機に陥る。
お姉さんの能力を「大人」に知られ、奪われることを恐れたアオヤマくんは、お姉さんにペンギンを出さないようお願いしてしまう。

このアオヤマくんのエゴにより、エネルギーを余らせたお姉さんはペンギンを喰らうジャバウォックを生み出し、結果、3者の自然なエネルギーバランスを崩し、この世界を危機に晒してしまうこととなる。

なにより悲しいのが、一度ジャバウォックが生み出されてしまい、ペンギンが喰われてしまった時点で、バランスは不可逆的に崩れてしまい、世界の破滅か、お姉さん含む 3者の消滅のいずれかが決定されてしまうということ。

一度表出した人間のエゴが、自然のバランスを崩すトリガーを引いてしまい、修復不可能になってしまうという主題をここに読み取った。

世界を知れば知るほど、自分の無力さを思い知る

かしこいアオヤマくんは、日々色んなことを学び、大人になる日をカウントしながら、毎日成長をしている。
ある種、人間の飽くなき好奇心、探究心、そして向上心のかたまりのようなアオヤマくんは、大好きなお姉さんに「この謎を解いてごらん」とけしかけられ、一生懸命研究を続けた結果、お姉さんとペンギンそして海のそれぞれの相関関係を解明する。

切ないのはここから。解明した結果、この世界を守るためには、海とペンギン、そして大好きなお姉さんがこの世界から消えなくてはならない、ということを悟るのである。

大好きなお姉さんと「世界の果て」を歩きながら、「海をほんの少しだけ残したら、お姉さんという存在も守ることができるのではないか」という甘えの発想を出すものの、最終的にはお姉さんとこの世界を守るという意志を固め、海とペンギン、そしてお姉さんは消えていく。

科学の力によって、全能感を感じがちな人間だが、理解をしたとしても、自分の力ではどうにもできないこともある。
その一つが、大事な人間の死への対峙なのだ。

自分の無力に絶望してもなお、人間の本能である探究心は、人間を前進へと駆り立てる

大好きなお姉さんを失ったアオヤマくんだが、それでも今までと同じように、大人になる日までの日数を数えながら、毎日学びを重ねる。

その先にあるのは、もっと自分が賢くなれば、失ったお姉さんを取り戻せるかも知れないという希望である。

圧倒的な強さや「どうにもならない感」を前に打ちのめされる時はあれど、それでも人間には、もっと世界を知りたいという探究心に駆り立てられる強さがある。

咀嚼できていない部分もまだまだたくさん

拙いながら、自分の解釈を記してみたものの、まだまだ消化しきれていないテーマもたくさんある。
たとえば、以下。

・缶や標識などの金属が、主にペンギンに変化していった。
→人工的な製造業の権化とも言えるコーラ缶を、ペンギンというやさしい存在に変わるという違和感が、ペンギンの存在を特別にした?

・パラレルワールドである「世界の果て」は頽廃している。
→「世界の果て」の対局概念である「この世界」がやはり美しい「本物」であり、守らなくてはならないものであるとビジュアルで表した?

・なぜペンギンやお姉さんや海が、この街に急に出現したのか。
・急にぺんぎんが現れたということは、お姉さんの存在も最近発生したと思われるが、なぜ少年やお姉さんには過去の記憶が存在しているのか。

と、色々深く考えたいポイントは残すものの、やはり今回の『ペンギン・ハイウェイ』は、セカイ系作品の中でも、個人的にはピカイチの出来。

いろんな解釈があると思うので、ぜひご覧になった方と語りたいなと思いました。


image source: (C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

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