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追悼・坂本龍一 ▶︎ 戦場のメリークリスマス

1983年5月1日リリース、映画公開は5月28日

発売当初はロンドンレコードだったが、その後MIDIから再発された

当時発売日には買わずに敢えて映画を観賞してから買いに行ったのだが、今考えれば観る前に買っておいて音楽を覚えて映画を観賞しても良かったとも思うが、先にサントラを聴いて良いにせよ悪いにせよ先入観を持ってしまってもアレだなとか思ったりもしつつ、結局サウンドストリートで事前にオンエアしてたので聴いてはいた

話題性と当時観に行った時の混雑ぶりからして興行成績が良かったイメージがあったのだが、その年のベストテンにも入ってなく、興行成績もカンヌも「楢山節考」に負けている (皮肉にも?音楽は池辺晋一郎、新宿高校〜藝大作曲科の先輩であり旧知の間柄)

二転三転した奇跡のキャスティング、坂本龍一のヨノイ大尉役は友川カズキを皮切りに紆余曲折あって沢田研二に決まりかけたが、ボウイのための変更不可能な撮影スケジュールとジュリーのツアーが重なり、関わっているスタッフのためにツアーをキャンセルしたくないと土壇場で断られ、慌てた大島渚は「男の肖像」という色々な男(俳優/タレント/スポーツ選手/ミュージシャン等)が載っている稲越功一の写真集から桑名正博と坂本龍一に目をつけ、息子にどちらがいいか訊いたところ「今YMOで人気だから坂本龍一の方がいい」みたいな話で、おそらく大島渚はYMOも坂本龍一も知らなかったと思うが、それでオファーしてみたという流れ、坂本龍一は戦メリの前に映画「なんとなくクリスタル」の出演オファーを断ったりしてるが、そもそも10代の頃からの大島映画ファンで断る理由もなく、世界中の人が観るであろうボウイの映画が自分の音楽であれば宣伝にもなると音楽もやることを条件にして承諾、大島映画には横尾忠則フォーククルセダーズを主役にした作品もあるので、大島渚としては演技出来る出来ないは二の次なのである

ラロトンガ〜ニュージーランドでの撮影から帰国後、サントラのレコーディングはYMOの『浮気なぼくら』と並行して82年10月から12月末まで、最初に大島渚と音楽を入れるシーンを確認し合っただけで曲調などのリクエストは一切なく100%自由にやれたことで今までの作品と特に違和感もなく、且つテーマ曲は今に至るまで「坂本龍一といえば」的な代表曲になった(現在はピアノ曲のイメージが強い)、「戦メリ」で坂本龍一の存在と音楽が一般的にYMO抜きで認知されたことは間違い無く、それ以前のファンからしてみれば「戦メリ」以前以後という区切りが実感としてあり、サウンドストリート等でもどんどん明るいキャラクターになっていった、よって逆に「戦メリ」がなかったら... という「たられば」も頭を擡げる

サントラ盤に続いてピアノヴァージョンを録音してカセットブック『Avec Piano』を出版、レコード店より流通範囲が広い書店で売られたこともあって実はサントラ盤よりも売れた可能性もアリ、同タイトルの楽譜集も出版され(現在まで絶版にならずに売れ続けている!)、『Avec Piano』は年末に『Coda』 としてレコードでもリリースされ、1983年の戦メリ&YMO散開イヤーが終了

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