【雑記】6才のクレがカンプノウに行くまで(前編)
①00年。
日韓ワールドカップの2年前、6才。だったと思う。
祖父母の家にあるテレビで、初めて海外にクラブがあると知った。そしてたまたま、初めて見た試合に、紺と臙脂のユニフォームが映っていた。
シンプルに衝撃だった。
「え、サッカーってホンマに全世界でやってんの」
(父母祖父母「そこなの!?」)
子供ながらに、世界と繋がった瞬間だった。
見ていくうちに、画面に映っていた片方のチームは「バルセロナ」と言うらしいことが分かった。
日本の試合と明らかに雰囲気が違う画面を、実況解説を、食い入るように観て聞いていたら、
「このチームの特徴は『美しく勝つ』
というところにありまして
ただ勝利するのではないところがウンヌン・・・」
(なんだそれは・・・)
(いや、なんだそれは!?)
観たことのないプレーの連発。まさに漫画の世界。
「すげえ。ほんとに凄え。」
あっという間の90分だった。
正直、勝ってるか負けてるかなんてどうでもよかった。
ただ「美しさ」に飢えた。
もっと観たい。もっと驚きたい。
結局、意味も形すらも分からないまま、「スゲえ」と言い続けているうちに、エキセントリックな試合が一方的に終わった。
「もっと観たい・・・!!!」
②00-03:暗黒期だとは知らず
「リーガが、バルセロナが観たい」と思うようになって。両親に無理を言って、ケーブルを引いてもらった。
祖父母の家で目の当たりにし、「美しいってなんぞ・・・?」という疑問から見続けたバルセロナは、見始めた00-01シーズン4位だった。
目の前で繰り出される意味不明なレベル、その中で「美しく勝つ」という、ある種「無駄」なことを目指している(らしい)バルセロナ。
「そんなことしてんのに4位ってすごくね?」
「こいつら本気で勝つことだけ考えたらめっちゃ強いんじゃねーの。」
そうではないことを、
翌シーズンから思い知ることになる。
暗黒期である。
直近5年のバルセロナからは想像できないだろうが、本当に勝てない。
むしろ中途半端に弱い。
たまにある再放送を観ていて、微妙な感じでもいいので勝つと逆に驚く。
美しさは感じる要素がなく、クラシコはもちろん勝てない。
とにかく雰囲気が暗い。今ならフルで観ようとすると相当ハードな映像。
朝、寝過ごしてテレビをつけたら負けているかもしれないという心理状態がデフォルトになる。
ただ、子供のころは、最初の衝撃を特に忘れないもので、
「こんだけ意味不明なプレーが多いんだから、いつか『美しい』のも見られるんだろう。きっとそうだろう。」
と信じて疑わなかった。我ながらなかなかの忍耐強さである。
自分の応援しているチームが「強いチーム」という認識は無かった。だって本当に強くなかったから。
でも「弱いくせに」美しく勝とうと恐らくどこかで思っているバルセロナは、なんかいじらしく、どんくさく、応援したくなった。
そんなことを思いながら観ているうちに、バルサが勝つと嬉しくなっていたし、負けると「世紀末なのでは」と思うくらい気持ちが沈んだ。
リバウドのオーバーヘッドは叫び倒した。
「あ、ファンになっとる。」
耐えて耐えて耐えて、そう気づいたのは03年の、暗黒期も終焉の時期だった。
③03-06:「美しい」が来た
03シーズンはよく覚えている。リーガ初戦を見逃したから。確か負けてたんじゃなかったか。「あ、また負けてる」って思った記憶がある。
選手の移籍なんて、子どもにとって「細かい」話が、今ほど簡単に察知できない時代(というか興味が湧かない。誰が来ても勝てないんだから)
第2節、久しぶりに見る試合はセビージャ戦。
後半から見始めた。「やっぱ負けてるわ」と思っていたら、左サイドに見知らぬポニーテールがいた。しかも10番。
「・・・誰だよ。」
バルデスから直接ボールを受け、いきなり前を向いて走り始めた。
「・・・それは無理やろ?」
あれよあれよという間にゴール正面まで持っていった。
突然右足一閃。クロスバーに直撃したボールは地面に叩きつけられてV字に跳ね返った。
大絶叫。
リバウドのオーバーヘッド以来の大絶叫。
走っていく“RONALDINHO”の文字と、背番号10が今でも目に焼き付いている。
これでバルセロナは完全に目覚めた。
シーズン自体の結果はパッとしなかったが、そんなことはどうでもよかった。
リバウドはカッコ良かったが、フィールドを駆けるロナウジーニョは間違いなく「美しかった」。
ドリブルで切り裂き、敵を踊るように躱し、空中で逆をとり、背中でパスし、視線と真逆にパスを出す。
耐えて耐えて耐えて、そろそろ感情が無になりそうな頃に嵐の如く現れ、「サッカーは楽しむもの」そのものを思い出させてくれた。
そして、「美しい」とは何かと、その片鱗を見せてくれた。
楽しくて、美しくて、もっともっと観たくて。
ロナウジーニョがイキイキとプレーしている、そしてそれを手放しで喜んでいる、これが求めていた形かと直感する。
毎週、90分が光の速さで過ぎていった。
そして試合を経るごとに確信した。
「このクラブの求める『美しさ』が彼の中にあるなら、自分はこれが大好きだ。」
試合を観るたびに驚き、興奮し、心が潤っていくのが全身でわかった。
完全に心酔し、虜になった。
そんな日々が06年まで続いた。
④06-08:でもやっぱり勝てない。
06年、クラブW杯を獲れなかったことで遅ればせながら察した。
「…マズイな」
メッシが覚醒しつつある時期に、新たにアンリを加えて構成されたファンタスティック4は、国内でも期待したほど爆発しなかった。
エジミウソンの「黒い羊」発言を発端とする同僚批判をはじめとして、内部崩壊を起こしたバルセロナは普段の試合からチームプレーが噛み合わないのが観て取れた。
選手の仲がギスギスしているのも不安を煽り、さえない。
共感性羞恥とは違うが、観てるこっちがソワソワするような気持ち悪さ。
また暗黒期かと、もう半ば諦めて覚悟していた。
このころ中学でイジメを受けていた自分は、心の拠り所を完全に失っていた。大人も信用できず、教師も信用できず、友達だと思っていたら裏切られ・・・そしてバルサは調子が悪い。
こうなると、さすがに観続ける気力が失せてくる
この頃、家ではプレミアリーグも映るようになり、食い入るように観ていた弟は至極当然のようにC. ロナウドのファンになっていた。
マンチェスター・ユナイテッドで覚醒したロナウドは、クラブW杯で日本に来た。
岡山から横浜に泊まりで観に行った。
世界レベルのクラブを間近で観た最初の試合になった。
ロナウド、ルーニー、テベス、個人的にナニを目で追いながら、テレビの前でしか観たことが無かった世界レベルを目の当たりにして興奮した。
ユナイテッドファンになれなかったのは、見始めた頃から既に強かったからだとは思う。それでもあの試合、横にいた初めましてのイングランド人と肩を組んでルーニーコールをした思い出は忘れない。
「現地の人はこんな試合を毎週観られるのか・・・」という感覚になった。「欧州に行く」という発想はこのあたりから生まれたと思う。
⑤09-17:長すぎる贅沢
監督があのペップになり、デコとロナウジーニョが切られた。
嘘みたいな話だったが、意外には感じてなかったことを覚えている。
特にロナウジーニョは、まるっと太ってしまって怠惰の塊になっており、この段階ではチームにとって毒でしかなかった。
ただ、10番が「あの」メッシだとは思っていなかった。
シャイだし、使われなかったり調子が悪いと表彰式に出てこないし、基本ドリブルで一人でやるし・・・何より過去の10番を考えると、にじみ出る堂々としたパーソナリティを感じない。
ロナウジーニョ→メッシというのは、前任の強烈なキャラクターと、2人がずっと一緒に居た映像が頭を離れず、違和感を禁じ得なかった。
不安が的中したと勘違いしたのは、リーガ初戦で昇格組に勝てなかったからだ。
「これ…大丈夫か…?」
大丈夫だった。
いや、大丈夫すぎた。強すぎた。
圧倒的な強さ、非情を極めた即時奪回、ピッチの完全支配。
そして何よりチームとして美しかった。
あまりにも完璧すぎた。奇跡を見ているとすら思った。
突然どうしたと。
ボールが同じ速度で、一定のリズムで、幾何学模様を描きながらフィールドを縦横無尽に動く。
「美しく勝つ」姿を完全に体現していたから。
後にペップがいなくなっても、MSNが来て攻撃が前線に偏っても、シャビとイニエスタとメッシが三角形を作って、自由人アウベスまで参加したら、中盤はもはや手がつけられなかった。
相手にボールを「晒す」という発想を得たバルサは、相手守備を引きずり出すことを可能にする。
さらには、パス&ムーブで守備網をあっという間に突破し、突っ込んでくるDFをマタドールの如くヒラリと躱し、相手の目線と足をその場で釘付けにして、気が付いたらシュートフォームの選手がいる。
もう魔法の領域である。
08-09年に世界を獲った、ゴリゴリのフィジカルスペックを持つユナイテッドとは真逆で、身体の優位性はほとんどなかった。
「ボールを正確に止め、正確に蹴る」
基本を極め尽くした彼らは、自らの武器を極限まで高めることに成功。
本当に嬉しかった。感動し続けた。美しすぎた。
…が、自分はこの過程で、
周りにクレだと言うのをやめるようになる。
あまりに強すぎたバルセロナは、世界的な認知を一気に高めることに成功する。
クラブW杯開催国の日本は特に、その影響をモロに受けた。
2回目のクラブW杯はメッシが胸で決めて劇的勝利となり、「バルサのエンブレムで決めたんだ」というインタビューが、バックストーリーも相まって美談を彩った。
3回目はサントスを蹂躙し、ネイマールには「バルセロナにサッカーを教えてもらった」と言わしめ、虜にした。
バルセロナは『クラブ以上の存在』を前面に打ち出すクリーンなイメージをメディアに露出するとともに、そのブランド力を高めることに成功し、ファンを急激に増やした。
そんな中で、バルサファンだと、クレだと言うとどうなるか。
「ミーハー」だと鼻で笑われるのだ。
曰く、「ああ、メッシね(笑)」
曰く、「とりあえず皆そう言うよな(笑)」
…違うと。「美しく勝つ」という哲学に惚れたんだと、それは何かをずっっっと考え続けて求めてきたんだと、声を大にして反論したこともあったが、一度「ミーハー」のレッテルを貼ると、話を聞かない日本人の不思議。
大好きなものを好きだと言って何が悪いのか。
そう言われてから、悔しくて悔しくて、一周回ってそんな状況と戦うのがアホらしくなり、ひた隠しにすることにした。バカにされるから。
自分がクレだと知っている友人が少ないのはこのためである。
試合は見続けた。勝手に「人には言えない趣味」まで格下げされたのは今思い出しても意味が分からないが、好きなものは変えられない。
そしてある日、一つの試合を観ることになる。
(次回に続く)
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