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武蔵美大学院での2年間を終えて。社会人しながらデザインを学んで良かったこと

大分ご無沙汰しております。あっという間に時は経ち、3月武蔵野美術大学大学院造形構想専攻クリエイティブリーダーシップコース(以下CL)を卒業します。

せっかくなので、入学を考えている方、あるいは何か新しいことを学び始めようと思っている方、未来の自分にも向けた振り返りをさくっと記録しておこうと思います。

自分の研究については所属ゼミのnoteに記載しているのと、研究の一部を発表したマーケティング学会にて賞をいただきパブリックになっているので、ここでは割愛します。


2年間を振り返って良かったなと思うこと

1、デザインを体系的に学び、アカデミックな世界の面白さをコスパよく実感できる。
今思えば入学するまで私が思い描いていた”デザイン”とは、デザイン領域のほんの一部分に過ぎなかったなと。
デザイン初心者だった私にとっては、重要なポイントを抑えつつ全体像が描けるようになったので、身になる学びが詰まっていたと思います。体系的にデザインとはなんぞや?を学べる密な必修カリキュラム。CLと同じくらい広く深い知識を独学で学ぼうと思ったらかなりの労力が必要だろうなと。

また、CLの特徴でもありますが、常日頃から実践を求められるため頭で理解するだけでなく実際に手足を動かすことで、より再現性ある知識やスキルを身につけることが出来た印象を持っています。
(当時は無茶じゃないか?と思うようなお題や教授からのコメントに内心穏やかではありませんでしたが。)

触り程度ではあるものの、建築模型を作ったり、エディティングをしてみたり、デザインフレームワークを使ったプロジェクトをしてみたり、色々な素材を使って一日でアート作品を制作してみたり、造形的な演習があるのもCLの特徴。
制作道具やITツールに関する知識やスキル習得はもちろん、それぞれのプロセスを一度体験することで、自分の思考の幅がぐんと広がり、想像できる世界が拡張したように思います。

そして、社会人として立場を経験してから学びを深めて良かったなと思う大きなポイントの一つは、学問の世界は「今世の中で話題になっていること」あるいは「ビジネスで話題になっていること」から比べるとかなり先端的だなということを実感出来たこと。
”まだ社会実装段階ではないものの理論上は可能”といったような話が学問の世界には溢れていて、まだ見ぬ未来を思い描くヒントがたくさんあることに個人的にはとても面白みを感じました。

CLでは不確実性の高い未来や正解のない問いに対して我々はどう対峙するべきか?と問われ続けるので、常に未来思考が隣り合わせ。ビジネスにおいても時間軸や空間に対する捉え方が伸長したような気がします。


2、”作る”ことに対するハードルが下がる。日常のプチもやもやが減る。
CLの3割程度は社会人のため、造形バックグラウンドがない方々も多かったです。私もその一人ですが、自分で何かを作ったり表現することにどこか自信が持てず、”こんなの作りたいなーと考えて終わり”といったことがこれまで何度もありました。しかし、この2年間プロトタイピングを重ねることで「意外とやってみると作れる」ことを実感し以前より作ることに対する自信を持てるようになりました。

例えば修了展の際に、所属するゼミで輪読本を置く用の本棚を制作しました。木材をどっから調達するのかさえ分からなかったものの、最終的には意外と形になっていて。そうすると他の棚や机も同じ要領で作れるんじゃないか?と少し意識が変わり「なんだ、意外とやってみると身の回りのもの作れそうだ」と思うようになりました。

その結果、なんか足りないなーとか好きじゃないなーとかちょっと隙間あいてサイズ合わないなー、、、といった日常のプチもやもやの解消が早いこと早いこと。
好きなものに囲まれた生活に拍車がかかったような気がします。


3、自分とは違った新たな仲間が出来る、人生の選択肢が広がる。
社会に出ると、出会いが減る。という話をよく聞きます。
私は、まずは自分の気になることや好きなことがある場に行ってみる。そこには共通のテーマで話が出来る人が少なくとも一人はいるはず。と思っています。何か一つでも興味のあることでアンテナを張っていると、話がしてみたい相手と自然と巡り会う確率は高まると思っています。

CLの学生も一つ同じテーマで集まってはいるものの、バックグラウンドは千差万別、学生時代の友達や仕事の同僚とはまた違なる存在です。
普段話をしていても「知らなかったーー、そうは考えたことなかったーー」ということばかりで。ソーシャルグラフが広がりインプットされる情報のバラエティが増えたことで、この先どう生きようかな、とかキャリアどうしようかなと考える際の選択肢が広がったように思います。

一例として、ゼミには文化人類学を学部時代から専攻していた同期がいるのですが、彼が語るトピックは毎回興味深いものでした。彼の影響で、本屋さんの社会学系ブースに立ち寄ることが趣味になりつつあります。

そんな彼の研究はこちら。共感できる部分も多いものの、自分とは違う視点でとても面白い。

追伸:卒業から半年以上経つ今でも、ゼミの同期や先生と食事に行くし、私たちの後に入られたゼミ生の方々やCL生との繋がりも絶えず今でも皆さんのプロジェクトの話を聞くのが楽しいです。


4、仕事の息抜きになる。生活のバランスが意外と整う。
私は社会人3年目のタイミングで入学しフルタイムで働きながら、平日の夜と時期によっては休日に大学院に通う生活をしていました。
この2年間「仕事もしながら大変じゃない?」と聞いていただくことも多かったのですが、個人的には働きながら通うことで相乗効果が生まれていたなーと思っているので、大変という感覚よりかは、両方あって良かったなと思うことの方が多かったです。

大学院でのインプットを仕事のアウトプットで活かせたり、仕事でミスって多少落ち込んでも夜の大学院では失敗を全力で肯定してくれる文化があるので翌日にはけろっと出来たり、昼と夜で違う脳みそを使っていたので大学院がリフレッシュになってたように思います。
自分の価値を複数の尺度で測れる環境を作ることは、常にご機嫌でいるためのポイントなのではないでしょうか。

ちなみに、参考程度に一番バタバタしてたなあと思う時のスケジュールは記憶辿るとこんな感じだったかな。

私は本業が時間も場所も問わないフルリモートだったので、隙間時間で業務調整しながら、フリータイムや休日を使って大学院の課題に取り組んでいました。修論執筆期間以外は遊びや旅行も制限せずバランスを見ながら楽しんでいたので、窮屈はしなかったです。

ただ、美大だからこそ出席必須の授業や授業以外でもグループワークや個人ワークが高頻度で要求されるので(しかも突然に!終わりなく!)、スケジュール通りいかないと思っていた方がいいかなとは思います。
今ではまたかーと流せるようになりましたが、入学当初はこの急にやってくるTODOへの耐性がなく、行き場のない憤りを抱いては不機嫌になっておりました、、、。

5、学割。いい年になって学生気分が味わえる。若返る。
美術館や映画館、そして新幹線や定期。かなり恩恵を受けました。学割はシンプルに嬉しいです。

そして、美大ならではの修了制作展。学校のキャンパスに閉じこもり、黙々と必死に制作をする期間は結構楽しかったです。
ここ数年誰かと一緒に、対面で何か一つのものを全力で作る機会ってあまりなかったので、この感覚懐かしいなと高揚感のある日々を過ごせました。

部活帰りに同期とかわす「また明日ねー」のやりとりほど純粋で無垢で貴重なものはないと思っている類の人間なので、久々の学生気分存分に楽しみました。

今戻れるなら、こうする!と思うこと

今世界がデザインに求めていること、潮流に敏感になる。
修論も書き終えて、展示も終わりに近づいた頃にじわじわと実感したことではあるのですが、研究テーマの社会性はもちろん、自分がどういったポジションでどんなレンズで、デザイン領域のこれまでの潮流を踏まえ何を専門として研究するのか、は自分なりに納得できるまでもっともっと熟考しとけば良かったなと。(ベテラン研究者としては当たり前のことではあるとは思うのですが、未熟な私にとってはやってみての大きな気づきでした。)

今回私はサーキュラーデザインやサービスデザインが対象となる研究だったのですが、もしかしたらもっと大きな枠組みで考えても良かったのかも?違う視点の方がユニークだった?など卒業した今でも考え続けてます。自分の研究自体は胸を張って価値あるものだと思っているものの、もっと早くからデザインの歴史を深く知り、その上でデザイン領域の中でもこれから先どのようなポイントに掘りがいがありそうなのか?と言う視点を持って研究に取り組めていたら研究内容や結果自体も変わっていたのかなと思います。

最後に

つらつらと書こうと思えば、まだまだ出てきますが一旦こんなところで。
また時間が経った頃にでも追記していこうと思います。

ここまで長文読んでいただきありがとうございます。
少しでも、みなさまの新しい挑戦の後押しになることを祈って!


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