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伝説の書店員とワラグル

『さわや書店』という書店をご存じでしょうか? 東北、盛岡の書店さんなんですが、ここは出版関係者は誰もが知っている書店なんですよね。

出版関係者で「そんな書店知らねえよ」という方がいたらモグリか某国のスパイでしょう。

なぜ一地方の書店がそれほど有名なのか。それはこのさわや書店発のベストセラーが数多くあるからです。

例えば『思考の整理学』という一冊があります。これは出版されて20年以上経ったある日、さわや書店の松本大介さんという書店員さんがその魅力を再発見され、こんなPOPをつけました。

松本ポP

『もっと若いときに読んでいれば、そう思わずにはいられませんでした』

それがきっかけで100万部になり、今では200万部を超えるベストセラーになりました。

さらには『文庫X』はご存じでしょうか? これは『殺人犯はここにいる』という本に出会ったさわや書店の長江貴士さんが考案したものです。

殺人犯はここにいるはハードなノンフィクションです。普通に売り場に並べるだけでは売れない。だから題名も著者名も隠し、「どうしてもこの本を読んで欲しい」という長江さんの熱い気持ちを書いたコピーを表紙にしました。

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その熱意と斬新な企画に全国の書店員さんが賛同し、文庫Xはベストセラーになったのです。

さわや書店からはベストセラーが次々と生まれる。その噂が広まり、全国的にも有名な書店になったんです。

その礎を築いたのが、さわや書店の伊藤清彦という書店員さんです。残念ながら去年の二月に他界されてしまいました。

伊藤さんはこれまでまったく売れていなかった作品を発掘し、それを仕掛けて全国的なベストセラーにしました。

『天国の本屋』『だからあなたも生き抜いて』とかがそうです。だからあなたも生き抜いては260万部超えですからね。

乙武洋匡さんの『五体不満足』も伊藤さんが仕掛けていたそうです。五体不満足は発売当初全然売れていませんでした。

1998年の秋に発売されたんですが、四ヶ月経って年を越してもまったく話題にならなかった。五体不満足って480万部超えの作品ですよ。日本のベストセラーランキングの4位です。

それが初版6000部で出版社からも期待されず、当初はうんともすんとも動かなかったなんて信じられないですよね。

ですが伊藤さんは、五体不満足の魅力にいち早く気づきました。それから乙武洋匡さんのテレビの出演日をチェックし、一番反響のありそうな日に狙いを定め、その三週間前に五体不満足を出版社から注文して冊数を確保していたんです。

そのテレビで火がつき、五体不満足を一週間で1200冊売ったそうです。それが契機に500万部近くを売り上げる作品になりました。伊藤さんの鑑識眼の凄さがわかるエピソードですよね。

さらに百田尚樹さんの『永遠の0』を発掘したのも伊藤さんです。永遠の0も最初は売れていませんでしたが、伊藤さんがきっかけで600万部を超える作品となりました。

その多大な功績と実績から伊藤さんは、『伝説の書店員』と呼ばれています。

そんな伊藤さんと僕はちょっとした関係性があります。

それは『廃校先生』という作品がきっかけです。

2017年に発売した小説で、僕の中では自信作でした。これは素晴らしいものが書けた、と心から満足できた作品です。

編集者さんや書店員さんからの評判も上々で、これは売れると期待していたんですが、まったく売れませんでした……。

当時それが本当に胸に堪えたんですよね。廃校先生は教師もので、廃校になる小学校の一年を、それぞれの登場人物の視点から描いたものです。

たしかにストーリーに起伏も展開もなく、どんでん返しも伏線回収もあっと驚くギミックもない。どちらかといえば地味な作品でした。売れるジャンルではぜんぜんない。

それでもこれは書きたいし、作家として書かなければならないと思ったんです。学校とは何か? 教師とは何か? それを小説として表現したかった。現代の『二十四の瞳』を目指しました。

ところが結果は惨憺たるありさま……まあ重版はしているので合格点はなんとかクリアできたんですが、この手の作品は今の読者に求められていないと激しく落胆したんです。

廃校先生がこの結果ならば、もう自分の想いや気持ちをストレートに表現した作品は書けないなと。

プロの作家ですからいくら自分が書きたくてもマーケットが求めていないものを書くわけにはいきません。

もう今後はこういう王道ど真ん中の作品は書けないなと思っているとき、「廃校先生は本当に感動した。2017年のベストだ」と伊藤さんが激賞してくれたんですよね。

当時の伊藤さんはさわや書店を退職され、岩手の一関の図書館で勤められていました。

もちろん伊藤さんがどういう方かは僕でも知っています。伝説の書店員に褒められた、としおれかけていた心が復活しました。

それからも伊藤さんは僕の作品を読んでくださり、そのたびに感想をくれました。

これは一度会って直接お礼を言わなければと常々考えていたのですが、やっとその機会が訪れました。岩手の一関図書館に行かせていただき、伊藤さんとお会いしました。

そのときにいろいろ貴重なお話をさせてもらいました。「廃校先生はもっと売れないとダメだ。周りは何をしているんだ」と伊藤さんが怒られ、それを作者に言われてもという感じだったんですが、素直に嬉しかったです。

結構深い話もさせてもらいました。印象的だった伊藤さんの言葉があります。

「昔自分がやっていたような売れ筋ではないけど魅力のある本をすくい取って、ベストセラーにできる時代ではもうないです。そういう時代は終わったんです。つまりそれは、書店員としての自分も終わったということです」

静かなまなざしで淡々とそう語られた伊藤さんの姿が、今も脳裏に焼きついています。

その際伊藤さんに悩み相談をしました。現状文芸小説(特に単行本)はミステリーか女性作家さんが書く繊細なタイプの作品がメインとなっていて、僕が得意な王道ど直球なやつが小説のマーケットとして求められていない。

ミステリーも好きなので、それならいっそミステリー作家に振り切った方がいいんじゃないかみたいなことです。

すると伊藤さんは、「ミステリーや他のジャンルの作品はいろんな作家が書けるけど、浜口さんの作品は浜口さんにしか書けないものだからそれは捨てないで欲しい」と答えられたんですよね。その言葉が奇妙なほど胸に染みました。

伊藤さんとお会いしたあと、さわや書店さんにも行かせてもらいました。文庫Xの長江さんや、店長の田口幹人さんやお世話になっている書店員さんにご挨拶させてもらいました。

「さっき伊藤さんに会ってきたんですよ」と田口さんに伝えると、田口さんは心底嬉しそうな顔をされていました。それで伊藤さんがどれほど尊敬されていたいたかがわかりました。

残念ながら松本大介さんとは会えなくて、それが心残りのまま盛岡を去りました。

それからしばらくして、伊藤さんがお亡くなりになられました。突然の訃報に言葉も出ませんでした。もう伊藤さんに自分の小説を読んでもらえないのかというのが、何よりショックだったんですよ。

そのとき、さわや書店の田口さんからこんな写真が送られてきました。伊藤さんの図書館で展示されているものをわざわざ送ってくださったんです。

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廃校先生を、『人間が好きになる本』として伊藤さんが紹介してくれていたんです。

人間が好きになる本……まさに自分が廃校先生を書くときに目指したものがその一言に凝縮されていました。

これを見た瞬間、思わず目頭が熱くなりましたね。泣きそうになりました。

伝説の書店員かっこよすぎるだろ、と地団駄を踏みたくなるくらい感動しました。こんな最高の置き土産ありますか? たしかに廃校先生は売れなかったけど、書いて良かったと本当に思いました。

それからしばらくして、小学館の編集者さんと打ち合わせすることになりました。その際、僕はある企画とワラグルの話をしました。

前者の企画は正直ヒットを狙えると思いました。マーケットもあるし、今の読者のニーズにマッチしている。

一方ワラグルは、ずっと漫才師の話を書きたいと思い長年あたためていた企画です。でも正直今は書く気が起きなかった。

というのもお笑いがテーマの小説というのは、読書を親しむ層とは微妙にずれている。お笑い好きと読書好きってマッチしない。しかも僕が書きたかったのは、賞レースを戦う売れない若手芸人という王道ど直球のお話です。これもまた、今の小説の読者が求めていないものです。ベタで展開が読めるの一言で片付けられて終わりです。

ワラグルは放送作家十年、小説家十年の自分のキャリアの集大成の作品になるのはわかっていました。作家生命がかかっているといっても過言ではない。

そんな一世一代の勝負作が、廃校先生のようにこけたらと思うと中々決心がつかなかったんです。もう少し後で書いたほうがいいのではないか。そう考え、編集者さんにはもう一方の企画を推していました。

ところが編集者さんは、「お話を聞いていて浜口さんが本当に書きたいのはワラグルの方だと思いました。その作家しか書けないものを書いたとき、作品はもっとも輝きます。ワラグルは浜口さんしか書けない作品で、私はそれを読みたいです」と。

自分にしか書けないーーまさに伊藤さんと同じことを編集者さんがおっしゃられたんです。

そこでワラグルを書く決心がつきました。

全身全霊を込めて書きました。若手芸人の漫才にかける気持ちや想いを文に載せました。天国の伊藤さんが読んで満足してもらう光景をイメージしながらキーを叩きました。

何度も何度も編集者さんと意見交換し、改稿を重ねました。その結果、自分も編集者さんも納得のいく作品になりました。

とはいえまだ作り手二人が満足しているだけの状態です。第三者の意見はわかりません。

すると編集者さんから、出版社の人間にワラグルの原稿を読んでもらい、その感想が届いたというメールがきました。

とんでもないくらい熱い感想と絶賛のメールでした。よしっと思わず拳を握りしめましたね。そしてその末尾の名前を見たとき、えっと目を疑いました。

松本大介ーー。

そこで思い出しました。それはさわや書店の松本大介さんです。松本さんはさわや書店を辞めてどこかの出版社に就職されたと聞いたんですが、それが小学館さんだったんです。

その松本さんがワラグルの感想を一番に送ってくれ、しかも松本さんがワラグルの販売促進の担当になってくれることになりました。

以前さわや書店を訪れたとき、松本さんにだけは会うことはできませんでした。

田口さん、長江さん、その他の書店員さんとは会えたのに残念だなあと思っていたのに、その唯一会えなかった松本さんが勝負作であるワラグルを絶賛してくれ、しかも担当になってくれる。

さらに松本さんは伊藤さんの弟子のような存在です。松本さんの本にも伊藤さんのことが頻繁に出てきています。

ちょっと運命的なものを感じないですかね。これは伊藤さんが繋いでくれた縁だと思いました。

そして松本さんがこんな凄い案を考えてくれました。

『幸福のゲラ』

ゲラとは本になる前の原稿のことです。本の発売前に書店員さんに読んでもらい、みなさんに推してもらうためのものです。

そこで松本さんは、『不幸の手紙』ならぬ『幸福のゲラ』というのを考案しました。著者名を隠し、ワラグルのゲラをなるべく多くの書店員さんの間で回し読みしていただこうというものです。

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まさにさわや魂、伊藤魂が受け継がれたアイデアです。さすが松本さんだなと感心しました。

書店員さんの多大なご協力もあり、ワラグルのゲラはたくさんの書店員さんに読んでいただきました。この場を借りてお礼をさせていただきます。本当にありがとうございました。

ワラグルはまだベストセラーにはなっていません。ですが伝説の書店員・伊藤清彦の魂がこもっています。

私には、私には見えます。(急にスピリチュアルになった……)

12月は、ワラグルで描かれた若手漫才師達の最後の決戦がはじまります。

ワラグルも勝負のときです。できるだけたくさんの人に読んでいただきたい作品です。みなさま何卒応援よろしくお願い致します。

あと松本さんとはワラグルがベストセラーになった暁には、一緒にお酒を呑んで伊藤さんに献杯しようと約束しています。

そのときが来るのを祈って。

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