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棟方志功〜その男の絵は龍のあくびが如し〜

左目は失明した。
残された右目も極度の近眼で、ほとんど見えない。

それでも。
その男の右目には見えていた。
板の向こうに穏やかに佇む、あるいは荒ぶりながら躍動する仏の姿が。
彼の右手が板の上に浮かび上がらせるその姿に人々は息を呑み、鼓舞され、時に頭を垂れた。

「大和し美し」。
この国が古来より持つ原初の美しさと神々の姿を柔らかで大胆なタッチで板の上に刻み、西洋一辺倒だった当時の美術界に風穴を開けた男。

版画家、いや、その男の言に倣うなら「板画家」、棟方志功。

1927年、秋、東京。
後に「世界のムナカタ」、そう呼ばれる男が、まだ何者でもなかったところから、物語を始めよう。

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「ワだば、ゴッホになる(俺はゴッホになる)」
敬愛するゴッホのような画家になると宣言し、故郷の青森を飛び出し上京して3年。

24歳の棟方は唸っていた。
6畳の部屋を真ん中で仕切った3畳ほどのスペースには、せんべい布団と画材道具を除けば何もない。
古いアパートの窓は、閉めても隙間風が入ってくる。

「あぁあ!」
持っていた帝展の結果通知を投げ捨て、畳に大の字になる。ひんやりした冷たさが、畳から背中へ、這い上がってくる。

これで、4年連続だ。
4年連続、帝展落選。
帝展に入るまで故郷の土は踏まない。
身の程知らずだったか。
張った意地の報いか、この4年の内に父は亡くなり、死に目にも会えなかった。

「うるせぇぞ!」
仕切りの布をめくり上げ、同室の山下が怒鳴る。
顔に、油絵具がついている。
この男も自分と同じ、画家を志して上京してきた。
歳も同じで、同胞であり、ライバルだ。
このアパートにはそんな連中が集まっている。

「肥溜めみてぇだ」
思わず、そんな言葉が口をつく
「あぁ?このアパートがか?まぁ、そうさ。お前、また落ちたって?」
デリカシーのない男だ。
だから24にもなって女の1人も出来ないのだ。
「うるせぇ。俺は考えとんだ」
「何をよ?無駄無駄。4回も落ちりゃ充分じゃ。意地張っとらんで、はよ、故郷(くに)に帰れ」

「……。去年、川上澄生先生の版画を見た」
「国画創作協会展の『初夏の風』か。あれりゃ、真似れんぞ。だいたい、油(油絵)も入らん奴に、版画ができるか」

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「やってみんと分からん。俺はもっとこう、大きな絵を描きたい。眠る龍が目覚めるすんでの、大きなあくびみてぇな」
「はっ。誰が龍じゃ。このめくらが。お前、※1はな子からも言われてたろ、デッサンがなってねぇって。ゴッホ気取るのもいいけどな、ちったぁ、絵を勉強しろ」
※1 橋本花。志功の同郷の後輩

「今の絵は、西洋かぶればっかりだ。偉い先生達だって、西洋を真似てる。俺はもっと別の光あるものを描きたい」
「日本の絵画はヨーロッパから10年遅れとる。それを取り戻し、追い越すことが、これからの絵描きの使命じゃ。てめぇの才の無さを時代の流れのせいにするなよ」
「違う!そんなんじゃない。俺は描けるんじゃ」

「そういうことは、帝展に入ってから言え。※2チヤちゃんも可哀想じゃ。こんなバカ、いつまで待ってても、うだつのあがるものか」
※2 赤城チヤ のちの、志功の妻。

チヤの笑顔が浮かんだ。
菩薩のような、柔らかく、溶けてしまいそうな笑顔だ。

「うるせぇ!お前に、何の分かるか!」
気づいた時には、山下に飛びかかっていた。

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ここで時計の針を少し進めよう。
志功と山下が狭い部屋で取っ組みあっていた秋から3年。
1930年、春、青森。
ここから物語を再開する。

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善知鳥神社の境内の桜は満開だった。
時折ザッと、風に揺れて舞っては、可憐な嵐を起こす。
いや、揺れているのは、震えているのは、自分の足か。
ぐっと、手を握りしめた。
彫刻刀を握る時さえ、こんなに力は込めない。

目の前に、チヤがいる。
少し俯いて眉を寄せている。
困った時の表情だ。

桜が何ほどのものか。
チヤの方が美しい。
嘘なものか。
俺にとっては…俺にとって…

「早くして。話って何?わたし、戻らないと。今日は早番だし…」
「あ、あぁ。悪い…」
言葉が、出ない。
簡単なことだ。
すぐ済む話だ。
なのに、なぜなのか。
絵なら、伝えられるのに、もっと艶やかに、饒舌に。

ふと顔をあげてチヤがこちらを見る。
「そういえば、言ってなかったね。帝展、おめでとう。入選、したんでしょ?」
「あ、あぁ」
「でも、今年はまたダメだったんだって?」
ふふ、とチヤが笑う。
「……」
「…。ね、どうしたの?今日変だよ」
「いや、何でもねぇ。話なんてねぇんだ。呼び出して悪かったな」
チヤに背を向けて歩き出す。

別に。
別に、今日でなくてもいいさ。
いつだっていいことだ。
もう少し、生活の目処が立ってからでもいい。
いや、その方がいい。
だいたい、桜の下で伝えたいなんて、かっこつけすぎだ。俺らしくない。
そんなんじゃなくていいんだ。

「ちょっと待ってよ。ちゃんと話してよ。あったんでしょ、話」
足が、自然に止まった。
風が止む。
揺れていたのは、やはり自分だったか。
振り返ると、チヤの周りだけ、花吹雪に見えた。

「綺麗だ」
思わず、言葉が漏れた。

花吹雪から抜け出して、ゆっくりチヤが歩いてくる。
目の前まで来ると、思い切り、頬を引っ張られた。
しかも、両側。
「何ですか、それは。色んな女(ひと)にそんなこと、言ってるの?」
「バカ言うな!」
「そう、じゃあどういう意味?」

まっすぐ、カヤを見つめた。
勝気な言葉と裏腹に、何故か泣きそうな顔をしていた。
その顔を見たら、自然と言葉が出た。
さっきはどうしても、出なかった言葉が。
「俺と、一緒になってくれ」
ふふ、とチヤがまた笑う。
それが観音様のようで、ありがたくて、あたたかくて、愛しくて、頭を下げた。拝むように。

「分かった。いいよ」
「な、本当か!?」
「その代わり、約束して」
「……」
「これからは、わたしに誰より先に見せて。棟方志功が作る、かつてない芸術を」
「俺が作る、かつてない芸術?」
「そう。見せて、くれるんでしょ?」
チヤを見つめる。
「任せとけ」
そう、胸を張った。
自信なんてなかった。
でもこの野に咲く花のような人に、自分の仕事を見ていてもらいたいと思った。

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一世一代のプロポーズではあったが、少しだけ、後日談を加えると、その後も、志功の生活は安定せず、2人が東京中野で共に暮らし始めるのは、これから3年後のこととなる。

その頃の2人を少し、覗いてみよう。

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ちゃぶ台にダン!と空の封筒が置かれる。
「どういうつもり?ここに入ってたお金は子供のミルクを買うものでしょ!」
「新しい板がどうしても必要で、今が正念場なんだ。※3柳先生も『大和し美し版画巻』を褒めてくれた」
※3 柳宗悦

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「分かってます。でもそれとコレとは別でしょ!ちよゑはあなたの娘なんですよ?子供にお腹空かさせて、自分は贅沢に絵ですか?板ですか?それで子供のお腹がくちますか!?」
「贅沢とはなんだ!俺は一生懸命やってる!」

「呆れた。子どもですか?あなたは。一生懸命やってる?当たり前でしょ!それがあなたが選んだことなのだから。いちいち威張らないでください」
「威張ってなんかない!お前がケチをつけるからだ」

「ケチなんてつけてません。あなたが子どもの為のお金にまで手をつけるからやめてくださいと言ってるだけです」
「それがケチと言うんだ。だいたい言ったのはお前だろ」
「何をです?」

「俺にしか作れない、芸術を見せてみろって、そう、言ったんじゃないか、お前が。だから俺は…」
「私のせいですか?子どものお金を使って勝手に板を買うのも私が言ったせいですか?」
「……」

「お願いだから、がっかりさせないでください」
「どういう意味だ」
「あなたは自分がわたしを選んだと思っているかもしれませんが、いいえ、違います。わたしがこの人と決めてあなたを選んだんです。だから、だから、あまりがっかりさせないでください」
「………」

「…ミルクのことは、俺が悪かった…」
「いえ、私も口が過ぎました」
「焦ってたんだ。今やらなくては、忘れられてしまう。自分の作るもの、作るもの、全てがダメな気がして、早く作らなくては、誰にも上塗りなどできない俺だけのものを…けど焦れば焦るほど、何も、何も、出てこないんだ…」

「……大丈夫ですよ」
「簡単に言うな」
「いいえ、言います、言わせてください」
「板のことなど分からんくせに」
「そんなこと、分からなくたって、分かるんです。あなたは棟方志功です。私が信じた人です。だから、大丈夫なんです。そう、決まってるんです」

「………呆れた奴だな、お前は」
「言っておきますけど、柳先生はお褒めになったかもしれませんが、私はあんな作品くらいじゃ、満足できませんよ。あなたは、もっともっと凄いものが作れる人です。早く見せてくださいね」

子供が泣き始めた。
チヤは駆け足で居間へ戻っていく。
その背中に言う
「だから、簡単に言うなと言ってるだろ」

チヤが立ち止まり、振り返る
「簡単に、言いますよ。だって、簡単でしょう?あなたは誰ですか?それを、忘れないでください」
ふふっと笑うと、今度こそ本当にチヤは走って行ってしまった。

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棟方芸術を代表する傑作、『二菩薩釈迦十大弟子』が生まれるのはこれから1年後のことである。

そのあたりの話は、1963年に私が行ったインタビューで、彼自身が振り返っているので、紹介しよう。

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私:「この度は藍綬褒章受賞、おめでとうございます」
志功:「いや、そんな、あれはね、私なんかが貰うのは畏れ多い話で、本当に」

私:「先生、目の具合はいかがです?」
志功:「目はもう、ちっこい頃から近視で、よく見えんかったから、今はもう、左目は見えなくて、でも右目が残ってるから。右目だけで板は彫れる」

私:「先生が第11回国画会展に出品した、版画《瓔珞譜(ようらくふ)大和し美し版画巻》、あの作品の緻密さと躍動感には驚かされました」
志功:「なんとねぇ、まぁアレも私が33歳の時だから。あの作品で柳宗悦先生らとも知り合いになって、ありがたいことです」

私:「日本民藝館に買い上げられたんですよね。柳宗悦先生からは、思想的な影響も受けたとか?」
志功:「他力の心ですな。もう板に己の何かを彫りつけるっちゅうんじゃなく、ただ板の中におられる仏様に向かって拝むように彫るわけ。私は私でなくなるんです」

私:「先生の技術と、思想的な充実が結実して生まれたのが、『二菩薩釈迦十大弟子』ですね」

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志功:「私はもうただ無我夢中で、ホトケサマの手足となって転げ回っていただけです。そうしたら、あの作品が生まれていた。生ませていただいたわけです」

私:「『二菩薩釈迦十大弟子』は第3回サンパウロ・ビエンナーレでも高い評価を受けました。世界にムナカタの名が轟いた瞬間でした」
志功:「何も轟いたりはせんです。そんなものじゃない。ただ、私は、この国は美しい、この国に満ちる、有象無象の光と柔らかで名もなき形を刻したいのです」

私:「先生の制作スタイルについてお伺いさせて下さい。先生は板に非常に顔を近づけて彫りますね」
志功:「そりゃもう、見えんからね。でも、仏様の声が聞こえるから、それはもう、近づけば聞こえるんですよ。あぁここを彫ればいいんだなと、私でもわかる。導かれて、動かされて、そうして形ができていくわけです」

私:「傍目からは、先生自身が一心不乱に彫っているように見えます。しかし先生自身は、あくまで内なる仏の声に従って動いているだけ、ということですか」
志功:「そうね、まぁ、私もたまにテレビなんかで自分が彫ってるのを見ると……いやなんとも、恥ずかしいもんです。でもそれが私の仕事ですから」

私:「先生のご活躍には、チヤさんの支えもあったかと思います」
志功:「そうです。チヤがいなかったら、私は全然ダメです。だから私の彫ったものは半分は仏様のもので、半分はチヤのものです」

私:「ご結婚当初は生活もなかなか大変だったとか」
志功:「チヤは青森にいて、私は東京でしたから。それで私がシャッキリせんもんだから、結局、チヤを東京に呼ぶのに3年かかってしまいました。それから中野に住んだのですが、お金はありませんでした」

私:「それが今や、世界のムナカタです。世界中のファンが先生の作品を楽しみにしています」
志功:「ありがたいことです。でも、私は私の手で彫れるものしか彫れません。自分の手足以上のものを望めば声は途切れ、姿は霞む。ただそこにあるもので充分です」

私:「これから挑戦してみたいテーマなどはありますか」
志功:「………。そうですな、龍の、あくびですかな。ハハッ」
私:「龍のあくびですか?それはまたどうして?」
志功:「なに、ちょっとした意趣返しですよ、36年越しの」

私:「36年、ですか。先生がまだ20代の頃ですね。その頃、先生は油絵も描かれていました」
志功:「いやー、帝展に落ち続けていた頃です。懐かしい」

私:「版画をやるか、油絵か、それで悩まれていた時期かと」
志功:「版画はあの頃、飯を食うんでやるもんじゃなかった。なんというか、趣味というか、そういう感じが強くて。まぁでも、私は1つ、これに賭けてみようって思ったんです」

私:「怖くは、なかったですか?」
志功:「はぁー、どうでしたか。あの時はもう、チヤも子供もこっちに呼んで、夢中でしたから、覚えとらんです。でも、こう、身体中、ワクワクしたのは覚えてます。これから、新しいことが始まるっていう」

私:「ご自身が、版画の新しい時代を作るという意気込みでしょうか」
志功:「いや、もっと個人的なもので。とにかく心浮き立ちました。いいものに、出会えたと。感謝しとります」

私:「帝展に落ちていた頃は、不安などはなかったのでしょうか?」
志功:「不安はなかった。ただ…ハハッ。よー、喧嘩はしてました。若い気の、持って行きようを知らんかったから」
私:「喧嘩、ですか。穏やかな先生からは想像がつきません」
志功:「いやまぁ、恥ずかしいもんで、人間が成ってなかったっちゅうか…何か、掴めそうで掴めない、見えそうで見えない、もどかしさがありました」

私:「先程、『龍』というお言葉がありましたが、まさに20代は先生の「蟠龍」の時代、地でとぐろを巻き、天に駆け上がる力を溜めていた時期ですね」
志功:「そんなかっこいいもんとも違います。ただ、もしそうなら、天から私の手を掴んで、引っ張り上げたのはチヤです。彼女は全く……」

志功:「……なんちゅうんでしょう、なんちゅえば、いいんですか。全く、彼女は…困った女です」

そう言って、彼はこのインタビューで一番の笑顔を見せた。
その笑顔が畳の上でひっくり返っていた名もなき男を世界の「ムナカタ」にまで押し上げた理由の全てを、語っているように私には思えた。

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