琳琅 第二号より、「ヴァン・ダ・イールー渓谷の民」武村賢親

 情けないことに、私はつい先程まで、ヌェラを男だと思いこんでいたのである。というのも、男は外へ仕事に出て、女は家で家事をする、という都市での固定観念が抜けきっておらず、外へ狩りに出るヌェラのことは、背が低いだけで、当然男であると思っていたのだ。

 彼女の短剣捌きは正確の一言に尽きた。研究室では石工用の鑿と槌を使ってやっと割れた硬い鱗だったが、彼女はまるで木像を掘っているかのような滑らかな手つきで次々と鱗を剥いでいっている。そうか、割るのではなく剥がせばよかったのか。

 鱗の処理が終わるとその身を半分に割り、腸を抉り出して焚火にくべた。半分にした身をそれぞれ骨で作られた細長い串に刺し、火の前に立てて焼いていく。このトカゲは今日、再び狩りに同行した私が捕獲した初めての獲物だった。そして、ヌェラの性別に気付く切掛けともなる、重要な役割を果たしてくれたのだ。彼らの真似をしてこしらえた出来の悪い罠に後ろ足をとられてもがいていたところを生け捕りにしたのである。

 ここに来て七回目となる今日の狩りは途中から降り始めた雨によって中断された。雨に濡れてしまうと塗り込んだ香油の香りが弱まってしまい、獲物を誘導することができなくなるのである。戦士たちは何カ所かに仕掛けた罠の確認のため、それぞれ違う方角に散っていった。私も彼らに倣って見様見真似で作った不格好な罠を確認しに、茂みの裏を覗きにいく。どうせなにも掛かってはいるまい、と半ば諦めていた私は、上手く作動したらしい蔓の罠に絡まってもがく、黒い爬虫類を発見したのだ。

 あいつだ! 踊り出しそうになった心を抑え込みできそこないの罠が壊れないうちにと、革鞄からペンとメモ用紙を取り出し、ただひたすらに観察した。トカゲはその太く長いやすり状の尻尾を激しく自分の身体に叩きつけ、火花を散らして威嚇するのである。一所懸命にスケッチをとった。夢中になりすぎて自分の置かれている状況を忘れていたほどである。上体を起こして自分を大きく見せる威嚇ポーズは他の爬虫類と変わらないようであるが、大きく開いた口には他のそれとは明らかに異なる大きな牙が二本生えていた。

 研究室に持ち帰った検死体には、このように大きな牙はなかったはずだ。

 もっとよく観察しようと、反撃を警戒しながら首の後ろを狙って手を伸ばす。あと少しで奴の死角に届く。覚悟を決めて筋肉を弛緩させた瞬間、突如、茂みを鳴らして現れた影によって私は身体ごと隣の繁みに突き飛ばされた。指先はトカゲの鼻先を掠めただけに終わり、気付けば奴の首後ろを掴むはずだった右手は、私に覆いかぶさるヌェラの肩を掴んでいた。突然の出来事に呆気にとられ、仰向けに倒れたまま立ち上がれずにいる私に、彼女はものすごい剣幕で怒声を飛ばした。それは彼女が初めて見せた警戒以外の感情の色だった。

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