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一遍の詩がある展示場-はちどり。すべての、白いものたちの-

韓国映画「はちどり」で、もっとも印象的だったのはパク・ジフさん演じるウニの頬でした。光を受け、つるつる輝く。そこから、韓国の詩人ハン・ガンさんの作品「すべての、白いものたちの」を連想してしまいました。淡々と流れる深く激しい感情にも、どこか共通しているものがあります。

「はちどり」は十四歳の少女ウニの目線を通して時代の転換期を描いた作品です。ウニの日常に生じる数々の亀裂と、後半に登場する聖水大橋の崩落を繋げたストーリーは、大きな喪失感を観るものに与えます。物語は一九九四年が舞台となっており、脚本も担当したキム・ボラ監督が十三歳のころと重なります。丁寧につくりこまれた背景から当時の様子が伝わってくるので、我がことのように受け止めるのは容易でした。理不尽な物事に囲まれていた時期なら、少なからずわたしにもあり、その息苦しさがウニの世界へ誘ってくれたように感じられます。

「はちどり」において、もっとも重要な存在、それは孤独なウニに共感を示してくれるヨンジ先生です。ヨンジ先生は、ある日突然、ウニの通っている漢文塾に現れます。漫画好きという共通点によって、ウニは心を許します。ヨンジ先生もウニに好感を抱いているのがそれとなくわかります。しかし、ヨンジ先生は多くを語らず、容易に他者と距離を詰めようとはしません。そんな姿からは強い信念のようなものすら感じられます。わたしの解釈ですが、その信念は、言葉をかけても届かない誰か、すなわち、もう亡くなってしまった誰かに対する想いなのではないかと思います。意味を選ぶこと、伝えるべきときを、相手を選ぶこと、そうしたプロセスを経て口に出た言葉は、詩となります。壊れかけたウニと友人の関係を修復するため、おもむろにヨンジ先生が口ずさんだのは「切れた指(잘린 손가락)」という意味深な歌詞でした。

そして、ハン・ガンさんの詩も、もう何も返ってこない相手に対して送られた言葉という印象を与えてくれます。わたしがはじめて手にしたハン・ガンさんの作品「すべての、白いものたちの」は、文字どおり白いものについて綴られた文章が並んでいますが、そのほとんどが死者への、特に生後二時間で亡くなったというハン・ガンさんのお姉さんへの記憶に満ちています。韓国から遠くワルシャワで滞在しながら、かつてナチスに破壊された街並みに想いを馳せる語り手(作者)は、出会ってきたすべての死者にしんしんと哀悼を捧げ、詩情の源泉を知らせてくれます。

団地の壁。首を覆うガーゼ。タバコの煙。新しいスケッチブック。「はちどり」の中にも、意味を託された白いものたちが登場します。ウニたち家族が総出でお餅を仕込むシーンがありますが「すべての、白いものたちの」でも、お餅(タルトック)についてのページがありました。

数種類の白を使いわけたハードカバー版の装丁は余白にも味わいがあっておすすめ。右は原書版です。

わたしが「はちどり」で一番好きなシーンは、ウニが彼氏にあげるカセットテープをつくっているところ。手書きの漫画をスリーブに貼り、マイクをスピーカーに近づけてrec! そこでかかるのは、マロニエの「カクテルラブ(마로니에   칵테일 사랑)」という当時のヒット曲です。九十年代の前半に韓国ではレゲエが流行ったようで、そうした側面も垣間見えます。

パク・ジフさんといえば、NewJeansの「Ditto」のMVに出演して話題になりましたね! 

つい先日、オークラ出版より、映画「はちどり」のシナリオやキム・ボラ監督のインタビューなどが掲載された書籍「はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録」が発売されました。一読し、わたしが膝を打ったのは、共感をテーマに物語をつくりあげていったという箇所でした。わかりやすいストーリーを持たない作品にもかかわらず、すべてのシーンから目を離せない。その秘密が実にシンプルな原則によるものだとわかり、嬉しくなってしまいましたね。
ここ数年の話題作(特にA24関連作品)には、従来のハリウッド映画然とした明確なストーリー展開を拒否した作品が多く、わたしはそこに現代社会に対して価値観の変革を促す力がはたらいていると思っています。個人(主人公)の挑戦と成長とカタルシスでは解決に近づけない問題の多さに、わたしたちは気づいているのかもしれません。
最後に「はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録」から、キム・ボラ監督とアリソン・ベクダルさん(※)の対談に出てきた、素敵な言葉を引用させていただきます。

あなたが誰かを攻撃したり、相手のせいにしたりしないから、相手が自らの過ちに気づくのではないでしょうか。



(※)グラフィックノベル作家。『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』で有名。ちなみに、本文最後の言葉は、この方が言ったものです。「少女の日常を描いただけの2時間40分の映画なんて誰が見る」と、キム・ボラ監督を非難したある人物が、のちに謝罪してきたエピソードをめぐるやりとりの中で出てきました。


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