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ひとつの世界でバランスを保つ

こちらの記事を読んで頭を整理してみようと。
矛盾するような感じ方を自分の中に共存させて前向きな日常を送る。これに今の私は苦労しているのかなと思った。


記事を読みながらいくつかの場面を思い出した。

ある日の診察室。
「人の集まるところに行けないんです。もっと具体的に言えば男性のいるところに行くのが不安で、女性だけの世界なら行ける気がするけど…。」
「でもそんな世界はない…?」
「はい。」
私はうなずいて、”つまり外に出られない”という全く不甲斐ない自分を医師に説明した。悔しくてのどが詰まり、また涙が出るぞと体が警告してきたので反射的にそれを抑える。
「理屈では彼らを怖がる必要もないし、何も起こらないと分かっているけど、嫌に思う感覚や感情のコントロールが出来ないんです。」
出来るだけ平静を保ちながら、何かの妄想を信じ込んでいるわけではないことを説明した。私はこの医師を信用しているので、正確に状況が把握できるように頭を整理して話したかった。
でも何もないのを把握しているのに一体なぜ外に出られないのか、私の頭はぐちゃぐちゃで分からなかった。

あるよく晴れた日、居間から窓の外を見ている。
訪問看護士が訪れた日で、挨拶をして見送った後だった。面談が終わったらすぐに出かけるつもりだったのでもう準備も整えてあった。
目的の場所までの道のりを想像する。記憶を刺激するだろういくつかの景色、ごちゃごちゃと行きかう人、スーパーの混みあい方と騒がしさ、すごく遠いように感じた。
行きたくない、怖い、行きたくない、怖いもの!今日はやめようか…。
でも本が読みたいし、買いたいものもある。気持ちのいい天気だし、綺麗な景色沿いに歩けば気分が良くなる。すれ違う人はこの時間なら皆のんびりしていて変なやつはいない、私を意識なんてしていない。一歩出れば簡単で、終わったら何でもなかったと思うに決まっている。いや、そうなることを私は知っているんだ。
かばんを持ってスタスタ玄関に行き、手袋をしようと手を伸ばした。
私の手が震えているのを見た。もう片方の手も同じだった。薄いつるりとした生地の手袋は何度も滑り落ち、はめられなかった。
悔しくて体が熱くなり、かばんを持って居間の窓辺に戻った。
私が家を出られたのはそれから2時間以上経ってからだった。

ある日友人とファミレスで話し込んでいた。
体調を崩した私を心配して遊ぼうと彼女が誘ってくれた。会話が弾んで気が付いたらしっかり夜になっていた。
こんな遅い時間に帰るのは久しぶりだと思うが大丈夫だろうか。夜はいつも不安になるから、自分のコンディションを上げるため速攻イヤホンを耳に突っ込んで、お気に入りの曲を再生しながら帰った。
彼女のつらかった過去や理不尽なコンプレックスを聞いて涙が出そうだった。私を褒める彼女に私だって同じだよと言った。
こんなに優しい人に”ありがとう”しか言えなくてどうしようと思った。
通っていた事業所の近況報告がなんともしょーもない話で、可笑しくて水も飲めずに笑っていた。
・・・ずっと思い出していた。
空は暗くて大して星も見えないが気持ちのいい夜だと思った。コートを着ていても顔に当たる風は冷たかったが、それも心地いいと思った。気分の悪くなる地下鉄からいつ外に出たのだっけ。気にもしていなかった。
家についたのは22時過ぎで、嫌な記憶をあふれさせる地雷はいくらでもあったはずなのに、ひとつも引っかけずに私はベットにたどり着いた。
私はまだこの世界を楽しめると思った。

世の中や人がどんな醜悪なものになり得るか、それは記憶としてもそこから繋がる知識としても知っている。望んで手に入れたものではない。
同時に自分がこの世界には幸せを感じる可能性がたくさんあって、書き出せないほどに優しくて温かくて大切だと思う瞬間があることも知っている。それらは私が自分で獲得していくもので、そう出来ることも知っている。

両極端な性質はこのひとつの世界の中にあり、もっと言えば私の脳ミソの中で存在しているとも思える。⑴
安全だが安心できない時間、安全ではないが安心できる時間。捉え方次第というよりも、やはり同時に同じひとつフレームの中にあると思う。
そこを善と悪、ポジティブとネガティブをバランスを取って受け入れて進む、健全な人たちがいる。私はどこか遠くからそれを見ている。
そんな矛盾だらけの、うにゃうにゃしたものを私は受け入れられず混乱する。バランスもとれず子供が遊ぶシーソーのようにカッタンカッタンやっている。

言語化できないイメージでしか浮かばないのだが、ところどころに光るものがあるさらさらの砂をすくい上げるように受け止められたらいいな、と思う。自分だけの配合のそれを、穏やかに興味深くなんでもないことのように。

何言うてるか分からない日記ですね。読んでくれてありがとうございます。


⑴人の記憶力やその方式は結構違うと最近知りました。ちなみに私は新しいものや印象に残るものは音声つきの映像で残ります。また聴覚過敏の実験くらいしか知りませんが、人の感覚を数値化するとみんな違うようです。だから曖昧な表現ですがこんな風に思いました。


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