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私のはじめての相手は41歳のおじさんだった。24歳差。それは素敵な思い出。

わたしの初めては24歳も年上だった。初めての経験だからってみんなきれいなわけじゃない。

出会いはSNS。現代社会においてSNSで出会うのは別にもう珍しくない。
私は高校生の時海外留学していたから、友人を作るのがすごく億劫ですごくさみしかった反動で、SNSで日本語を話す男性とコンタクトをとっていた。

そんなとき、41歳のクリエーターの彼とであった。

彼はいつも自由だった。すごく優しく、いつも真剣な彼は、本当に人間として魅力的だった。今でもすごく尊敬しているし、彼は本当に素敵な人だと思う。

41歳の彼。17歳の私。「付き合うこと」が何か私にはわからなかった。

最初の私たちの会話は、電話で映画の話、「the road」という作品が当時の私はとっても好きで、彼とその話ですごく盛り上がった。私はこの作品に思いれがありすぎたのか、この話について彼が話す感情をどうしても理解できず号泣してしまった。

この後も定期的になんども電話をするようになった。毎回、彼の言葉が心に刺さることばかりで本当にその電話する時間が楽しかった。彼の声はいつも優しかった。彼と話す時間が好きだったし、私にとって癒しだった。

私は長期の海外留学をしていたから、彼に会うとか最初は考えてなかった。その学生時代に特有な感じの「付き合ってください」「よろしくお願いします」みたいなものはなかった。だけど、お互い相手の感性や表現方法に次第に惹かれていたのかもしれない。

実は言うと最初は年齢を知らなかった。彼のことを仕事をしている社会人としか知らなかった。だから41歳だと聞いた時には驚いた。でも私たちの電話をする関係はかわらなかった。


12月。冬。渋谷。初めて彼に会った。

彼に初めて出会った。こんな寒いというのに、彼は半ズボンに革靴。すこしぽっちゃりの身長173センチくらい。ひげが生えていて、黒いしっかりしたふちの眼鏡をしてた。天然なのかな?頭はパーマしてた。お世辞にもそんなにかっこいいとはいえないかもしれない。

私の年に一回の帰国。私の地元は東京じゃない。ドキドキと不安、楽しさを含めた少しだけの東京の生活。東京という空間に刺激を感じていた私には、彼のインパクトや抵抗感はそんなになかった。逆に、彼の世界はこういう世界でまた私は違う文化の国に飛び込んだ気がしていた。

彼は東京に住んでいたので、日本に帰ってきたときに、初めて会った。

彼は、いつも真剣でいつも優しかった。たぶんこの彼との関係はいままで誰にも話したことがない。彼はクリエーターで映像や広告、建物や企業のコンセプトに至るまでたくさん手掛けるフリーランスだった。正式な名称は調べたら出てくるんだろうけど、当時の私が知っていた彼の肩書はこれ。まったく何をしているおじさんかわからなかった。ただ変な人。だったのかな・・・?でも、自由に見える、そんな彼の生き方はとてつもなくかっこいい。私とは真逆だった。夢のような感じだった。

確かに今考えれば41歳の彼が自信がない生き方をしてる。そして社交性もないとかだとびっくりする。彼は、言葉や映像を使っていろんな仕事をしていた。大人に期待を持てていなかった当時の私にとっては、彼が大人の見本だった。当時の私にとって、彼はとても魅力的だった。まるで彼がすごい世界をこの社会に作り出しているのかのように。


最初のデートは普通のお店。ちょっとがっかりした。

当時の私はお店にがっかりした。今では昔の私が恥ずかしいけど、外食をするならいいお店とかしか行ったことがなかった。実家はそんなにお金がないわけではないし、特に自分がごはんが好きだったせいかみんなが想像する”the和食”的なお店にしかいったことがなかったのだ。だって好きだったし、ちゃんとしたお店で食べる機会がもともと多かった。だから、男の人に連れてってもらうとこはこういうとこはありえない。って生意気なことを思っていた。

「え・・近いですね」

席が近すぎて、彼との距離感がいきなり近くてびっくりした。言っちゃいけない言葉を言ってしまった。彼は嫌の顔を一つもせず、普通に笑って流してくれた。声だけとは違う彼の存在を現実に感じるというか、とりあえず、びっくりした。この感覚はSNSで新しい人と会ったことがある人ならだれしも感じたことはあると思う。

でも、いったん話を始めると、電話をしているときの私たちに戻った。やっぱりすごく楽しかった。話が止まらなかった。

やっぱり彼との時間が好き。私は彼と初めて話したときそう思った。おじさんだけど、ぶっちゃけ見た目はそんなかっこよくないけど。彼が魅力的だった。

ご飯の後は、ちゃんと送ってくれる、そんな男性としては当たり前のことかもしれないその彼の行動を一つ一つにドキドキした。


そんな彼と会うのは半年に1回。私が帰国したとき。

日本にいるときは会えるように努力した。あんだかSNSで人と会ったことに抵抗感というか引け目を感じている私は、彼との関係を誰にも言えなかった。

私のお家は地方の中でも結構固い価値観を持っているお家。女の子は勉強をしなくていいからいい旦那を早く見つけなさい。お花屋お習字が出来る子の方がいいのよ。そんなことを言われるのは普通だったから、この彼のことは打ち明けることができない。私の中だけの彼だった。

私たちは、別に体の関係を求めてるわけでもなく、おしゃべりして、はぐして帰るくらいだった。ハグは挨拶の一環みたいなものだと思っていた私にとって普通の友人の仲いい人っだと最初は思っていた。

4度目の会う日私は、ホテルを取らずに彼に会いに行った。すこし淡い期待をしていたのか、ただ単に時間がなかっただけなのか。取れなかったら当日の夜そのまま空いているビジネスホテルに行けばいいと思っていた。


そんな41歳の彼との初めての夜。

私は処女だということを隠していた。というか、厳密によくわからないことだった。その当時は。

渋谷の裏のラブホ街。そこに行く過程で若い女のことがきもいおじさんとお金のやり取りをしているところをみてしまったり、ドキドキだった。東京の発展している部分にドキドキする中、私たちはホテルに入った。

だいぶいいモードになってきて、私達は幸せだった。でも私はしたことがなかったのだ。

「痛い。」

最初は上手にできなかった。誰だって女の子は最初はそう感じるのだろう。気持ちくなるのは慣れてきたとき、きっとそう。何度か試し方が私は痛くて拒んでしまった。処女ではないと彼に言っていた私は、今では素直に言っておけばよかったなと。彼には申し訳ないことをしたと思っている。

「大丈夫だよ。」

彼は私を責めなかった。ぐっすり彼の腕枕で寝たのを覚えている。ぷにぷにのお腹は、大きかった。それが私のすべてを受け入れてくれるように。大きかった。

全部覚えてはいるけども、ここで書くのが恥ずかしくなったからもうすこし大人になったときまた機会があれば書きたい。

それ以降彼は私を夜には誘わなくなった。普通に待ってくれるって言ってくれた。でも自分はすごく人間的に幼かった。だから彼の気持ちを理解することはなかった。


そんな私は大学生デビューした。そして彼よりキラキラする生活を求めてしまった。

そんな私は留学をしていたおかげで、東京のある大学に入学することになり、一人暮らしをすることになった。

大学はもう最初からキラキラしていた。初日からいかに仲いい友達をつくるか、ある程度の私立大学に入ったおかげか、裕福な暮らしをしている子が多かった。だからこそ、安易な考え方かもしれないけど、私もきらきらしたくなった。ワイワイしたかったし、そこに呼んでくれる友達もできた。

だから、彼の存在はだんだん小さくなっていってしまった。私に特別だと思っていたことが特別でない。日常にもあり得るんだと思うようになった。

そんなチープな考え方をするようになった私は、そんな集まりの中。大学に入って一か月で、告白された。彼は外車で迎えに来てくれる。いて楽しい。

今となれば大学生という生活への夢を抱きすぎたのかもしれない。41歳のクリエーターとの彼と自然と連絡をしなくなってしまった。


今でも時々彼に話を聞いてほしくなる。だって彼は特別な言葉をくれるから。

そんな感じの私の初体験。今思い返すと少し寂しい。だけど、だれにも今でも言えないけど、幸せな私の思い出の一部。彼とは連絡を取ろうと思えば、全然とれる距離感にいる。そんな今では連絡をしないのだけれど、、

今は、彼の作品をたまに町で見かける。そんなとき、彼との短いけど濃い関係を思い出し、過去の私の幼さをさみしく思う。

3月は、そんな彼の展示会の季節だ。

毎年行くのだけれど、彼は必ず私を見つけてくれる。そして彼は言ってくれる。
きれいになったね。

彼と人生の方向性は、まったく違うのかもしれない。でも頼り切っているかもしれないけど、人生にいろいろまよったり躓いたりしたら、彼にラインしてしまう自分がいる。そんなとき絶対に優しく、またアドバイスをたくさんして応援してくれる彼。年齢や外見なんて関係ない。彼との思い出。

彼のことをどんなに大人になったとしても私はきっと忘れないと思う。

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<最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。不快に思わせてしまった方本当に申し訳ないです。
 恥ずかしい経験談ですが、私はこの過去をすごく気に入っています。彼に出会えたことを幸せに思います。
 もしよければ、コメントとかにこの話を読んでどう思ったか、どう感じたかを教えていただけるとうれしいです。>

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