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ブラボー優子ちゃんと戯曲上のメリークリスマス

これは、長友佑都と僕における、熱い友情の物語。

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最近、どんどん古い交友関係が復活してきているのだが、先日、舞台芸術専攻時代の友人である優子ちゃん(仮名。いまは一般職で働きながら作家活動も続けている)とZoomをしていたところ、「書いてる戯曲があるなら読ませて!」と猛プッシュをうけた。

僕としては久しぶりにそんなことを頼まれて、若干面食らった。しかし、なんだかんだで悪い気はしないので承諾。現在書きかけの戯曲にくわえて、完成済みの『林檎にとって美とはなにか』を送った。

すると、翌日もう読み終わったと連絡がきて、再びZoomで話したいと言うので日程を調節。お互い独り身だったため(いや、知らないけど。想像です、ごめん)クリスマスの夜がその日となった。

で、肝心の感想なのだが、これがうれしい誤算、『林檎にとって~』についてたいへん細かい解釈と共に伝えてもらえて、「これほど読み込んでくれるのか!」と不覚にも感激してしまった。

個人的に、うまく書けたとは思っていなくて、以前の記事『「林檎にとって美とはなにか」とはなにか』にも「納得する出来にはならず無念だった」と残したのだけど、単純な僕は彼女の精密な解釈を聞いているうちに「これってもしかして、けっこうイイ線いってるのでは……?」なんて考えが頭をもたげてきた。

とはいえ、冷静になってみればわかりきったことだが、優子ちゃんが最大限に僕の戯曲に寄り添う努力をしてくれた結果があれで、その他大勢の人に同じように受けとめてもらえるかというとまた別問題だと思う。でも、うれしいのはうれしいのだ。ずっと上演には消極的だったけど、いつかやってみたいと思えたくらい。

調子に乗って、彼女に「あれ、感激したから文章にして送って!」とダメもとでお願いしたら、さらにバージョンアップした【考察】と書かれたファイルが手元に届いて、その並々ならぬ熱意、そして僕のために割いてくれた時間と労力に、何と返信していいかわからず小一時間フリーズした。

と同時に、僕にはできない芸当だと思った。僕は、他人の作品に対して自分なりの解釈や感想があってもそれが的外れだったり、あるいは当人の癇に障る指摘をしてしまったらどうしようと考え、無難な言葉を伝えることに終始する。もちろん劇評を書くとなったら別だけど、僕のこうした姿勢に比べて優子ちゃんの覚悟の決まりっぷりときたら……。

それもこれも、相手へのリスペクトがあってなせる業だろう。大学時代、いつも全身全霊、本音でぶつかってくる彼女に「暑苦しいな……」と感じるときもなくはなかったのだけれど、最後にはすべての言動に感謝したくなるようにもっていくあの凄まじいパワーは、僕にとって尊敬の対象で、そのストイックさを含めて作家というより、公明正大なスポーツマンシップを発揮するアスリートに思えることのほうが多かった。

そう、優子ちゃんは「ブラボー!」と叫ぶ長友佑都であり、彼女と芝居をする中で見た光景は、ほんの少し前にサッカー日本代表が見せてくれた「新しい景色」そのものだった。

ありがとう、長友。独り身とか言ってごめん。平愛梨がいるもんな。

冗談はともかくとして、優子ちゃんは男に自信を持たせられる女なので、「いい女」だと思う。いまのご時世、こういう類の発言はよくないのかもしれないが、実際そうなのだから仕方ない。普通に彼氏がいる可能性はあるし、いなくてもそのうちすぐできる(余計なお世話だ)。

僕は、君と一緒に過ごしたクリスマスの思い出を胸に、これからもがんばります。

ありがとう、長友。いいや、優子ちゃん。

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