いつもできるだけ笑っていよう
もうすっかり大きくなってしまった子供たち。幼いころは私が一人で出かけようとすると泣きながら追いかけてきたのに、今ではどんなに誘っても一緒に来ない。いろんなオプションで釣ってそれでもしぶしぶやっとやっと、しぶしぶ私と付き合ってくれるという今の状況。
すっかり幼いころを懐かしむことになってしまった。
ある本の中で見つけた言葉。
「いつもできるだけ笑っていよう。笑いは薬より安くつく。」
ブレイン・プログラミングから。
即座にこの個所にピンと来て、付箋を立てた。
そして今日、しみじみと思い出した。
長女の幼稚園での初めての参観日。私も人生で初めての親としての参観日参加。
長女は大半の子たちが年少から入園する中、年中で入園した。もうすっかりお友達関係が出来上がっているかもしれない中に、ちゃんと入っていけるかな。親としてとっても心配だった。
実際、私は幼稚園など、集団生活に、ずっとずっと恐怖(ちょっと大げさな表現ではあるが)を感じてきた。幼稚園が嫌で母にしがみつき、幼稚園の門の前で担任の先生に押さえつけられ、泣き叫びながら見ていた、自転車で去っていった母の後ろ姿を、今でも鮮明に覚えている。
そんな私だったから、そんな私の子供だから、どんな幼稚園生活を送るのか、いろんな親としての勝手な心配があった。
子どもが入園する前に、その幼稚園の様子を見に行ったとき、自分の幼稚園時代を思い出して、とてつもなく苦しくなったことも思い出した。
私の心配をよそに、彼女は彼女の幼稚園生活を本当に心から満喫している様子だった。
その参観日はお母さんの似顔絵を描きましょう、というものだった。
彼女は私をニコニコしながら見つめた。
担任の先生が「お母さんのお顔触ってみて。どんな感じ?」と子供たちに促していた。
娘は私のほっぺたをニコニコしながら触って、言った。
「ママのほっぺた柔らかい。ママ、笑って。笑ってるママが好き。」
幼稚園という集団生活の中に久々に、ただの参観日参加とはいえ、いろんなお母さんたちがいる中に、身を置いて、私はきっととても緊張していたんだと思う。(私はそういう人付き合いが得意とは言えないタイプの人間である。)
今になって思えば、彼女は私のその気持ちを感じ取ってくれていたんだな。
ニコニコと無邪気に、私にそう言ってくれた彼女に、ウルっとしてた。
今は、思い出してこの文章を打ちながら号泣している。(笑)
子育てのさなか、どれだけ何をやっても終わらない、そしていろんな人間関係。心から笑えたこと、あまりなかったかもしれない。
本を読んで、過去を思い出し、もっと笑って子どもたちと接してあげればよかったと、後悔がいっぱい突き上げる。
どんなに後悔しても時間は取り戻せない。
私は私で一生懸命だった。
子どもたちをいっぱい遊ばせてあげたい、満足させてあげたい。後悔のないように。
そのときはそのときでそう思っていた。
そしてそう思うあまりに、自分が爆発して、どれだけ私が頑張れば、あんたたちが満足するんだと、怒りをぶちまけたこともあった。
私の時間を奪うな。私にも私のやりたいことがあるんだと、パンパンになって爆発して、発狂したことも数知れなくあった。
過去は変えられない。そのときそのとき、真剣に生きてきたことだけは嘘じゃない。真面目過ぎた故だったのかなと、こうしてアウトプットしながら振り返る。
もう、私がいなくても勝手に行動できるくらいにみんな成長してくれた。
私は過去の思い出から、後悔したことを引きずり出し、これからどう生きていくのが本当に自分の人生を全うすることにつながるのかを日々模索し続けていきたい。
まとめとして、生まれてきてくれてありがとう。そして無事、第一志望合格おめでとう。もう、お母さんがいなくても困るということはなくなった。どんどん自分の未来を自由に切り開いていってね。
私は出来るだけの応援をしてあげられるように、まずは笑顔でいるということを心がけます。
「令和も笑顔で」と美術の作品に書いていた言葉。
ここでも、私は彼女から、笑顔でいてね、とメッセージをもらっていたことを思い出した。
追記
以前ももしかしたら書いたかもしれないこの内容。
同じ思い出も、そのときそのときで、切り口、思い出すことが微妙に変わってくるなと思いました。
何度でも何度でも、きっとまた書きたくなる内容かもしれません。
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