見出し画像

過食の罪悪感を昇華(消化)する

いつも通り昼ごはんを食べたあと、歯磨きもして、リラックスしてた今日の昼下がり、あいつが来てしまった。

そう、「なんか食べたい」衝動である。

結局今日のところは、そいつに負けて、久々にかなり爆食?過食?してしまった。

その行動と胃の中のものを昇華(消化)させるために、今この文章を書いている。

一旦冷静になるために、何を食べたのか、振り返って整理してみよう。

【お昼】
インスタントスープ
ゆで卵
納豆
さつまいも
パルテノヨーグルト

ここまでは良かった。軽め。

【その後】
さつまいも
セブンのミックスナッツ一袋
米粉のりんごケーキ1切れ
プルーン1つ
ブラックチョコレート1つ
さつまいも
キッシュ(大きめ1切れ)

うん。こんなところだ。

立て続けに食べた。

気づけば1時間以上は食べ続けてたようだ。

「何か食べたい」から始まり、「でもやめとこうかな」とか色々葛藤したあげく突き進んで「色々食べちゃった」っていう事態は月に何度か発生する。

「何か食べたい」衝動、そいつはいつやってくるか分からない。

ここのところ調子よく食事管理できているな、と思っていたかと思えば、そいつは突然音もなくやってきて、私を襲い、めちゃめちゃにしていく。

「何か食べたい」のときというのは、頭の中が食べ物でいっぱいになる。

食べ物に関する思考の流れのようなものがものすごい勢いで押し寄せてくる。

次はあれ食べたい、あれ食べたい、あの食感が欲しい、これと合わせて食べたい、そんな具合だ。

「食べる」という行為よりも先に、脳の「食べたい」という思考が先走ってるような。

今日なんかは、「なんか食べたい」から始まり、

→「ああ、家にりんごが入った米粉のケーキがあったなあ、でも甘いもの食べるより一旦ナッツ類食べて食欲を落ち着かせるか。」

→「ナッツ食べたけど、全然食欲落ち着かない。脳裏にある米粉のケーキが頭から離れない、甘いの食べたい。」(たぶん粉物感も欲しかったのだと思う。)

→結局普通に食べる。(こんなんだったらナッツとか食べずに始めからケーキ食べときゃ良かったと後悔。)

→「チョコレートの食感が欲しい。(←分かる?この、チョコの“食感”が欲しい!となる気持ち)」

→チョコ1切れ食べる。

→「なんかこれで終われない。ああもうなんかいいや、食べちゃえー。」

→またさつまいも食べる。

→「どうせなら食べる日にしちゃえ。昨日の残りのキッシュが冷蔵庫にある。冷えてカチコチだけど、そんなのどうでもいいか。温めたる猶予とか今はない。何でもいいから口に入れたい」

→冷え切ったキッシュを食べる。

このあたりで、急に満腹を感じるようになり、ストップする。

リアルに脳の中こんな感じ。

今は落ち着いて、今度は血糖値の爆上がりで超眠くなりながらこのnoteを書いてる。

この愚かな一連の行為に費やした時間があまりにも生産性に欠け、「無」なので、自分を許すためにも、せめて文章にしてこの経験や、時間を何かの「生産」として昇華したいというわけだ。

なんか書いてて自分でもよくわからなくなってき。とりあえずここで終わろう。




いいなと思ったら応援しよう!