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あってもなくても幸せってどういうこと?【ジブンのこと】

足るを知る、って言葉ありますよね。

「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しています。

これは古代中国の思想家、老子の言葉
だそうです。

ヨガ哲学の中にも「足るを知る」という意味で「サントーシャ」という言葉があります。

なんでいきなりヨガ哲学かというと、
私の愛用しているCITTA手帳はヨガ哲学に基づいて青木千草さんが考案した手帳で、千草さんのヨガ哲学の話が面白く、そこで「サントーシャ」のお話を聞いたのをよく思い出すんです。


その時のお話で千草さんが、

「『足るを知る』ということだけれど、例えばあなたの大好きなものがあったとして、これがあったらめちゃくちゃ幸せ!というものだったとして、それがあったら幸せ、でもなくても幸せ、ということなんです」

って言われました。


それを聞いたときは、はい??
と思いました。

これがあったら幸せ!!ってものならあって幸せ、はわかるけど、「それがなくても幸せ」とは??


その時のエピソードで、20代の息子さんを亡くした方の話をしてらして、
「その方が息子さんを亡くした時に本当に自分も死のうと思ったそうなのだけれど、「千草さんが『サントーシャ』の話をされてたのを思い出してああこういうことかと思った」と言っていた」と。

それを聞いてますますわからなくなりました…。

もし私が息子を亡くしたら、亡くなっても幸せなんて思えるのかわからない…。


でも、
もちろんいまだにまだそこには達していないと思いますが、昨日の記事を書いて、

ああ昨日書いたのってちょっとそれに近いかなって思いました。


どんな状態でも今を見つめれば幸せ、って。

たとえば今日も観光施設に行ったのですが以前と違って整理券入場になっていて、私と夫は入れなくてもいいかと思ったけど息子が入りたいというので整理券をもらい、入場時間まで時間潰していたところ、やっぱり行かないと息子が言い出しまして。

いつもだったら、行くと言ったから整理券もらったのに、あとちょっと待てば入れるのに、とか、行ったらこんなことがあったのに、とか考えてモヤモヤモヤモヤしていたのですが、

その時は、行っても幸せ、行かなくても幸せ、となぜか思いました。


そう思えたら、お昼ごはんに名産をたまたま食べられて。入場待ちで時間を潰していたら食べられなかったタイミングでした。

でも、食べられても幸せ、食べられなくても幸せ。


あー、、「足るを知る」って、執着しない、ってことなのかなあ…。


執着することなんて全然ありますし、もし息子を亡くしたらそんなこと言っていられる自信はありませんが…。
今日出会えた気づきを大事にしたいです。


一人で考えていてもモヤモヤしてしまう方、夢に向かって行動したい方、子育てについて誰かに聞いてみたい方、うちの子は発達がゆっくりかなと悩まれている方、一緒にお話ししませんか。

自閉症スペクトラム・ADHDの小学6年男児の子育てしています。小学校支援員、発達サポーター、コーチングプレイス認定コーチです。

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