[第1回] 変革のDNA
見出し画像

[第1回] 変革のDNA

リンエイ株式会社は、岐阜県に本社を置く自転車関連アイテムの商社。
「商品開発力」「サービス提供力」「現場主義」の3つの営業コンセプトに基づき、サプライから商品開発まで手がけています。
オープン社内報RINZINE(Rinei Interview Magazine/リンジン)では、
リンエイで働く人、リンエイに関わる人に、熱い思いを語っていただきます!


記念すべきRINZINE第1回にご登場いただくのは八代勝治社長、八代宗太郎部長。リンエイの行動指針「挑戦し、行動し、変化しつづける」に寄せる経営者親子の思いとは?

ある日突然「ウチも変えるぞ」

画像5

――八代部長が様々な社内改革に取り組む過程で、お父様である八代社長と議論を重ねたと伺っています。

八代部長(以下 部長):社長は覚えているかわからないけど、私が入社してまもない頃に二人で「どんな企業が生き残れるのか」について議論をしたことがあったんです。最初は「やっぱり売上じゃないか」と話していて、最終的に「いや、変われる企業だ」という結論になった。社長の考えと自分の考えがリンクしたなと思って、非常に印象に残っています。社長がずっと言ってるダーウィンの進化論のとおりで、時代に対応していく企業が生き残るんだと。そうだよなと。その体験があって私の中で踏ん切りがついて、色々な改革の提案につながったと思う。さらに今は、起きてしまった変化に対応するのではなく、変化に先回りして対応していく企業を目指しています。

入社1年目のころはまだ隣の旧社屋がメインで、倉庫に棚もない、商品在庫は雑魚置き、2名の社員だけがどこに何があるかを覚えていた。超アナログで、そこはずっと気がかりでした。サービスが重視される業界だし、スマートフォンが普及しはじめて情報媒体はどんどん進化する兆しがあり、レスポンスの速さがカギになると感じていたので。

そう伝えても、社長は初め「(システムの改革は)5年先だな」なんて言ってたんです。社内の人間がついてこれないからという理由でね。人情派なんです。それが、ある日突然「よし変えよう!」って。とある九州の得意先を二人で訪問したんですが、そこで「2000坪の倉庫で在庫管理するシステムに変えたおかげで、棚卸しも速いしサービスも向上して売り上げが伸びた」という話を聞き、その瞬間に社長が「ウチも変えるぞ」と。すごくフレキシブルですよね、エビデンスがあればすぐ考えを切り替えられる。そこからはどんどん投資していきましたね、棚を入れて検品を機械化して。

八代社長(以下 社長):いいんじゃないですか、息子は息子で目標に対して何が必要か、どう変わらなきゃいけないかを考えてやっている。私にはできなかったことをやったなあ、と思います。若い人は自分の経験からじゃなく、会社をこうしたいっていう、大きな目標から下がってきて今何をやるかを考えるのがいいね。

――社長ご自身も二代目として様々な改革をしてこられました。

社長:時代は違うが、私も自分がこの会社に入ったとき、このままではいかんと、問屋が生き残るための条件は何かと考えて、全国制覇を目標に東京や大阪に売り込みをかけました。とにかくお客さんが満足するにはどうしたらいいか、「商品は必ず翌日着きますよ」「欲しい物がいつでもありますよ」という状態を目指して常に変わっていくことが必要じゃないかと思ってね。

大学を卒業して3年間商社に勤めた経験がプラスになったと思います。東南アジアや中国で商売をして、日本だけじゃなく世界中を相手にできるとわかったし、そのための必要条件は相手が喜ぶ、相手が欲しいものを一銭でも安く提供することだと知った。商売の基本を学んだんです。まずは相手に与えること。一所懸命与えたら必ず返ってくるから。1番になるとかじゃなく、とにかくお客さんが喜んでくれる企業になりたい。そこなんです基本は。「どや!」と威張っていては商売はできない、かといって卑屈になることもない。


図書館みたいなシステムをつくれ

画像6

――八代部長は、入社前から数々の改革案をお考えだったのでしょうか?

部長:いいえ、ぜんぜん。現場の状況を見てからです。現状を調べていくなかで感じたのが、戦略を立ててアウトプットするという習慣が社内になく、市場調査で出張するのも、社員の間では「なんで?」という空気がありましたね。パート社員を導入したときも、最初は「(商品のピッキングが)パートさんにできるわけない」と思われていた。でも、やってもらったら、できた。3日で空気が変わりました。

商品のロケーション管理をしようというのも、パート社員、もっと言うとスポットの派遣社員で仕事が回せるようにしたいというのが理由です。日本では2065年まで人口減少が続くのが確定していて、シルバー人材さえ採用が難しい。だから在庫管理を完全にシステム化して、自動で出荷指示書が出て、指示書を見れば誰でも商品を間違えずにピックアップできるようにする必要があった。それで、図書館をモデルにして、誰でも10分で即戦力になれる物流システムを目指せと号令をかけました。投資金額はかなりかかりましたが…。

社長:どんな人でもできる方法を、彼(八代部長)がつくったわけ。今日来た人でも番号を見れば、この商品は3階のどこどこの棚にあるとわかる。私もそれを見てなるほどなあ、と思いました。コストはいいんですよ、他にいらん金を使うくらいなら。アメリカなんかではもっとすごいことをやっている、日本は、人間が取りに行くぶんだけまだ遅れているね。


「固定概念は怖い」と聞いて育った

画像6

――社員のみなさんに変革を受け入れてもらうために、どんな施策を?

部長:会社を変えるには、変革者と、理解者と、賛同者が必要です。変革者が私で、当初、理解者なんているはずない、自分でやりきるしかないと腹をくくっていた。実際に社内の抵抗はかなりありました。でも、先ほどの九州での一件があって、社長が一人目の理解者になってくれた。それをきっかけに理解者が増え、変革に対して一緒に行動してくれるようになって、賛同者が増えていった。一つ結果が出ると抵抗は薄れてきて、そこからは移動休日制の導入や社則、定款を変えるときも周りが協力的になってくれました。

これからは、社内にどんどん理解者を増やしていって、ゆくゆくは変革者を増やしていきたい。そのために会議のやり方も変えて、社員それぞれが長期の目標を立てていく形に。プロジェクトをつくって社員一人ひとりが課題にチャレンジできる体制にすることも考えています。私が敵わないと思えるような変革者に現れてほしいんです。その変革者をどう創りあげていくのか、それは「挑戦し、行動し、変化しつづける。」の行動指針に則って、みんなに機会を与えつづけることだと思っています。

社長:会社は変わる、社員にも変わってもらわないといけない。「変わらない人」はダメだけど、「変われない人」は一緒にやり方を考えていく。努力していてペースが遅いだけだからね。ゆっくりやって結果を出す人は間違いないよ。パッと結果を出す人はよく失敗する。とことん考える人とインスピレーションで行く人、どっちがいいとも言えないんです。

部長:社長は私以上にインスピレーション派ですからね。

社長:いろんなところを回ると情報が入るでしょ、そこからひらめく。外に出ることです。私も若い頃はよくアルバイトをしたが、いちばん面白かったのは靴屋だね。なぜだか女性客の担当になって、あるときお客さんが2足比べてすごく迷って「どっちがいいかしら?」と聞くので「両方買われたらいかがですか?」って言ったの。そうしたら、「じゃあ両方買うわ」と。商売はこれやな、と思ったね。1足しか買わないだろうというのは売り手にインプットされた思い込み、固定概念なんだね。5000円の靴を買うのに5000円しか持ってこない人はいない、大抵10000円くらい持ってくる。迷うってことは両方欲しいから、両方買ってくれる。そう気づいてからはよく売れて、1日で48足売ったこともありましたよ。

部長:この話は小学校の頃から聞いていて、おかげで私も「固定概念は怖い」というのが染みついています。


コールド負けからの逆転劇

画像6

――社長はご自分の後継者として、八代部長を育ててこられたのでしょうか?

社長:なってくれればと思っていたけど、なれるかどうかはわからないなあと。でも、やれるんじゃないかなと思ったのはね、彼とは小さい頃から野球を一緒にやってたんですが、その姿を見ててね。あれはいい経験になったねえ。私が監督で彼がキャッチャー。ちっちゃい子ども9人のめちゃくちゃ弱いチームで、打たれたら必ずホームランになる。最初の試合は二十何対0でボロクソに負けたんだ。それでも1年経つごとに成長するんですよ。最後は決勝戦まで行ったな?

部長:地区大会だったけど(笑)。初戦は3回でコールド負け。

社長:対戦相手も嫌になってね、はよ終われやって感じだった。選手だって自分がいかに弱いか未熟だか、わかるわけ。泣くヤツもいたしね。でもね、悔しさをそこで覚えると、次はやってやろう、絶対に見返してやろうと思うじゃないですか。企業も一緒じゃないですか。目標を持って、何が目標達成の必要条件かを考えて、それが見つかったら地道に実行していく。そうしたら10年も経てば変わりますよ。弱いチームだって一つひとつやってくと、あるとき逆転の可能性が出てくるんです。

部長:私がキャッチャーをやること自体、固定概念から外れてたよね。私は体がすごくちっちゃくて、そんな子がキャッチャーをやるなんて普通はありえない。

社長:私が監督だったからね。自分の息子をキャッチャーのポジションに置くと、いちばん怒りやすいんですよ。他の子に言うところを息子に怒る、そういう役をやってもらわないといけなかったし、キャッチャーはあとの8人を全部見て、いつも計算してないといけない。いちばん大事なのは試合の「流れ」ね。勝負どころ、今やらないと遅いぞ、というのがわかるようになる。それは経営にも役立つかもわからんね。


出てこい、私を超える変革者

――最後に、リンエイのメンバーに期待することを教えてください。

社長:息子に望むことは、「この人についていけば間違いない」という信頼感を社員に与えられる人になってほしい。社員には、世の中は絶対に変わっていくから、そこを理解して対応できる人になってほしい。最初に新しいことをやると、叩かれることもある。でもそのうちみんな同じことをやるようになる。とにかく相手の得になることを見つけ出して提供したら我々の商売も儲かる、それを忘れないことです。

部長:先ほども言いましたが、まず変革の理解者になって、今度は自分たちが変革者になってくれたら非常にありがたい。リンエイの理念はそこにありますから。カギになるのは部長職ですね。私は、各部門の方向性を決めるのは部長職だと考えていて、だから今はあえて自分自身が、統括部長ではなく、各部門の部長を名乗っているんです。自分がこの部門をより良く変えていくんだ、という気概を持って。任せられると思う人が出てくれば、すぐに交代します。それにしても、社長の話を聞いてると自分はまだまだ夢の描き方が小さいな、自分、自社が主体だなと思う。「相手に与える」と言えるようにならないとね。



[インタビュー 控え室]

画像5

社長 八代 勝治
今は時代も大きく変わったけど、数十年前に初めて中国に行ったときは大変だった。帰りの飛行機がこなくて、タクシーをつかまえて陸路で香港まで行ったが、なんでこんなとこにおるんやと当局に怪しまれた。そんなこともいい経験。しかし今日はこんなに話すとは思わんかった(笑)。 

部長 八代 宗太郎
その話もよく聞いた(笑)。ふと思ったんだけど、私は父のことを「お父さん」て呼ばなかったですね。小学生のときは「監督」だったし、大学生のときはすでに「社長」って呼んでたな。リンエイに入る前でしたけど。今考えると不思議だなあ。





この記事が参加している募集

オープン社内報

岐阜県に本社を置く自転車関連アイテムの商社です。 リンエイの社員・ステークホルダーに熱い思いや日頃の活動についてインタビューする オープン社内報「RINZINE(リンジン)」を大公開中!