Steve Reich/Mallet Quartet 『Ⅰ.Fast』を聴いて
知らない街を浮遊する。
白色の電灯が道を照らしている。その道を私は踊るように浮遊する。音楽は鳴っていない。ただ頭の中では響き渡っている。
確定しているけれど不明瞭なリズムに合わせてアン・ドゥ・トロワと口ずさみながら、角を曲がる。街はとても雑多で、テレビで観たようなアジア的要素の強い風景だった。漢字の看板が無数に並び、全体的に青白く、配管が剥き出しになっているような建物が続く。
大通りには屋台の車が並んでいる。色がないその車たちは一見何を売っているのか分からない。車にもたれ掛かるようにして足先だけで空を切る。
大通りから一本路地裏に入ると、色が変わる。青白かった壁はオレンジ色になる。夕陽に照らされているような路地裏で地面に立ち、ステップを踏む。
アン・ ドゥ・トロワ。アン・ ドゥ・トロワ。
古い八百屋の前を通る。生臭い魚屋の脇で躍る。剥き出しの鶏が吊るされた肉屋の中へ入る。
どこにも人は居ない。私以外の人は街に忘れ去られた様に姿が無い。
肉屋の中は入り組んでいた。店の奥へとステップを進めて、ドアの前で一回転。するとドアは勝手に開き、道が開ける。
今度は暖色の電灯が道を照らしている。下品な黄色い電灯は空間にマッチしている。頭の中で響く音楽が大きくなる。
その変化に合わせて私はステップに変化を伴わせる。小刻みに踏んでいたものを大きく踏み出し、身体全身を使って何かを表現しようとする。
何が表現されているのか。何を表現しようとしているのか。それは私には分からない。踊っている私にしか分からない。私は私だけれど、私は私ではない。
黄色い光に満たされた壁に私の影がうつる。前に進むたびに影とすれ違い、更に前に進むとまた影が現れる。
私は影しか見ていない。壁にうつる私と踊る。
アン・ドゥ・トロワ。アン・ドゥ・トロワ。
流石は私の影だ。一寸の遅れもなく私と踊ってくれる。音楽のテンポが上がっていく。優しいマレットの音色が波のように押し寄せてくる。
右手を伸ばす。左手を上げる。右足で地面を引っ掻く。左足で体を支える。その場でまわり、しゃがみ込む。
ふと影と目が合う。すると影は私を置いて先に進んでしまった。私もステップで追いかける。
ただ追いかけて走るような無粋な真似はしない。私がそれを許さない。
肉屋の通路を進みきると、急に視界が開ける。
時間はずっと夜のまま。開けた視界には工場群が建ち並ぶ。モクモクと煙を出している工場たちの間に一本の道路がある。
道路の先には私が行きたい世界がある。訪れたいその世界のビジョンがあるわけではない。
ただ行かねばならないと私の頭が私に話しかける。その瞬間から私は囚われるようにステップを踏む。
広い大通りを、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワとステップを踏みながら進んでいく。
その様子を俯瞰で見ていた私の視界は、踊っている私にフォーカスする。ズームする。
ひらりとまわる私の姿は紛れもなく私だったけれど、にやりと微笑む口元に覚えは無い。
アン・ドゥ・トロワと口ずさむその口元は、私のものであり、私では無い。
そのことを自覚した私を、外から見ている私がいる。
気を抜くと口ずさんでしまう。
アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ。
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