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    生っぽいものに出会った時のnote

  • あの人の嫌いなもの

    話した誰かの「嫌いなもの」をまとめたnote

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京都日記

銀杏並木の下を通過すると、なんだかそのまま秋を通り過ぎてしまう気がして、思わず自転車を止めた。烏丸通り、12月。アパレルのショーウィンドウに映った自分。ウールコートを着ていて黒かった。その瞬間、この地球でいちばん目立たない存在になったらいいと思った。自己肯定とかはもうどうでもいい、ただ、世界の色を感じとれる実感が欲しい。もっと高めたい。そうじゃないと、何かを還元しなきゃっていう、紅葉が散りきって冬が来るみたいに、やらなきゃいけないことは次から次に追ってくるみたいに、でも何もで

    • まとまりのいい花束よりも

      ただひたすらわからなくて、わかりたくもない、そんな気持ちで手にした花束はいやに色鮮やかで美しかった。人に花を贈るとき、大抵は青のカーネーションを入れる。花言葉は、「永遠の幸福。」時間って、肌触りのないテーマ。 約束のできる人間に生まれたかった。瞬間風速を感じる産毛だけはやたらと敏感で、でも本当の意味での繊細さは、きっとどこかに抜け落ちてしまった。色素が薄いから無くなったことにすら気づかず、歩いていたら失ったことを気づいた3年後にはもうステージ4で、手遅れ同然と気付けばもうな

      • 花粉症になった

        はじめて、花粉症になった。今週はそれを言い訳に脳みその半分以上が機能停止していて、思い出話をしたい欲もなく、なんだかよくわからない実態も出口も見つかっていないものの話がしたかったけれど、聞こえてくるのは人の噂と自己防衛のための言い訳ばかり。一日仕事を休んだ間に、本人不在をいいことに言い訳塗れの女の愚痴が炸裂して、別日にその人から飲みの場で、〇〇さん(私)人に興味ないよね?と言われた。ないのかも。あまりないのかもしれないけど、あなたのことは、でも、人として結構好きでしたの思いを

        • 落ち込んだ時に創作するといいらしい

          俺の仕事だ、と肝を据わらせて語る人たちを見ながら、劣等感よりも先になんで?という感情が浮かんだ。完成した作品を愛でて、自分の日誌に記帳するために仕事してるんだったら全然笑えない。作品と、その作品で笑ったり傷つけた人のことを考える比重が逆転してちぐはぐになっている気がした。誰かを幸せにしたり、心から笑わせたことがあるんだろうか。きつい日に誰かに会いたい気持ちと、情けなくて引きこもっていたい気持ちの0か100で定義できない曖昧さを知って、敢えて派手じゃない答えを選んだことはあるん

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          0:52

          青くて貰ったばかりの団扇が雨に濡れてシワクチャになり、明日を仰げなくなったあの日、振り返る動作をやめて靴底を捲る。やめとけと制するその手を押し退けて、超えてしまったそこには意味のある音楽なんて一つもなくて、雨を食べる動作だけが硬さを持って食い込んでくる。逃がしたい。足に沿って形どられた影を、側から見て笑って欲しい。誰か。トンネルに木霊する水浸しの思い出を、顔から浴びて脳天に解き放つ。指の隙間から殺めてください、と叫ぶ小学生が知り合いの誰かに似ていて、思い出した途端無性に会いた

          0:16

          身が捻れるほどに聴いた、東京と名のつく曲。綺麗なメロディにため息をついては飛ばすの繰り返し。電車から流れる暗い世の中は二度と帰って来ない。人間はどこ?見つからないから地面を這うように触れて、点字ブロックに当たっては、倒れる。夕立から流れる涙が豪雨の中に飲まれて排水となり、地下の奥の金色の世界に消えていく。深夜に流れ着いた知らない土地の駅は、一つだけ街灯の灯った陸の孤島。東京にすがりつくアイツを鼻で笑い、自分の不甲斐なさを観ないふりをして眼鏡をかける。そこにはレンズの曇った霧の

          平凡な顔をしたカメ

          蕎麦のつけ汁に浮かんだ劣等感を啜りながら、顔を上げる。もっとこうしたい、上手くいかない、そう思いながら交わす会話は回りくどい。枕詞ばかりが増え、口をついて出る言葉、その全てが空虚。身体に残った、数日前のシミが錆びついていくように、細胞を虫が蝕んでいく感覚、駄洒落じゃないよ。努力とは愛することだって教えてくれたのは私の恩師で、バスケのコーチで、大好きな先輩で、その全員に出会ったから生きてるんだと思う。 正面から向き合って愛したいのに、難しいなんて変なこと。無機質なものは愛せる

          平凡な顔をしたカメ

          時間が解決してくれる

          気持ち悪い、吐き出したい。そんな気持ちで通話ボタンを押す深夜。ふだんより塩味がつよくて、胃のもたれる夜だった。何コールかの末にやっと繋がった暁、話したかったことは結局何も話せずありがとう、と呟き布団を被る。私の記憶ごと夜に混ざって、明日には消えていることを祈って眠る。なのに翌朝、太陽が完全に昇ってもベッドから起き上がれず、重い身体を横たえたまま、天井に向かって伸びるガーベラの輪郭を、ただただ目でなぞるだけの時間を繰り返す。瞼を閉じると、昨晩の光景と、指に触れたポテトチップスの

          時間が解決してくれる

          今にも雨の降りそうな空と前カゴ付きの自転車

          夢をまったく見なかった私が、ここ最近毎晩夢を見ている。大抵、それは潜在意識を表出させた物語で、眠りの浅い夜を繰り返すということは冴えた状態の頭で過ごす時間が増えることを意味して、必然的に、新しい考えや価値観に出会う機会が増えることになる。 その夜、私は自転車の前カゴに小さな女の子を乗せた1人の母親に出会った。道すがら、歩いていた私を後方から追いかけてきて、知らない人だからと逃げようとしたところを「違うの、」と引き留められる。 私は大量殺人のあったビルの事件現場から、1人帰

          今にも雨の降りそうな空と前カゴ付きの自転車

          日のない明け方と藍

          明け方に吐く息は白く、全国で積雪予報の出ている今日の空に、一夜を超えた「昨日」が昇華されていく。藍色の空の下、ぽつりぽつりと始まりゆく今日の予感が目に入ってくる。そして、どれも交わる必要のないことに安心する。耳に押し込んだイヤホンから、ひんやりとしたゴムの感触。じっとり、喉の奥へ奥へと馴染んでいく。 首都高にほとんど車のない時間、タクシーの走る夜の空に、映画の主題歌が流れる。今、脳から身体の輪郭をかたどるのはその音楽で、このまま一日を閉じたいと思う。冬に眠りたい。

          日のない明け方と藍

          朝の青とギター

          電気のつかない青い部屋の中に、太陽の光だけが差し込んで、寝転がった私に見えるのは、垂直になった地平線。ギターの音が聴こえて起きようとするけれど、そこには誰もいない。 やわらかいシーツの手触りは、母親の産毛と体温よりも優しく、数日前の柔軟剤の香りが、鼻腔から身体の奥に沁み込んでいく。 くびれが終わりのない地平線のように永遠に続いていたなら、そこに人はいるのだろうか。砂浜に立ったあの人の視線が、波の奥に消えてゆく。

          朝の青とギター

          情報容量オーバー

          メッセージが多すぎる。頼むから、自由に感じ取らせてくれよ。電車内のぶら下がり広告を見て、一日を終わりかけた脳がそう、訴える。 空白がない。自分だけの思考を馳せるスキ間がない。何か、目的のある戦術を考えることは許されても、何も無いところに浮かんだ、雲のようなきもちを舐め取り、綿菓子のように味わうことは許されない。日常的のアディショナルタイムにやることだって、そう伝える空気が一日の中には充満している。視線を上げると、そこには情報がある。ここには良い出会いがある。あなたの知らない、

          情報容量オーバー

          夢遊病者

          シナモントースト。ジョーカーの印字された、紫色の灰皿。新調したてのトップスに、煙の香りがしみこんでいく。読むはずだった本は一ページも進まず、気づいたら二時間半、話しっぱなし。年齢も名もなくなる時間の中に、日に日に居座る時間が長くなる。 途切れ目のないリモート打ち合わせ。温度のない会話の中に、生き残った人間の姿を探す。イヤホンを放り出す。顔を上げると、目の前にクリームパン。置いてくれた彼女に好きだと伝える。愛の通った話がしたい。そう言うと、北九州市の成人式をきっかけに生まれた

          夢遊病者

          海底みたいなライブハウス

          153センチ。ぺたんこのスニーカー。スタンディングライブ。アーティストの顔なんて、一度も見えたことがなかった。25歳。去年は11個のライブに行った。ほとんどが座席付。スタンディングでステージが見えるなんて、無数の偶然が掛け合わさって生まれる奇跡。目の前のニット帽が数センチ高かったら、3列先の肩がほんの1ミリ右にずれたら、女の髪がくせの強い天然パーマだったら。ステージを見るのを諦め、その日のライブは汗と熱の匂いのしみついたラジオと化す。生温い、ネオンライトの光が一筋射し込むトン

          海底みたいなライブハウス

          「正欲」を読んだ

          「お前は何でいつも受け入れる側なの?」 本当にそうだ。殺したくなった。 小説を読んでいる間、アディクションや障がい関連のYouTubeを見漁った。アディクションというテーマには昔から関心があった。どんな人でも生活のすぐ側にあるものだと思っていた。人間関係やストレスで、生きている途中にたまたま足をかける場所を間違えたら、一瞬で。あれ?あの人、いつも元気だったのに。何だそれ?あんたの話してる、その相手だって。でも、今回は少し違う話。(先天か後転かは人によるんだと思う、認知するタ

          「正欲」を読んだ

          音楽と夜の帰り道

          帰り道が一つの空間だと思うと、耳元で始まるアーティストのライブ会場を思い出す。夜の空とコンクリートの地面にサンドイッチされた私は、車道と同じ向きに引かれた白線を跨いで右に、左に揺れながら、帰りたくないなあ、「自宅」と書かれた家の方角から、できるだけ遠い道を選んで(正確には選んでもいない)通って、ふら、ふら。通り過ぎる自転車の人なんて、表情も見えない。無機質なのに夜、ライトを灯火した車が滑るように側道を走り、区切りのある坂を登って、見えない向こう側に消えていくのを見ると、私より

          音楽と夜の帰り道