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【part16】真夜中の歯ブラシ事件と両親の別居と。

人間関係なんて、お互いが尊重し合って、一緒に創り上げていくものじゃないか。

受け入れられないのであればさようなら

今考えたら失礼な話だけれど、当時私は自分で「三日後の予定が立てられない人間です」と豪語する程度には、そのタイミングの気分だけで物事を全て決めていた。

たとえ大事な人との約束であろうと気分が乗らなければ参加しなかったし、もっと悪いことに、約束した本人へ連絡を入れることなく眠りにつき、そのモードになると電話もメールも折り返しもしなかった。
感覚としては「ドタキャン大魔王の私を見放さずいてくれてる人達だけと付き合い続けていればそれでいい」だ。

だから、デートをすっぽかして「100年の恋も冷める。ありえない」と普段温厚なツレが怒りをあらわにしたとき、初めて「あ、これは悪いことなんだ」と思ったことを覚えている。

つまり私はツレに言われて自分でその過ちに気付くまで、人との関係性はすべて「私はこういう人間だから受け入れてよ。受け入れられないのであればさようなら」というスタンスだった訳である。


不要なモノはゴミ箱へ

自分を押し付けるだけでは人との関係性は上手くいかないと気付かせてくれたのがツレだった訳だけど、きっとツレは私に対して「こんなところから教えないといけないのか」くらいに思っていたに違いない。
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付き合いたてのころ、他のペアの例に漏れず私も「ツレの部屋に自分の歯ブラシが置いてある」ということ自体を、何かとても特別なことのように思っていた。
おそらくは「その空間に私がいてもいい」と許されている感覚。この人のプライベートスペースの中に侵入し、そしてそれが受け入れられている事実が喜ばしかった。

だからなのかは分からないけど、「自分を受け入れてもらえていない」と感じたとき、言葉でそれを伝えるのではなく、私は歯ブラシをゴミ箱に捨てて部屋を去っていくことをした。
それが私の「受け入れてくれないのであればさようなら」を手っ取り早く表現する手法。

でも、そのときの、ツレに言われた言葉が今でも忘れられない。
わりと付き合いたての、私がまだその関係性に自信も覚悟も持てていないころの話である。

「なんですぐシャットダウンするんだよ。
人間関係なんてものは、お互いを尊重しながら、一緒に創り上げていくものじゃないか。どちらか一方がそっぽ向いたり、自分を押し付け合うだけじゃ、一緒に居て何の意味がある。
何回ぶつかり合っても、お互いに相手を知ろうとする努力は怠るものではないだろう?」

それを聞いたとき、それまでの自分にない考え方をもらった痛みが半分。
あとの半分は不謹慎にも「私はこの人との続きを考えていいのだ」と、ツレが真剣に向き合ってくれていることに対して安心を覚えた。

私がツレとに関わらず、家族や友人と「その関係がその関係たるように努力する」ことを始めたのは、このときからだ。

きっとツレは私に対して「こんなところから教えないといけないのか」くらいに思っていたに違いない。


40年目

これを思い出したのには理由がある。
つい最近、私の両親が別居を決めたのである。

子育てが終わり、この先の父との関係性をより良いものにするために向き合いたい母と、母が何度それを伝えても、これまでと変えようとしない父。

父の浮ついた話だなんだと細かいことはあるが、つまるところ、父と母の向き合い方、スタンスの違いがあまりにも大きすぎた。

夫婦関係を解消するのかどうかはまだ決まった訳ではないけれど、それでも、2人のやりとりを見て、ツレに言われた先の言葉を思い出す。

もし付き合ったのがツレではなかったら、私もあのまま、自分の気持ちと個性だけを相手に押しつけて、何一つ知ろうとも変えようともしない人間のままだったかもしれない。


私は両親と死ぬまで親子であるから、2人がくっつこうが離れようが、本人たちが納得しているのであれば正直どちらでもいい。
ただ、かつてツレが私にしてくれたように、2人が幸せな方を選択できるようにするための情報整理は、それぞれと一緒にしようと思っている。



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