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禍いだって私を作る材料だから

10年前と今で、占いに対してのスタンスが変わっていたって話。

2002年 渋谷にて

「あんた大器晩成型だね。35歳以降は大金持ちだよ」
19のころ、ある占い師に言われた言葉である。

私は分かりやすく調子に乗るタイプだから、「だいぶ先だな」と思いつつも、とてもウハウハしたことを覚えている。

その後、占い師は続けてこう言った。
「でも35歳までは全てにおいて最悪だね。特に30過ぎたら訴訟ごとに気をつけな」

待って、禍福の「禍」、エグくない?



不安定な指針

そのときは占いというものを「信じる」か「信じない」かの二択だけで捉えていて、完全に中身のない思考で私はよく「信じる」を選択した。

すがるようにそれを指針にする。
自ら不幸に向かっていたのがよくわかる。

それに19といえば自分が「何になりたい」とか「どういうことをしたい」とかも何もイメージできていない年齢だったし、月3万で渋谷のラブホ街のワンルームをさらに6人でシェアするような生活を送っていた時期でもあった。

「大器晩成」だと言われることは、「こんな私にも希望はあるんだな」と思えたできごとだったのだ。

だからその後、何かうまくいかないときや自信をなくしたとき、「大丈夫私は大器晩成だもの」と自分をなぐさめ、努力をする理由にしていたことは紛れもない事実だった。


2022年 実家にて

最近、勉強がてら心理カウンセリング資格を取得した。
とはいえ座学の知識でしかなかったから、実際に今カウンセラーとして働いている人の話を聞いてみようと思い、何人かオンラインで会うことにしたのだった。

そのうちのひとりが、「カウンセリング×占い」をセットで実施している人だった。

ご本人は大手コンサル会社に勤めたのち、10年以上ヘッドハンティング会社で名うての企業や経営者に対して、優秀な人材を見立て、送り込み、事業成功に貢献してきた人物である、らしい。


話をしてみると、まあ気持ちがいいこと。

あっけらかんとした性格で、さらにはハッピーオーラ全開でもう「自分今めっちゃ楽しいです!」が画面越しからビシバシ伝わってくる。

私は聞きたかった質問をし、その人自身が今に至るまでの話を聞き、楽しい時間を過ごした後、ついにそれがやってきた。

「では占い結果をお伝えしますね」


実はお金を払って占ってもらうこと自体、10年ぶりだった。
緊張しながら回答を待っていると、開口一番その人が放った言葉がこれだったのだ。

「めっちゃ大器晩成ですね」

はいはい来ました大器晩成。わかってる。いいよね。楽しみだよね。これからの人生ワクワクしかないよね。

私は前のめりになって言った。
「あー、それ言われたことあります!10年くらい前に、『35歳以降が最強』って」
(最強とはひとことも言ってない)

その瞬間、カウンセラーが目を軽く逸らし、そして独り言のようにさらりと言った。

「そうですねー40歳以降は。結構金運も強くて、稼げそうな感じありますね」

待って、5歳後ろ倒しになっとるがな。

もしかして「めっちゃ大器晩成」の「めっちゃ」という修飾は、「大器」ではなく「晩」にかかってるってこと?
つまりめっちゃ遅いってこと?


という気持ちが一瞬頭をよぎったけれど、正直占い結果に対して、はほぼ答え合わせに近い感覚を持っていることに気づいた。

自分の力でどうにでもなることに関しては、どんな占い結果だったとしても割と「どっちでもいい」と思えている。

それに、それまで「サボった分貯金」みたいなものがあれば、なるほど一瞬で5年分をチャラにしてしまうようなできごとも思い当たる。

カウンセラーの方は続ける。

「2024年(31歳)が『精算の年』なのでそれまでやってきたことがいい形でアウトプットされる年ですね。
でも2025年(32歳)は逆に『種まきの年』なので、新しいことをするのは避けた方がいいです」

「ほうほう」

「そして2026年27年(33〜34歳)も、周りに流されず自分のペースでコツコツをやっていくことで、ポジティブな道が開ける傾向にありますね」



ま、そんなもんよな。


自分のペースで、コツコツと。
生憎私はそれしかできないし、大器晩成への道がそれでいいなら願ったりだ。

禍福は糾える縄のごとし、だけど、わざわいだって私を作る大事な材料だ。どんとこい、である。

とりあえずもうしばらくは自分の今後を楽しみにして過ごせそうだし、何しろ訴訟事に巻き込まれる可能性は低いみたいだから、良しとしよう。



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