『告白』~湊かなえ~を読んで。
普段、本をあまり読まない私が湊かなえの『告白』を読んだ感想をここに記したいと思う。私はこの本を読んで、少しずつ本を読み始めたので本を読むのが苦手な方もこれを読んで本を好きになってもらえたらと思う。
この話は、愛する我が子を校内で殺された女性教師、犯人、その家族、級友たちについて語られた内容だ。
登場人物は主に、中学校の女性教師である森口悠子とその子供である愛美、愛美の父であり、教師である桜ノ宮正義、愛美を殺した森口のクラスの生徒である少年A、同じく少年B、その家族、そしてクラスの級友たちで構成されている。
今回読んだ感想をどうやってまとめて皆さんにお伝えしようか考え、私が目を付けたのは、 「章タイトル」 だった。
ここでは、初めの三章のタイトルについて私が考察したことをお伝えしたいと思う。
第一章 「聖職者」
聖職者とは、人を導き教える神聖な職に就いている者のことである。
ここでは、桜ノ宮正義先生のことを指している。
確かに教師としては、「世直しやんちゃ先生」とテレビなどで取り上げられるほど、多くの人々に支持されているようだ。しかし、彼が「聖職者」と呼ばれる背景には、高校時代の担任教師への傷害行為、外国での自暴自棄な生活による過ちがあった。彼が、「聖職者」と呼ばれるまでに失うものがありすぎて、私は、彼が「聖職者」と呼ばれていることが、果たして褒め言葉と捉えられているのか皮肉と捉えられているのか分からなかったというのが正直なところだった。
第二章「殉教者」
殉教者とは、信仰する宗教のために命を捨てる者のことである。
ここでは、森口先生が教師を辞めた後、新任として一年B組の担任となった寺田良輝、通称ウェルテルのことを指している。
信仰する宗教というのはおそらく桜ノ宮正義先生のことだと考えられる。
何かを信仰するということは、盲目になりがちだ。
信仰する対象、つまり桜ノ宮正義先生こそが正しいと思い込んでしまったために、自分のやっていることが、生徒のためなのか、自分のためなのかわからず、最終的ににウェルテルは悲惨な結果を招くことになる。
また、この章ではもう一人殉教者がいた。それはぜひみなさんに見つけていただけたらと思う。
第三章「慈悲者」
慈悲者とは、家族に対して愛情を捧げる者のことである。
ここでは、少年Bの母親のことを指している。
この章では、少年Bの母親が書いた日記が記されていた。この日記を見た私は、家族というのはとても厄介だと思った。一見すると、子供の言うことにしか耳を傾けず、周りの人の話を聞かない、言わばモンスターペアレントのように思われてしまう。しかし、自分自身何が真実か分からない状態で我が子と他人の意見が食い違えば、我が子の話を信じるのが当たり前の様にも感じる。また、この子には私しか見方がいないと考えると親の本能的にも真実よりも我が子を守るのが優先的になってしまうのも無理ないのかもしれない。そう考えると、少年Bの母親は、「親の鏡」と言えるかもしれない。
このように「告白」は、少しずつ話が歪んでおり自分の中での様々な当たり前が次々崩壊していく。
そして、この本の最大の魅力は、章ごとに語り手、視点が変わるため、その視点の者に感情移入することが多く結局だれが一番悪いのか分からなくなってしまう。
それぞれの正義がぶつかり合い、間違った結果を招く。
これは、案外、私たちの周りでいつでも起こりうることだと思う。
ちなみに残りは、第四章「求道者」、第五章「信奉者」、第六章「伝道者」なのでぜひこれをよんでいるあなたに読み解いてほしいと思う。
ご観覧ありがとうございました。 林 林
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