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【YOHAKU】 「モテなさそうだね」言われた私が辿り着いた答え(仮)

こんにちは、YOHAKUです。久しぶりの投稿となってしまいました。

今回は、新しい環境に馴染めず傷ついた経験を、冷静に考察し続けることで自分の成長に変えた大学生のお話を聞かせてもらいました。

大学に入学し、新しいコミュニティで友人から「変人」認定された彼女は、
傷つき悩みながら考え続けた結果、自分ひとりの問題ではなく、専門分野の法学の知識で社会の在り方を考える視座に辿り着いたと言います。

トゲのある言葉を投げかけられた経験や自分の価値観と違う環境で苦悩した経験は、悲しいことに、誰しもが経験するあるあるかもしれません。

「モテなさそうだよね」「変人だから、きっと付き合う相手も不思議くんだよ」心ない言葉をかけられた経験を、自身の研究テーマに昇華させた彼女はどう乗り越えたのでしょうか?

この記事がだれかの生きづらさを和らげるヒントや、
言動や考え方を見つめ直し、もっと自分を好きになれるきっかけになりますように。

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何気ない高校時代の思い出話から変人認定

ー大学入学後、新しい環境に居心地の悪さを感じていたんですよね。そう思い始めたきっかけはありますか?

私はね、はじめのほうで空回りしたっていうのもあるんやけど……。

きっかけは、高校時代の面白い友達の話をしたとき。
中高が女子校でね。その学校では、「かわいいより面白いほうが大事」というような雰囲気があったんよね。
だから、大学でも「面白いことのほうが良い」とする今まで(中高)の私の価値観を疑うことなく、同じようなスタンスでいったんよ。

大学入学したてって学校の話するじゃん、高校の変な校則~とか。
その一環のつもりで「面白い学年でね、独特な挨拶とか造語を作り出す人とかおってね、楽しかったんよ~」って高校時代人気だった友達の話をしたら、

「意味わからん~~変なの~笑」みたいな反応じゃなくて、
「え…………」ってあからさまに引かれてしまって。

そんな人が周りにいるってことはこの人もやばい人なんだっていう風になって、変人認定された
「○○ちゃんって変わってるよね~」言われるようになって。

コミュニケーション、特に最初どんなふうに振る舞うかって……難しいよね。

ーその辺で、自分との合わなさ、やりにくさを感じてたんですね。

そう。三角関係どころじゃない複雑な男女関係に発展したこともあって。特に女子が仲悪かったのもあって大変でした。
完全な傍観者でいたつもりだったけど、それでもしんどかった。

あとは……。そのグループはすぐ恋愛話する感じだったけど、
私はそもそも中高女子校で恋愛はほとんどしてこなくて話す話がないから、話せないし、
話したところでからかわれる。
このような状況下で話すわけないよね笑

「モテなさそうだよね」

ーからかわれた、ってどういう感じですか?

休憩時間中の、よく一緒にいた同じクラスの女の子何人かとたまたま居合わせた男子数人が一緒にいたときのことだったはず……

恋愛話に付き合っていた時に、1人が私に対し「○○ちゃん、変人だからモテなさそう」「モテないよね」っていうことを言い始めて。
「付き合う相手もきっと不思議くんだろうね~」っていうニュアンスのことも言われた。

それを言う人にもびっくりして、それに同調する人にもびっくりで、二度びっくりした。変人扱いされているから相手も変人やって、私はともかく、彼らの見ぬ人に対し失礼よね。

少し話は変わるけど、
「モテそう」はよく使われるじゃん、褒め言葉みたいに。
でも、それもこの人いい人だから、この人優しそうだから、って自分の恋愛対象としての理想像に当てはめてるだけだなあって思ったりする。

「モテなさそう」は、私が彼らの「モテる理想像」にそぐわないって意味だったんかな、。
難しい……。

ー私だったらその場で怒ってしまいそうです……、その発言のあとや現在はどんな気持ちですか?

ただただ衝撃だったから、そのあとのことはあまり覚えてないんよね。
でも、私はもうそのとき既に彼氏はいたから、私自身の評価に対しては「ああ はいはい」と思って。笑
彼らが、見てない私の彼氏を軽んじていたのはすごく不快だったけど。

クラスは1年間変わらないから、コミュニティから外れてしまうとどうしたらいいかっていう不安もあったけど、今はもう完全にそのコミュニティからは離れたなぁ。
価値観が合う人たちがいる部活に逃げた。
当時の私は事実に向き合う事なく逃げた。

今では、あーこういうこと言う人おるんやなあって学びだったなと思う。笑

今は、価値観の摩擦を経験して価値観ってなんやろう??って話になるかな〜私は。多様性を認める社会って??何?って

個人と社会、価値観の折り合い

ー大きなテーマですね。もう少しくわしく聞かせてください。

話を飛躍させるんだけど、
例えば性的マイノリティの話で、異性愛者の人、性行為はしたくない人、そもそも恋愛感情がない人……様々な人がいるよね。

それを当事者以外の人も、そういう人がいるんだよ!こういうことがあるんだよって主張するのはいいんだけど、
最近のって価値観の押しつけみたいな感じせん?
その人の育った背景によってはどうしても拒絶反応を持つ人もいる。
認めたくないじゃなくて、心の底から認めきれない事情を持つ人もいる。
でもそれを悪意なく攻撃する人がいるじゃんか。

それはあんまりよろしくないかなって。

悩んで考えすぎて、ここまで発展した!笑

ー急展開!「モテなさそう」と、どうつながるんですか?

「自己決定権」って知ってるかな。また飛躍するけど。
今勉強していて自分の研究テーマにもつながっているんだけど、

※自己決定権
………個人が人間らしく生きることに関わる重要な事柄を各自が決定できる権利のこと。例えば、①子供を持つかどうかなど家族の在り方を決める自由(不妊手術、避妊、妊娠中絶などの問題)、②見た目(髪型、服装)などライフスタイルを決める自由、③尊厳死など生死にかかわる選択を決める自由など。(参考文献:岩波書店・憲法第七版・芦部信喜)

新しい権利なんよ。憲法にきちんと書かれているものではなくて。
憲法に幸福を追求する権利はあるけど、
その幸福・生き方の自由を実現するため(自己のコントロール)には、自分の価値観や生き方・言動を社会の中で貫く権利もいるよねって。
それを社会で認めましょうっていう権利のことなんよ。

でも、社会で認められるにも限度があるから、自己決定を社会でどれだけ認めるべきなのか?という部分が争点になる。勿論、公共の秩序をひどく乱すような考えはいけないけど。

身近なところでもある問題では、学校の校則とかかな。

「個人が人間として生きていくために重要なことを個人が決めることは、社会の中でどれだけ認められるのかな」と。

私が経験したことを大きく大きく捉えて考察そするとそういう話になっていくのかなっていうのが、辿り着いたこの話の終着点かな。間違えてたら恥ずかし………。

価値観の押しつけに「見えている」だけと考えてみる

「変人だからモテなさそう」は言われた私からしたら言う側の価値観の押しつけでしかない。
でも、その通りだ。あってるって思うから、そんなこと言えるんだと思う。
これは価値観の違いで個人間に摩擦が起こっている状態っていえる。

この話を、私にとって価値観の押しつけに「見えている」だけだっていう見方で考えてみる。

それを、社会に広げたら、自分が良いって思ってることに対して、相手がNOっていうことはどれだけ認められるべきなのか?って話になる。

ーなるほど……。
じゃあ例えば、付き合う相手も変人だろうねって発言に対して、言われた側が「NO!」ってはっきり示したとき、発言者は変わらないといけないのか?
って話になるってことですか……?

そう。
私の最初のきっかけの話で説明すると
「面白い人ってステキだ」って思う価値観と、「その面白いってなんか、ただの変人だなあ」って思う人の価値観があったとして、
お互いがその価値観を社会の中で貫き通せるか?
どちらかが多数派な場合、社会からの何らかの圧力を受けて、少数派が変わるしかないのか?っていうのを考える。
また世間で考えると必ず第三者が存在するよね。その第三者はお互いの価値観に対しどのように存在しうるのかを考えるの。

当時の自分は、多様な価値観を受け入れるの意味が分かってなくて苦悩してたんかなって。価値観のぶつかりには、三つの立場があるっていう構造をわかってなかったんだと思う。
当事者の対峙してる二人と傍観者。こういう構造の中の話だって思えたら、冷静になれた。

考えている「つもり」から脱却を

ー冷静に客観的な立場で考えて、自身の専門の法学と結び付けながら、視野を社会に広げて考察する乗り越え方は面白いですね。そしてすごいです。
社会に問いかけてみたいことや、これを読む人に伝えられたらって思うことはありますか?

価値観の衝突や摩擦が起こったとき、当事者同士は価値観を受け入れることはできなくとも、その考えがあることは理解できる。つまり「異なる価値観をそばに置く」はできるんじゃないかなって。

では、当事者以外の大多数の第三者はどうするべきか?
私は、大多数となりうる人たちに「自分たちの意思」を持ってほしいと思う。

その場の多数の人が是とするから、一般に是とされてるから、という理由で同調するだけの人もいると思う。
マジョリティの側に近い考えであったとしても、
マイノリティの側に近い考えであったとしても、
その考えにたどり着くまでの理由が自分なりに考えた理由ではなかった場合、問題だと思う。

ちゃんと考えている「つもり」のひとが一番多いんじゃないかな?(私も含め)

みんなどこかしらで体験してるとは思うんだけど、価値観の違いとぶつかって私なりに考察した結果、ここまで話が膨らんで、研究テーマにまで結び付いたよって話でした。笑

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大学入学したばかりの頃、合わない新しい環境で傷ついた経験を冷静に考察し続けた大学生にお話を聞かせてもらいました。

以前、YOHAKUで「コンプレックスに、知識で武装する」女の子の話を聞かせてもらったことがあります。勉強することで、コンプレックスや自明視されている価値観から少し自由になれることを教えてくれました。

今回は、論理的な思考を得て社会の中で一人ひとりが幸せになる方法を法学から模索する、彼女らしい余白の生み出し方を教わった気がします。

誰もが客観的に、傷ついた経験をすぐに捉えられるわけではありません。
そんなときは気を許せる誰かの力を借りながら、距離をおくのも一つの手だと思います。私たちYOHAKUにもお手伝いさせてください。

お読みいただきありがとうございました。

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植木凜・小林華・沖中優麻

文責:植木凜

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