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ラトビア紀行⑧ 〜小国で生き抜く力〜

ロシア語も英語も出来てすごいね。

ロシア語をやっているというと、なぜか、このように言われることが多い。人違いか、と思う。

自信を持って言うことではないが、英語もロシア語も日本語も中途半端だ。母語でさえ、理解していない。日本語に自信がなくなって、Googleさんに教えてもらうことも多々ある。

私は不器用だ。才能もない。だから、英語としっかり向き合っていた時はロシア語の力が急降下。ロシア語に浸かり始めてからは、英語がミルミル知らない言語になっていった。

ロシア語は、語彙力の問題さえあれど、口からはきちんと出てくるようにはなった。聞きとりも大丈夫。だと思っていた。でも、ボーッとしている時なんかは、平気で聞き逃す。展示の説明や公的資料は、英語を丸々4年間やっていないのに、英語の方が読みやすかったりする。

意思疎通をするのは、英語よりもロシア語の方が楽。リスニングもそう。だけど、リーディングに関しては、英語の方が楽なのだ。ロシア語は口に出して読まないと、めっきり頭に入ってこない。

英語力の低下は、自業自得そのものだ。英語が出来る人などごまんといるのだから、ロシア語人材になってやろうと、振り切った。そのおかげもありロシア語は、CEFRのC1レベルには到達した。

https://www.britishcouncil.jp/sites/default/files/ees-cefr-jp.pdf

ただ代償も大きかった。英語を完全に忘れた。

実際、英語を話しているつもりでも、無意識でロシア語の単語を話していることがよくある。

タクシーの運転手さんと英語で話していた時、私がпростоと言ったらしい。それを聞き逃さなかった運転手さんは、すぐにロシア語にスイッチしてくださった。私が言えなかった英単語、それは、onlyだった。

ラトビアでは、英語もロシア語も分かる人が多い。中には、ロシア語を知らない若者もいるが、代わりに英語がペラペラだったりする。

ラトビアの若者と話す機会があった。彼は、ラトビア語、英語、ロシア語を流暢に話す。幼少期からの環境が自ずとそうさせたという。

母語はロシア語だけど、ラトビア人としてラトビア語を小さい頃から学んできた。将来を考えたときに、世界情勢の荒波に呑まれる小国では大きなことが出来ないという結論に至り、英語を本格的に学び始め、マスターしたという。

今という激動の時代を生きるために、多くの若者が、英語を当たり前のように話す。

年配の方は、英語ができない場合が多い。それでも、ソビエトを生き抜いてきたこともあり、ロシア語とラトビア語はペラペラだ。

自分の語学力と語学に対する意識の低さに愕然とした。

将来、ロシアやウクライナに携われたら、それ以上光栄なことはない。
しかし、私が将来扱いたいテーマは、旧ソ連圏だけではない。

今のロシアやウクライナで起きている不条理は、そこだけの問題ではない。
日本でも、中国でも、アフガニスタンでも、世界各地で起きている。

その人たちの声を聞きたい。その人たちの声を伝えて、誰かに知ってもらいたい。その人たちの生き様を通して、どこかの誰かに生きる活力を少しでも与えたい。

そういう小さい連鎖が積み重なって、爆発音や不当な逮捕、明日の生活に怯えることなく、穏やかな心持ちで何気ない生活を送れる人が、ひとりでも増えれば。自分には何もできないからこそ、せめて声を拾って行こうと。

そういう思いで将来への新たな1歩を踏み出した。

それなのに、人の心をつなぐ言葉というものを学ぶことが、おざなりになっていた。

恥ずかしながら、日本とロシア語圏でしか生きられない人間になっていた。

翻訳機の精度が高まっている世の中、言葉が話せなくてもある程度の社会では生きていけるかもしれない。しかし、それでは、心の底から誰かとコミュニケーションをとりながら、生きることはできない。

Лучше поздно, чем никогда.
「遅くともやらないよりはマシだ」

ロシアの有名な諺だ。

言葉を学び扱う者として、そして、国境に左右されずに生きていきたいと願う者として、自分の人生に責任を持たなければ。

今更、このことに気付いても遅いのかもしれない。それでも、気づかないよりマシだ。

自分にとって、生き抜く力とは。

あなたにとっては、なんですか。

ラトビア占領博物館にて

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