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2020年 青森一人旅 ①

始めに

2020年10月某日。私はついに、青森へと旅立った。
結婚してから初めて、およそ3年ぶりぐらいの一人旅だ。そもそも、新幹線に乗って、こんなに遠くまで一人で旅行するなんて、人生で初めてのことである。

もう、ずっと、10年近く前から、死ぬ前に青森に行こうと思っていた。
青森に行ってから死のうと思っていた。自殺するなら青森、冬の日本海に身を投じようと思っていた。

どうしてそんなことを思うようになったかと言えば、きっかけは寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」の一節だ。日本海という四股名の相撲取りに関するエッセイの中で、寺山修司が津軽半島に旅行して、日本海を見た時の印象が述べられている。

『それは曇った海峡に立って沖を見たことのある人なら誰でもわかることだろう。日本海の冬はまるで地獄だ。それは悲しみと怒りにみちみちた反逆の海なのである。
(当時、青森では吃音や対人赤面恐怖になやむ少年が、この日本海に身を投じてよく自殺した。
それは差別された僻地の少年たちが、人生のはじまる前に自信を喪失してしまってひき起こす悲劇なのであった)』

私は北関東のI県出身だ。太平洋側に住む人間として、日本海そのものに憧れのようなものがある。昔、家族で金沢に旅行した時に見た日本海は、底が見えるほど透明だった。太平洋の濁った水面、ゴミが溜まった入江、強烈な匂い。それを日本の海だと思っていた私は、当時驚愕し、強い憧れを抱いた。

だから、死ぬなら、厳しく、冷たく、悲劇の底にあるような、青森の透き通った海で死にたい。

しかし、私は本当に死んでしまいたくて、青森を自殺の場所に決めていたのではなかった。
むしろその逆で、簡単に自殺ができないように、死に場所を青森と決めていた。青森で死ぬと絶対に決めていれば、どんなに辛いことがあっても、今いる場所で死のうとは思わない。山も海も見えない関東平野の狭いアパートで、ドアノブに首を引っかけて死ぬことはできないのだ。
青森に行くのは、関東在住の私にとって大仕事である。新幹線なら3時間、鈍行なら丸一日かかる。その大仕事が、私を死から遠ざけてくれると考えた。死にたいぐらい体力がない時に、こんな大仕事ができるはずがない。死に場所を自分がいる場所よりも、遥か遠くに置いておく。これが私なりの、一種の自殺防止術だった。

その死に場所として大事に取っておいた青森に、私はこのたび行ってきたのである。
それは、死に場所を潰す、もう二度と「死にたい」などと言わない、私なりの覚悟である。そう覚悟するまではいろいろあったのだけれど、そのことについてここでは触れない。
また、旅行を計画してみた結果、日本海に行く暇がなかったため、結局行かなかった。だからこの旅行記では、これ以降私の苦悩について触れることはない。実際、ワクワクしながら旅が始まり、ずっと楽しくて、楽しいまま旅は終わった。しかし死に場所うんぬんというのは、自分の中でずっと思っていたことなので、こうして始めに書いておく。ただ、この旅によって、自身の気持ちがとても明るくなり、自殺から遠ざかったのは本当のことだと思っている。


この旅において、私が絶対訪ねたいと思う場所が2つあった。
それは、青森の二人のシュウジに関する場所だ。
一人目のシュウジは、上記にも挙げた寺山修司、二人目のシュウジは、本名・津島修治こと太宰治である。
二人のまったく異なる作家が、同じ県に生まれ、同じ音の名前を持っているということに、どこか運命のようなものを感じ、この旅で二人の所縁の地を訪ねてみたいと思った。太宰は津軽、寺山は三沢とかなり距離があるため、計画は少し難しかったが、どうにか2つとも訪ねることができた。

所縁の地に訪れてみた結果、私なりに二人の作家を好きだと思っていたけれど、作品やその人となりについて、まったく不勉強であることを思い知らされた。なので、旅行が終わった今は、二人が書いた作品をちゃんと読もうと思ってがんばっている。

また、私はこの旅行記において、食べ物の描写に力を入れたいと思う。理由は、単純に私が食べるのが好きというのもあるが、太宰治の「津軽」に出てくる食べ物の話が大好きで、真似したいと思ったからだ。貝焼きとか、りんご酒とか、蟹とか、鯛とか、あちこちで飲むお酒とか。そういう部分がとても好きなので、私も食べ物については詳しく書いていきたい。

前置きが長くなったが、青森への二泊三日の旅行について書いていこうと思う。

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出発

時間が足りなくはないだろうか、と旅行当日になっても、予約した新幹線の時間について後悔していた。
行きはもっと早く、帰りはもっと遅くした方がよかったんじゃないか。計画どおり、全てを見て回ることができるのか。くよくよする私に、夫が言う。
「旅って、そういうものだから。計画をたてていると、時間がもっと欲しくなるものだよ。逆に時間に合わせて、旅の計画を立てるんだ。それに時間があっても、体力が足りなくなったら辛いよ」
体力、という言葉には説得力がある。新幹線の時間に合わせるために予定を切り上げるのも切ないけれど、もう体力がなくてへとへとなのに、帰りの新幹線の時間がずっと先だったら、それはそれですごくしんどそうだ。行きは朝8時の新幹線、帰りは16時の新幹線。旅行の計画を立ててみるとギリギリだったが、体力で考えれば、ちょうどいいかもしれない。

出発の日は、細かい雨が降っていた。台風も近づいていた。前日の天気予報を見て、夫が、
「駅まで送ろうか?」と言った。
「どうして?」
「濡れた傘を持ってると、面倒でしょう? 青森ではきっと傘を使わないだろうから、最寄り駅まで傘をさしてあげるよ」
そういう気遣いもあるのだなあ、と驚く。
「悪いからいいよ。快く見送ってくれるだけで、ありがたいから」

当日は夫も午前中は出勤で、一緒になって家を出た。それぞれ傘をさして歩き、一番最初の信号で別れた。折り畳み式の傘は思ったより濡れず、くるくると巻いて畳んで、リュックの側面についている網のポケットにさしておいた。
久しぶりの満員電車を嫌々味わって、新幹線に乗る駅に着く。
新幹線のお供にはビールとチップスター、という夫の助言を思い出し、駅の売店でチップスターと、禁酒しているのでペットボトルのお茶を買う。待合室で温かいお茶を飲んでから、ホームに上がり、新幹線「はやぶさ」に乗った。明るいグリーンの車体を今まで何度もいろんな駅のホームで見かけたけれど、乗るのは初めてだった。

今回「じゃらん」で申し込んだ旅行は、新幹線とホテルがセットになったパック旅行だ。GOTOトラベルキャンペーンで14,000円割引、7,000円の地域共通クーポンがついて、33,800円。破格だと思う。

窓際の席に座って、車窓を眺めながら青森まで行く。仙台まで隣に座っていたおじさんに気兼ねして、結局チップスターは食べなかった。マスクを外すとか、食べるとか、そういうことはちょっと気軽にできない。窮屈ではあるけれど、静かな車内は快適だ。時々、車内販売のカートが、何も言わずにゆっくりと通り抜けていく。

新幹線は田舎の道を走る。雲が降りて来ているような、霧のかかった、薄ぼんやりした風景だった。蕎麦畑の白い花に目を細め、季節外れの菜の花の黄色に驚く。刈り取られた田んぼの褪せた色を寂しく思い、畔に咲く彼岸花の赤にねっとりしたきれいさを感じてどきっとする。街に入っても、東京のように高いビルはなく、背の低い建物が並ぶ。仙台に入ると急に高いビルが出てきてびっくりしたが、それも一瞬だった。また何もない、田や畑ばかりの風景が続く。

そしているうちに岩手県を通過して、だんだんと青森に近づいていった。薄ぼんやりした景色に、だんだんと光が差し込んできて、青い空が見えてくる。緑の中に突然現れた、果樹園の真っ赤なりんごに目を奪われているうちに、青森に着いた。青森駅で降り、奥羽本線に乗り換えて、弘前へ向かう。

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弘前とアップルパイ

弘前城があり、古い洋館や教会があり、おしゃれな喫茶店がある。この街のどこか浪漫ある雰囲気に惹かれて、私は弘前に宿をとった。

ほどよく空いた奥羽本線の列車は、真っ赤なりんごが実る果樹園や黄金の稲穂が揺れる田園の間を縫って走り、弘前へ着いた。改札へ向かう途中には、りんごジュースだけをたくさん並べた自販機があり、改札を抜けると大きなりんごのオブジェがある。青森に来たんだ、という実感がむくむくと膨らんだ。

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まず、駅前のホテルに立ち寄って、ホテルでしか使わない荷物を、折り畳みのペラペラの鞄に入れて預けた。軽くなったリュックを背負って駅まで戻り、ちょうどバスターミナルにきていた市内循環の100円バスに乗る。弘前市内では、市内を循環して走るバスが10分間隔で出ている。距離に関係なく1回100円で乗れる便利なバスで、弘前観光ではとてもお世話になった。そのバスに乗って、お昼ご飯を食べに行く。

市役所前のバス停で降り、向かったのは藤田記念庭園にある大正浪漫喫茶室だ。可愛らしいレトロな洋館の中にある喫茶室は、庭園を眺めながら食事ができる窓際の席が人気である。生憎、混雑していたので景色が見えない席しか空いていなかった。とにかくお腹が空いていたので、景色よりご飯を優先して空いている席に通してもらった。

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メニューを吟味して、たらこスパゲッティ、アップルパイ、アップルティーを頼んだ。
その中で特においしかったのが、6種類の中から選ぶことができるアップルパイだ。6種類のアップルパイは、どれも弘前にある洋菓子店やパン屋で作ったものを取り寄せている。それぞれに特色があり、写真を見ているだけでおいしさが伝わってきた。迷いながら私が選んだのは、ピーターパン洋菓子店のシナモン風味のアップルパイだ。

スパゲッティを食べ終わった後、アップルティーと一緒に、アップルパイが運ばれてくる。きれいなキツネ色に焼けたパイ生地を見ただけで、胸が高鳴った。美しい姿を写真に収めてから、食べ始めた。

それは一言でいえば、濃厚なケーキのようなアップルパイだった。アーモンドの風味たっぷりの濃い味に、香ばしいクルミのコリコリした食感。シナモンとチョコレートのスポンジ生地が、濃厚でしっとりした甘さを作っている。そして、りんごのさわやかな甘さと酸味がなんとも言えない。表面のパイ生地が固くてナイフで切れなかったので、途中から行儀悪く手づかみで、夢中になって食べてしまった。異なる素材、異なる生地を使って、工夫を凝らして作ったことがよく分かるアップルパイだった。この旅ではたくさんのアップルパイを食べようと思っているのだが、早くもナンバーワンに出会ってしまったような気分になる。

大正浪漫喫茶室で貰った「弘前アップルパイガイドマップ」には44種類ものアップルパイが掲載されていた。もし私が弘前に住んでいたら、がんばって全制覇したろうにと思う。そのぐらい、弘前のアップルパイは魅力的だった。この後も何度かアップルパイを食べているので、その都度紹介したい。

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アップルパイを満喫した後、藤田記念庭園を見学した。
平日なので人が少なかった。個人のお庭にしては広すぎるが、散策にはほどよい広さの庭園をゆっくりと回る。津軽富士とも呼ばれる岩木山の借景や、赤い橋が架かっていたり、小さな滝があったり、水琴窟が置いてあったりと、見どころが多い庭園だった。
ちなみに、水琴窟とは、玉砂利が敷いてある一角に、水をかけるとカランコロンと音がなる仕組みのことである。今まで見たことはあったが、しっかり音が聞けたのは、この日が初めてだった気がする。それだけ、ゆっくり自由に見学できたということだろう。


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参考

書を捨てよ、町へ出よう 寺山修司

津軽 太宰治    ブログで書いた感想

弘前市内循環の100円バス

藤田記念庭園

大正浪漫喫茶室

弘前アップルパイガイドマップ(2021年5月現在は43種類のアップルパイを掲載)

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