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88歳になったばあちゃん。

身体がとにかく丈夫で、ミキプルーンの卸しをやってて
口癖は”プルーンちゃんと食べんといかん!”のばあちゃん。
新聞配達を何十年もずっと続けていて、80過ぎてもカブに乗って出掛け畑仕事したりとにかくアクティブなばあちゃん。

私の自宅は実家のすぐ横だから、私の両親とばあちゃんにはいつでも会える。
ただ、私はばあちゃんがずっと鬱陶しかった。


とにかく健康にうるさかったばあちゃんは、小学生の私にポテトチップスは身体に悪いから食べるな!アイスや冷たい飲み物は身体を冷やすからダメだ!ととにかくうるさかった。
ばあちゃんにバレないように食べたけど。笑


当時は分からなかったけど今思うと、子供の頃からストレスが原因で自律神経が乱れた事による不調だらけだった。
小学生の私は緊張すると胸が痛くなったり低体温になって目が回って倒れたり、やたらすぐ吐いた。
保健室の常連だったし、欠席も早退も何度したか分からない。

母は働いていて、早退の時迎えに来るのは決まってばあちゃんだった。
熱とかあまりに酷い時はタクシーで迎えに来てくれたけど、大概はカブの後ろに乗ってゆっくり帰った。
私は4人兄弟の3番目なんだけど、ばあちゃんの後ろに乗ったのは多分私だけ。ばあちゃんはうるさいけど、元気にカブを飛ばす姿が自慢だった。

学校を休む日もばあちゃんに看病してもらうのが普通で、でも本当は私は母に甘えたかった。
きっと私の気持ちを分かっていたのか、口うるさいばあちゃんもそういう時は決まって好きな物を食べさせてくれたしとにかく優しかった。

そんな、元気が取り柄のばあちゃんが、今元気がない。


一昨年の9月、長い事施設に入っていたじいちゃんが亡くなった。

自宅で尻餅をついて、それで運悪く下半身付随になってしばらくは自宅で面倒みてたんだけどばあちゃんも歳だしって事で施設に入って7年とかになるのかな?

施設に入ってからのじいちゃんはどんどんボケて行っちゃって最後にはばあちゃんの事しか認識出来なくなった。
じいちゃんの死因は、誤飲性肺炎だった。

92歳で亡くなったから大往生だとは思う。
正反対の性格の二人で喧嘩ばっかしてたけど、でもばあちゃんは寂しかったんだなぁって今は分かる。

じいちゃんのお葬式の時、会場で合流したばあちゃんは笑ってた。
お棺に花を入れる時なんだかじいちゃんのばあちゃんへの気持ちが入って来た気がして、最後なんだから触ってあげてってばあちゃんと一緒に手を握りながらじいちゃんの顔を撫でた。
ばあちゃんは泣いてた。私も泣いた。

そこから、ばあちゃんも少しずつ物忘れが酷くなってきている。
まだ辛うじて誰のことも忘れてない。でもカブを忘れて帰って来たことがきっかけで、事故とか危ないからって父が免許は返却することにした。

自ら出掛けたり行動する範囲が狭くなると、どんどん弱る物で。生活は出来ているけど、身体はどんどん衰えてるのが分かる。

遠くを歩いてるばあちゃんを見掛けた時、

”ばあちゃんが小さくなっちゃったなぁ”

って思ったらなんか涙が出た。

なんでこんな事を書こうかと思ったかというと、昨日ばあちゃんの顔を見て来たんだけど。
普段は父が毎日ばあちゃんの顔を見に行くようにしてて、昨日は泊まりで留守にするから私が顔を見に行ったの。

ばあちゃん、凄く痩せちゃってて。

肩周りとか腕とか、もっともっとしっかりしてたのに。
食べてないんじゃなくて、内臓の吸収率とか筋肉が落ちたのもあるだろう。

でもなんかじいちゃんと重なって見えて。
命ってこうやって削れていくんだ、いつまでも存在するわけじゃないんだって身に染みて感じた。

思わず抱き締めなきゃと思って、ばあちゃんをハグした。
ニコニコして”もうすぐ迎えが来る”って言うばあちゃんを怒りながら、頭の片隅ではもうすぐ来るかもしれない現実の覚悟もした。

ずっとうるさいなぁとか鬱陶しいって思ってた気持ちは確かにあって、
なのにじいちゃんが亡くなってからはばあちゃんに会うと可愛いって気持ちが湧くのが不思議。
じいちゃんが近くにいるのかな?笑


ばあちゃんのいつか来るその日、絶対号泣だな。


自分勝手だとは思うけどまだもうちょっと元気でいて欲しいな、と思う孫でした。


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