この世界は一体どこまで尽き果てていくのか ~ 歴史に残るテロや紛争を描いた映画
前置き:
もし、パレスチナで子供たちが死んでゆくTV映像を見た幼稚園児から、
「なぜ知らない人たちがけんかして、たくさん血が出ているの」
と質問されたら、大人はどう答えるべきでしょうか?
すぐに思いつくのは、自分たちの生活を守るためだよ、住んでる家や土地、大事なお米や野菜、水や油を、知らない人たちから奪われないようにするためだよ、・・などと言うべきでしょうか。
ただ実際には、戦争を起こす側( 覇権国家・経済軍事大国・独裁国家および、そういう国家と結託する企業 )が勝手な口実を作って敵対勢力や敵対国を武力制圧や陰謀策略をめぐらしてあらゆる権利を収奪していくパターンが圧倒的に多いのが、歴史上の明らかな事実だと思うのですが・・。
そして現在も、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化、突然の勃発であったユダヤ人国家イスラエルとパレスチナの武装集団ハマスの因縁抗争、・・などなど、人類の終わりなき「殺し合い」は残念ながら続いています。
さて本題:
女性よりも男性の方がずっと多く「アクション映画」を好んで見ているはずです。そういう私も、小学生のころから、第2次世界大戦を描いた「戦争映画」や冷戦時代の「スパイ映画」に馴染んできた一人です。
その後、時代とともにアクション映画の扱う題材も変化してゆきます・・
戦後の50~60年代は独立を目指す植民地紛争の激化
70年代にハイジャックなど人質テロの嵐が吹き荒れ
80年代以降はフォークランド紛争、湾岸戦争など大規模戦争が勃発
90年代にチェチェン紛争、NATOユーゴ空爆、地下鉄サリン事件
2000年に入ると、イラク戦争やアフガニスタン侵攻を境に自爆テロが頻発
・・そして現在は、既述したように、ウクライナ侵攻、イスラエル・ハマス抗争です。
映画産業においては、以上のような各時代の状況に影響を受けて、さまざまな趣向を凝らした娯楽アクション映画が、とりわけ海外では数多く飽きることなく制作公開されてきました。それらの多くが、好戦的かつ愛国的で荒唐無稽な娯楽作品であったわけですが、少数ながら、史実を基に描いて、娯楽作品に収まり切れない要素を含んだ映画もあります。
そういうわけで今回は、歴史に残るテロと紛争を描いた映画をいくつか発生年度の古い順に紹介します。私が過去に見た映画の中から、単なる娯楽作品に収まらないものをセレクトしてみました・・
闇に葬られた虐殺「カティンの森」
2006年 アンジェイ・ワイダ監督
第2次世界大戦中、ポーランドは社会主義国ソビエトとナチスドイツの両方から占領されるという危機に陥り、捕虜となった職業軍人だけでなく、教師や技師や聖職者たちといった人たち数万人が、突然、消息不明となってしまいます。
戦後、ポーランドはソビエトによるワルシャワ体制に組み込まれた属国となり、この行方不明者たち数万人はナチスによって殺されたという事になって真相は闇に葬られます。しかし、ソビエト連邦崩壊とともに、当時のソビエト秘密機関によって密かにカティン近郊の森で「虐殺」されたことが明らかになるのです。
この映画の最後に、この「虐殺現場」が描かれます。生存者はいなかったので、遺品や現場証拠等から推測された再現です 。
そこには、人間を家畜のように「大量屠殺」するための恐るべき「機械的手際のよさ」が描き込まれていました。画面は地中に埋められゆく人の手を映しながら完全に暗くなり、重い音楽が厳かに流されます。まさにレクイエム=鎮魂歌です。
武力で支配する側が、占領した国で軍隊将校だけでなく教育力の高い職業についている人間たちを中心に牢獄に閉じ込めたり殺したりすることは、歴史上繰り返されてきたことです。おそらく、指導者になって反抗する牙を抜くためでしょう。監督ワイダの父親も、実はこの「カティンの森」の犠牲者となった軍人でしたので、彼がこの映画に寄せる思いは特別のものだったでしょう。
日本の終戦秘話「日本のいちばん長い日」
1967年 岡本喜八監督
1945年8月15日正午の玉音放送に向けて密かに準備を行うNHKや宮内省の動きに反して、徹底抗戦を主張する青年将校たちの玉音盤強奪、反乱軍による首相官邸襲撃など、日本の敗戦及び戦後の始まりである「玉音放送の日」までの激動と緊迫の一日を、白黒の陰影の強い映像に焼き付けた岡本喜八監督の傑作映画だと思います。
なお、 2015年に原田眞人監督によるリメイク版がありますが、こちらはカラー映像で同じ半藤一利の原作でも人物の扱い方や着目点が違います。率直に言って、1967年岡本版は3度も見ましたが、何度見ても鬼気迫る異様な雰囲気が画面全体に漲っていて圧倒されます。
その理由としては、
・陰影の深い白黒映像であること
私たちの通常の視覚は外界を色彩でとらえています。だからといって、睡眠中の夢や、思い出の過去を振り返るとき、頭の中でさまざまなイメージを思い浮かべながら思考しているときなど、必ずしも「色彩入りの映像」を見ているわけではないと思うのです。
とりわけ、過去の出来事は、色彩付きだとかえって「自分の思い出ではないうそ臭さ」を感じたりするもので、白黒の方が「自分の思い出に重ねられる本当らしさ」を感じ取れるからだと思うのです。
・俳優の醸し出す雰囲気が違い過ぎる
1967年岡本喜八版では、三船敏郎・山村 聡・志村 喬・松本幸四郎などの重鎮に加えて若手の役者たちも力演しており、汗と情念の鬼気迫る入魂の演技ぶりです。彼らの多くは、戦中戦後も生き抜いてきた人たちであり、その時代の空気や残滓を肌で味わっているはずです。
一方、 2015年原田眞人では、役所広司・ 本木雅弘・ 松坂桃李・ 堤真一・ 山﨑努など、いい役者たちをそろえていますが、大御所長老の山崎努は1936年生まれで現在86才、9歳で敗戦経験では幼すぎかもしれません。制作年度の50年の隔たりは、役者だけでなく、作る側見る側の経験と意識の変化に大きく影響していると思います。
現場を演じる「アルジェの戦い」
1966年 ジッロ・ポンテコルボ監督
以下は、Wikipediaからの要約引用:
被爆を描いた日本映画「ひろしま」と同じく、当事者たち参加の再現ドキュメンタリー・ドラマとも言うべき作品ですが、20代のころに初めて見たときは「ドキュメント」と思ったくらい、演技という「嘘」が感じられない、あまりものリアルな迫力の白黒映像に圧倒されます。
アメリカ最大の陰謀説「JFK」
1991年 オリバー・ストーン監督
痛切なヴェトナム戦争を描いた「プラトーン」のオリバー・ストーン監督が、ケネディ大統領暗殺の陰謀説を描いて、賛否両論の渦を巻き起こした野心作です。実在の地方検事ジム・ギャリソンの著書などを原案にして、「フィクションではなく、事実を基に描いたドラマだ」と、ストーン監督は後述しています。
元総理の阿部氏銃撃事件のケースと同じく、犯人の撃った銃の発砲音の回数や、銃弾が体内に入って出た時の角度に、警察側の公式発表とは大きく異なった問題点があるなど、映画ではさまざまな矛盾点を鋭く指摘しつつ、「では、誰が真犯人なのか?」を暗示するところまで肉迫していき、3時間ずっと緊迫と恐怖の謎解きミステリーが続きます。
映画「JFK」に対するアメリカ国内での最大の批判は、「史実と食い違っている」、という点だったらしいですが、では、「真の史実とは?」と逆に問われることとなり、この問題の決着はいまだについていません。
あらためて、この映画「JFK」を見ると、当時のニュースフィルムと再現した映像とが見事につなげられ、そこへ巧みな音響効果がかぶせられることで、すべてが「本物だ」と信じ込まされるような臨場感が演出されていて秀逸な映像編集だと思いました。実際、アカデミー編集賞と撮影賞を獲得しています。
実話の冷徹な再現「GIGN ~ エールフランス8969便ハイジャック事件 」
2010年 ジュリアン・ルクレルク監督
1994年、アルジェリアで武装イスラム集団がパリのオルリー空港行きエールフランス8969便をハイジャックして、指導者の釈放を要求します。事件解決のためフランスの特殊部隊 GIGN( 国家憲兵隊治安介入部隊 )が出動しますが、犯人グループの真の目的は機体をエッフェル塔に激突させる大規模テロであった、という、実際に起こった事件を、リアルな迫真性と彩度を抑えたような冷徹な映像で描いています。
現場の部隊、テロリスト、フランス政府それぞれの立場を描き、実際に犯人と管制塔との間で交わされた会話など当時のニュース映像も織り交ぜながら、作戦の経過を忠実に再現したドキュメントのような映画です。
とりわけ強く印象に残ったのは、最初に突入して激しい銃撃戦となり、テロリスト4人中3人を倒すという果敢な働きをしながらも8発被弾、まだ体内に2発残っていて復帰不可能となった隊員Aに対し「その後、政府からは彼に何の恩償もなかった」というテロップが映画の最後に流れたところです。
この映画の優れた点は、よくある「勝者ヒーロー大活躍」に陥らずに、膠着状態になってテロリストの制圧に20分以上もかかり、乗客にも隊員にも多くの犠牲者や負傷者が出たことを克明に描き、その後の隊員Aの処遇までも隠さずにメッセージとして伝えたことです。
事件現場の見事な再現「日本の黒い夏~冤罪」
2000年 熊井啓監督
「冤罪」、時おり耳にするコトバです。この映画が今でも時おり話題に上がってくるのは、事件発生当時に、警察側の強硬な捜査とマスコミの過剰報道によって「でっち上げられた犯人像」という、「恐ろしい冤罪」の問題があるからです。
熊井啓監督の存在を初めて知ったのは、1972年作の「忍ぶ川」であり、それ以外の作品を見たことはありませんでした。「忍ぶ川」のあまりの抒情的な美しさに満ちた白黒映像に魅せられた私が、そもそも「熊井啓」とは、世間では「社会派監督」として高名であったことを知ったのはずっとあとのことでした。
さて、この映画は、当時は「無差別同時多発テロ」として世界中に報道された1995年「地下鉄サリン事件」に関連した、もうひとつの事件「松本サリン事件」を題材にしています。詳しくはここで触れませんが、一市民を冤罪へと陥れた警察捜査とそれに便乗した過熱報道のマスコミ、世間一般の過剰な誹謗中傷を、地元の高校放送部とローカル放送局との交流を主軸に、実際の事実を基に作られたドラマであり、ドキュメント風の作りではありません。
私がこの映画をここに取り上げたのは、映画のラストシーンゆえにです;
地方の閑静な住宅街を突然に襲った、多数の死傷者を出した有毒ガス事件、その現場を、映画は「犯人たちはこんな風に動き、ガスはこう流れてゆき、こうして人が次々に倒れていったのだろう・・」と予想した、戦慄的でありながらとても日常的な再現映像を見せてくれるのです。このシーンだけでも、この映画を見る価値はあると思えるくらい、見事な再現シーンでした。
この定義に沿えば、現時点のTV報道やネット記事から判断する限りでは、
イスラエルによるパレスチナ市街への空爆は、ハマス拠点への攻撃と主張しても、結果としては、「一般市民への無差別テロ」になっていると思われます。逆に、イスラエルにとっては、ハマスによるイスラエル領内に侵入殺戮こそ「テロ」と受け取っているので、国際社会による強い調停策が講じられなければ、この世界は一体どこまで尽き果てていくのかと、もはや他人事ではいられなくなるのではと危惧しています。