バズった時の話

一度だけツイートがバズったことがあります。

もう2年以上前なんですね。今回のnoteではこれを掘り下げてみます。

引用RT等で、日常的なことと仕事の技術は異なる、というようなご指摘を頂いていましたが
当時私が勤めていたのは高齢者入居施設で、そこでは食事の準備も業務の一環でした。
そして介護記録、研修や委員会の資料を作る為に、Excelを使うことも度々あったのです。

 「あの新卒『お米ってどうやって洗うんですか?』だって!信じられる?これだから今時の若い子はダメよねー!」
と、私に話してきた先輩は嬉しそうな顔をしていました。
あの新卒とあの先輩を、使えない新卒とデキる先輩だと分類することもできたと思います。
でも私にとっては、『今』知らない人とそうでない人、嘲笑された人とした人でした。

少し脱線しますが、無洗米やパウチのご飯が普及し始めて何年も経つ訳で、あまり米を研いだことがない人、研ぎ方を忘れた人がいたってちっとも不思議ではないと私は思っています。
そして、そこに年齢は全く関係ないとも。
腹が立つのが、精米技術が向上したことを知らずに
「子どもの頃家の手伝いしてたらフツー知ってるでしょ」
「今時の子は親に甘やかされて手伝いとかしないもんね」
等と言いながらガシガシ米を研いで米粒を砕いてしまっている人。
幼少期に家の手伝いをしていなかったとしてそこには様々な理由があり、
米を研げないことと甘やかされて育ったことをイコールとするのは根拠として弱すぎる。
そして人を嘲笑う理由としては、もっと弱い。

あのツイートは、みんなで知らないことを補い教え合えばハッピーだよ(^^)
なんて、ポジティブな想いから生まれたものではありません。
レッテル貼りと足の引っ張り合いに挫けかけていた自分を鼓舞する為に生みだした言葉です。

介護業界は常に人手不足です。
現場できる解決策は、自分を育て人を育てることだと思っていたので
資格を取ったり、読み込んだ育成本に則って新人指導をしたりしていました。
人事権のない平社員の私には、他にやれることが見つからなかったのです。
とは言え業務は確かに忙しいし、新人のとんちんかんな質問に苛立つことも当然あります。
それを吐き出すことも必要です。さてそれはどこで、どのように?

同僚達がよくやっていたのは、本人や利用者に聞こえるように、或いは他フロア他部署に、本人の言い分気持ち背景は考慮せず感情的に吐き出すことでした。
するとどうなると思いますか。
自分のを嘲笑うピリピリしたブラック現場の空気に当てられた新人の多くは伸び悩む、すぐに辞めてしまう。
そして残った人たちで「やっぱりあの新人使えんかったね」と笑うのです。

リアルに吐く時って、よほど切羽詰まっていない限りは、場所を選びますよね。トイレとか、洗面器とか。
スッキリする上に後処理が楽ですから。
同僚達は場所を選べないほど切羽詰まっていたのでしょうか。
吐き出してスッキリした後は、いなくなった新人の尻拭いが待っています。 

普段忙しいキツい人が足りないと言いながら、何故それを加速させる行動を取るのでしょう。
「そんなつもりはない」と彼等は言うかも知れない。
つもりがないのにその種を蒔いているのだから尚タチが悪い。
そんな同僚達にうんざりしていたのです。
そんな中でも新人を育てないと、育つ環境を作らないと、その心づもりでいないと、
利用者のスケジュールは省略せざるを得ないのに、仕事は楽にならない。
諦めずに取り組むしか、私にできることはなかったのです。

『今できない、今知らない』は致命的なことではない。
けれど言葉や態度を選ばない、選べないのは致命的なことだと当時思っていたし、今もそう思うのです。

自分の残業時間を減らす為、利用者接遇レベル低下を人員不足のせいにしない為。
虚しくなる瞬間に負けそうになりながら、伝わるような言い回しと骨組みを考え、試し続けていた頃のお話。

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