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ただ吸って吐いているだけで十分ならば

ときどき思う「何の為に」

答えがわかっているはずなのに自問自答してしまう
突如そこにあったはずの答えが見えなくなる錯覚に陥る現象。

先日、HPが削られ続けて「ここじゃなくとも」と思ってしまう瞬間があった。
わかりやすく言えば、逃げ出したくなる感情。

そういう時に誰かと話したくなる。久しぶりに「元気かい?」と

しばらく連絡を絶っていた、元職場の先輩に「最近元気ですか!」とラインを送ってみた。

一枚の写真と共に「おう!元気よ!修業が終わったら連絡するつもりだったけど、先に連絡くれたな。そっちもどうだい?」と・・・

ちょっと元気なかったけど、ツッコミポイントが丸出しで笑いそうになった。
まるでポケモンのディグダのようにポコーンと出ていた。どうしても聞きたい修業ってなんぞと(笑)

どうやら生活習慣を見直すために3月21まで京都の宝泉寺で修業をしているらしく、3週間の修業が終わったら私の誕生日に合わせて連絡をするつもりだったらしい。

「終わったら陸の顔でも見に行こうかな!」

たった一言。離れていたとしても、ちゃんと誰かと一緒にこの人生を生きているんだと実感できる言葉だった。

今日も親に、「この前家にきた先輩が寺で修業してるんだって」と話したときに、あのどう見ても優しそうな先輩?と言っていた。

人って一目見ただけで、人間性みたいなものがなんとなくわかる気がする。

私はわりとわかる方だと思う。思い込みだったり、決めつけだったりするのかもしれないが(笑)

あーこの人絶対いい人だな。好きだな。って
逆に、対面したときに違和感を感じる人もいる。そういった人に限って必ずどこかで人のことを悪く言ったり、人によって態度を変える人のような気がする。だから性格は顔に出ると思っている(笑)

いつも助けられているな。私も先輩に何かあったときは、必ず力になりたい。そのときに何かできる人間でありたい。きっとそれが自分の生きる原動力に直結している。

話は変わるが、私の会社にも「この人絶対いい人だ」と思った方がいた。

入社したてで不安な気持ちがある中、その方に挨拶したときになぜか安心できた。
部署は違うが、部長であるその方は、いつも気さくに話しかけてくれていた。

そんな部長が、明日で退職すると数日前に知った。

なんだかとても寂しい気持ちになった。今年の1月にも接点のあまりない方が退職して、なんだか寂しいなと感じたばかりだったのもある。

少なからず会社に属して働くということは、会社の利益のためにが大前提にあるはずだと思っている自分がいるからなんだろう。

大人になってからしばらくやっていないRPGのゲームでも
旅の途中で仲間を集めて、その仲間を一人も失わずにゲームクリアをしたいと思うタイプだ。

もっとわかりやすく言えば、ポケモンリーグのチャンピオン戦。
クリアした後に、殿堂入りシーンで瀕死のポケモンは黒く表示された気がする。
俺たちはここまでみんなでやってきたんだ!そう思ってしまうから
誰一人として瀕死にさせずにチャンピオンを倒したくなる。
人ではないけど(笑)

現実では不可能ではある。だから現実を受け入れて、明日見送りたいと思う。

人には人の考えがある。どういった理由で働いて、辞めていくのか

今の自分も正直わからない。未来のビジョンは不透明に見えるから

それを形作る能力が必要だし、努力して経験を積まないといけないこともわかっている。

負けそうになったり、寂しくなったりすることもしばしば

今映画が上映されたことで話題になっているハイキューの田中の名言
「平凡な俺よ、下を向いている暇はあるのか」を思い出してなんとか奮い立たせる。

それでもちょっと働く意味がわからなくなってきていたので、自分が作っている雑誌の読者アンケートを読んでみた。

いろいろなことが書かれていてた。
誰かの手に渡って、何かを感じてくれている人がいることがわかって嬉しかった。

毎月楽しみにしてくれているファンの方もいる。
そのファンの方の娘さんからメッセージが届いていた。

いつも雑誌に載っているクロスワードを「あーでもない、こーでもない」と電話で話しながら一緒に解いていた母が、先日80歳でこの世を去りました。もう電話はかかってくることはなく寂しいですが、あの時間が楽しかったので代わりにメッセージを送らせていただきましたと。

クロスワードは社外の方に提供をしてもらって、それを読者に難しすぎないように、かと言って簡単すぎないように自分が校正して世に出しているだけなんだが

ちゃんと自分がしていることは誰かのためになっているんだなとわかった。

見ようとしないと見えないもの
もしかしたらあとになってからじゃないと見えないものもある
気づけないこともたくさんある

楽しんでもらえるようにと考えながら作った人がいて
それを読者により、わかりやすく伝わるようにと校正する自分
届いた先で、喜んでくれている人がいる

何一つ無下にできない。小さなことでも。そう強く思うと同時に

世の中にあるものは、やはり全部繋がっているのだなと改めて感じた。

車を運転しながらふと窓の外を見て、この電柱を最初に考えた人誰なんやろ?
ここに建てた人はどんな思いで建てたんかな?

あの花きれいやなぁ、誰が植えたんやろ?どんな気持ちで植えたんかな?

いろいろな疑問だらけの世界で、きっとこうだろうと信じたくなる答えがある。

きっと誰かに喜んでもらいたい気持ちが、あちこちに形となっているんじゃないかと

「働くことはお金をもらうこと」

若い頃はその考えしかなかったが、自分の尊敬している喜多川泰先生が言っていた言葉

「働くことは自分の時間と引き換えに誰かに喜んでもらうこと」

ちゃんとそれがわかる年齢になってきた。

年を重ねるとお金も、物もいらなくなってくる
物欲が無くなってくる。

その中で何を求めるのか

誰かのもっとを限りなく実現し続けられるように磨いていかないといけないことが多くあるな。

ただ息を吸って、吐いているだけで十分な人生ならば、誰も苦しまない。

音楽で世界は変わらないとしたって
君の夜明けのきっかけになれたら

大好きなSUPER BEAVERの音楽を聴いて明日も頑張る。

自分の中での小さな革命を起こし続けていく。
誰かの夜明けのきっかけを作れる人でいたいから。

なんとなく見てる風景にもたくさん答えのヒントってあるんだなー




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