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8月31日、夏の思い出 【与太話】

 つらい思いをした記憶のすべてが「今となってはいい思い出」になるわけありません。


 いつまでたっても思い出せば怒りに震える記憶もあります。


 蚊にまつわる苦々しい思い出があります。


 若かりし頃、とあるテストを受けるためにホテルに宿泊したときのことです。


 翌日に控えたテストに体調万全で挑むためにもしっかり寝ようと、私は早めにベッドに入りました。


 部屋の電気を消して、緊張する心を内に抱えながら静かに目を閉じました。


 テストに対する不安と焦燥が心をかき乱し、なかなか寝付けませんでした。


 右に左にごろごろごろごろ寝返りを打ち、寝なければと思えば思うほど賑やかになる脳内、しばらくはそんな状態でしたが、それでもいつの間にか私はうっすら浅く眠り始めていました。


 しかし、ベッドに入って4時間後、彼女が現れました。


 耳元であのウイスパー。


 私は飛び起きました。


 部屋の電気をつけました。彼女と戦うために。


 ホテルの部屋はシングルルームで狭かったのですが、すべての電気をつけても薄暗く、彼女に有利な戦況でした。


 時折、耳元にあのウイスパー。


 どこにいる!


 私はすっかり興奮していました。


 目を皿にして探しましたが彼女を見つけることはできず、私は諦めて布団を頭からすっぽりかぶってベッドの上にうずくまりました。


 少しでも布団の外に肌を出せば彼女がやってくる。


 そう思うと、もう眠れませんでした。


 翌日のテストは寝不足で朦朧としたまま受けることになりました。


 結果は散々なものに。(もともと散々だった可能性は否定できない)


 あの日、蚊が私を起こさなければ・・・・・・、と、今でも思い出すと奥歯をぎりりと噛みしめてしまいます。






 数年前の話なのですが、私はとあるマンションに定期的に訪れなければいけない用事がありました。


 郊外に建つそのマンションは、すこし年季の入ったものでした。


 目的地は9階、部屋に行くためにはエレベーターを使います。オートロックのマンションなのですが、エレベーターは外気と接していました。そのせいか、夏場、毎回必ずエレベーターの中で蚊に刺されました。


 そのマンションのエレベーターには、いつも蚊がいたのです。それも1匹ではなく数匹。


 毎回どうしても蚊に刺されるものですから、私はそのマンションに行くのが憂鬱になりました。


 階段を使えば蚊を避けることができますが、夏の暑い日に9階までとなると、どうしてもエレベーターを使いたくて。


 蚊対策のために虫除け成分が含まれているブレスレットをつけていってみましたが、効果はなく。


 蚊は風に弱いという情報を得たときには扇子を用意、エレベーターの中でかつてのお立ち台を想起させるほどに扇いでみましたが、これも効果はありませんでした。


 長そで長ズボン、ストールを巻いて完全防備で行っても、手の指の第一関節を刺される始末。


 エレベーターに乗っている間ずっと刺されまいと体の表面を払い続けてみましたが、彼女たちは一瞬の隙を突いてくるものですから、これも意味をなさなかったです。もし警備員さんがエレベーターの中の監視カメラを見たら、かなり滑稽な動きをしている女だったと思います。


 マンションの住民でもないのに殺虫剤を勝手にまくわけにもいきませんし。


 もう諦めるしかなかったのです。冬になるのを待つしかなかったのです。


 私はもう憂鬱で憂鬱で仕方ありませんでした。


 彼女たちは激しい痒みをプレゼントしてくれるだけではなく、アレルゲンでもあります。デング熱等の病気の媒介者でもあります。なんと恐ろしい。


 蚊は、人類共通の敵です。


 ということは、蚊は地球にとっては救世主なのかもしれません。


 だとしても、われわれ人間にとって蚊は百害あって一利なし。


 蚊ほど100%敵な存在はないと思います。


 蚊だけは間違いなく敵です。


 その蚊がエレベーターの中で待っている。


 思い出すだけで痒くなってきます。


 憂鬱でした。もう本当に、憂鬱でした。


 嫌で嫌でしょうがなかったです。


 もう本当に本当に、憂鬱でした。


 でも、今はもうそのマンションに行く用事がなくなって、そのエレベーターに乗らなくてよくなりました。


 つい先日、とある施設のエレベーターに乗った際に蚊と遭遇しました。


 そうしたら、かつて蚊に翻弄されたあのエレベーターを思い出したのです。


 あのエレベーターを思い出した途端、世界の色が変わりました。私はそのとき、自分の幸せに気がついたのです。私はもう、蚊が中で待っているあのエレベーターに乗らなくてよいのです。エレベーターの中で蚊と戦わなくてよいのです。戦っても結局、蚊に敗北して痒いかゆいとつらい思いをしなくてよいのです。私は解放されたのです。


 今となってはいい思い出だと、あのつらさを私は思い出しては笑ってしまう話に昇華させることができたのです。


 この喜びはもはや快感に近い。


 しあわせなことです。


 蚊が中で待っているエレベーターに乗らなくていいというのは、なんてしあわせなのでしょう。


 蚊が中で待っているエレベーターは、私に、どんなにつらくて憂鬱でしんどい状況だとしても永遠には続かないということを教えてくれたのかもしれません。


 その意味では、蚊の存在意義はあるのかもしれません。


 いや、そうだとしても蚊は永遠に憎いです。

「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻し(カイブシ)は焚かぬもの。不憫の故にな。」

太宰治「葉」『晩年』(以下同)


 いや、蚊燻しを焚きましょう、婆様!

「なんの。哀蚊はわしじゃがな。はかない・・・・・・」


 いいえ、婆様、哀蚊は蚊です。婆様は婆様です。蚊は敵です、婆様!

「わしという万年白歯を餌にして、この百万の身代ができたのじゃぞえ。」


 ああ、婆様、刺さんとする蚊はメスです。卵のために人を襲うのです。蚊燻しを焚きましょう、婆様!


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