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三日坊主で何が悪い。


いつも思うことがある。ある一つの物事に何年も毎日欠かさず取り組むことができる人に「本当に欠かさず毎日楽しくできてるのかな。」と。

ある程度長く何か続けているとそれがその人のアイデンティティになったりなんかして、「それがなくなったら私じゃなくなる」だなんて思ったりしないのかなと考えたりもする。

これは何も皮肉目に言っているのではなくて、単純に僕にはできないから、という理由で興味を持っているのだ。

そもそもの前提として、何かを続けることに毎日欠かさずやる必要があるのか、ということと、それが楽しいものでなくてはならないのかというところも疑ってかからなくてはならない。

僕は小さいころからいろんなことに興味が出てきてしまい、いつも何かをし始めてとりあえずハマってはみるのだけれど、自分の納得するところまで突き詰めたことはない。この「自分の納得のするところまで」というのは人に聞く限りでは僕はマニアックらしいのだが、僕の中の理想はそれこそそれを生涯かけて研究したり技術を磨いたりするレベルの話で、これは、僕の短い人生の中では完成はしないだろうなといつも途中で投げ出してしまう。全く手がつかなくなるわけではないけれど、いっときの熱の入りようから考えると、ハマってるとは到底言い難いレベルまで熱が冷めるのだ。

本当は、すべてでプロフェッショナルでありたい。でも、僕には無理なのだ。一つのことにストイックにそれのことだけを考えるような人生は送ってこなかった。幼少期、三日坊主と言われ続け、続けるだけ持久力を持ち合わせていなかった僕はずっとこのことを引け目に感じていた。「いつか本当に好きなものに出会う」この言葉だけを自分に言い聞かせてあらゆることに手をつけた。

でも結局飽きるのだ。

新しく何かを始めると最初は時間も忘れて没頭する。それに投資すべきものも、アマチュアレベルでは飽き足らず、プロが使う機材を揃えないと気が済まない。それでも、一歩外に目を向けた瞬間にその手のプロフェッショナルと対等に戦えないことを一番最初に自覚する。自分より上手な人を見ると「敵わない」と感じてしまいその一線で戦っていくことを意図的に避けてきたのだ。

僕にとって、何か新しいことを始めることは挑戦なのかもしれない。ただ楽しいという感覚だけでは続けられない。それが一つの使命だとすら感じることがある。「産みの苦しみ」という言葉があるように、僕は自分が生み出したものに対していつも愛着を持てなくなってしまう。これは、僕の才能を信じて頼んでくれたクライアントの前ではあまりこぼさない弱音だ。そんなこと言ってしまったら、クライアントに対して申し訳なさもある。だから、常に自信を持つように自分には働きかけるのだが、どうも自分が生み出したものを愛でていくだけのメンタリティは持ち合わせていない。いつも生み出した後には次はもっといいものを、作らなくてはならないという使命感が僕を襲う。


どれをとっても僕はプロフェッショナルではない。しかしこれは、僕の弱みでもあり一つの強みでもある。

そう、僕は常に満足をせず、あらゆることを知りたいのだ。

散々ネガティブなことを書いたが、僕が語りたいことはそうではない。

僕はこの「三日坊主」、飽きっぽい性格を今ではプラスに捉えているのだ。

殊クリエイティブな事柄に関してはあらゆることを経験したおかげで、それぞれの専門性はないにせよ口を出せるほどには研鑽を積んできた。例えば、小学生の頃からHP作りをしていたため簡単なコードなら書ける。バンド編成の音楽であればベース、ギター、ドラム、ピアノは弾けるし、レコーディングの知識も少しかじった。自分でオーディオインターフェースとマイクを購入し、DTMも行ったことがある。コードの理論もある程度理解しているため、作曲や編曲も行える。カメラではポートフォリオからスタジオ撮影まで経験し、レタッチもある程度ならできる。カメラ初心者に対してカメラの基礎講座を行ったこともある。映像では民生機では飽き足らず業務用のカメラを購入し、プリプロダクションからポストプロダクションを経験し、映像制作の全行程を学んだ。

そしてそれぞれの分野においてプロとの交流を持っていることで、それぞれの人に意見を仰ぐことも、時にはその技術を提供してもらうことができるようになった。何事においても知見を持つことによって、それは他の誰よりも価値のある人材として登用されるようになった。個別に見れば大したことのない技術でも、それを統合したデザインを提供し人々をディレクションすることができるのは、そんなに多くないのだなと感じることが多い。今後新たなことに挑戦し、新しい知見を得ればそのぶんだけ、僕には財産となりより貴重な人材となることができる。何より、それぞれの専門家が自分の技術をふんだんに使い、何かいいものを作ろうと必死になる-----これは中学や高校時代の文化祭に近しいものを感じているし、そこにやりがいや楽しみを見出している。

それに、各方面のことを嫌いになってやめたわけではない。ただ一時的に飽きただけなのだ。だから、またやりたいと思ったら再開したらいい。確かに楽器などはその鈍った技術を取り戻すのには時間はかかるが、今の自分のモチベーションが「技術を磨く」ことにない以上、そこでつまづくことはない。ただ新しいコードを、新しい絵を、新しい世界を切り開きたいだけなのだ。

飽きたらやめて、またいつか始めたらいい。それは長い目でずっと続けていることと一緒だから。

たくさんやりたいこと興味があることに手をつけること。そうすれば見える世界も人々も少しずつ変わってくる。本気になれるものが多ければ多いだけ、あなたを取り巻く環境は変わり続ける。変化は人間の本質だ。昨日の自分と今日の自分が同じである保証などどこにもない。

「三日坊主」で何が悪いというのか。これからもいろんなことを齧っては味見をし、新しいことに挑戦していくまでだ。そうやって僕の人生はすこしずつではあるけれど確実に新たな扉を叩きながら進んでいく。





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