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『僕の東京百景 - 池袋サファリ』

 上京して早くも1ヶ月以上経ち、7月も終わろうとしていた。
 僕はその間何をしていたのかと言うと、ほとんど働きもせず1日中池袋のゲームセンター「サファリ」に入り浸っていた。サファリは他のゲームセンターと違ってPCを貸し出しているスペースがあり、100円で30分、400円を入れるとなんと3時間もPCを使わせてもらえるのだ。

 さらにその上の最上級コースがあり、1200円を払うと1台のPCを閉店まで使えるようになる。定職についていなかった僕はお金をあんまり浪費したらいけないなと思いながらも、毎日1200円を払いネットゲームに没頭していた。
 1ヶ月の間に東京の名所も回らず、お気に入りのご飯屋さんすら無かったのは、電車に乗るのが怖く、顔馴染みのないお店に入る勇気もなかったからだ。一人でどこへでも行けるようになったのは、ずっと後のことである。

 朝起きてサファリへと向かい、お腹が減ったら東口にあるマクドナルドでご飯を済ませ、来る日もだらだらとゲームをしながら過ごしていた。
 当時22歳で、正直まだ若いしいつか取り返せると思っていた僕は就職をするなんて微塵も考えておらず、もうその頃には、貯金もあるし半年ぐらいは遊んで暮らそうとすら思い始めていた。

 サファリの中は快適で、室内が暗いのも居心地がよかった。
 店員さんがフロアの掃除やPCの点検の為に動き回っていて、その中にショートカットのかわいい女性がおり、目の保養すら提供してくれる。

 ここはなんていいところなんだと満たされながら、僕はゲームに没頭する。しかし格安の店には問題が付き物で、それがサファリのPCスペースに訪れる客の粗悪さだ。

 ケース①、ブチギレチャットファイト男。
 対人ゲームにのめり込むあまり、ここが他人も利用している空間だということを忘れ、奇声を上げながらキレ散らかす客。対戦相手に対しても平然と悪口を言うし、味方に対しては「コイツ使えねー!」と愚痴を言い続ける。
 体が温まってくると、「WTF!!(what the fuckの略)」と一際大きな声で叫び、ものすごい勢いでキーボードをカタカタと叩き始める。
 たまにテーブルに拳を振り下ろして、店中にドンッ!!!という鈍い音が響くのだが、一瞬のできごとなので店員さんもどの席の誰がやったのかまで把握することができず、対処に困っていた。"WTF"の言い方があまりにも日本語訛りで、それが無性に腹が立った。

 ケース②、爆音狂乱高校生。
 とにかく声のボリュームが大きい。真反対の離れた位置に座っているのにもかかわらず、ヘッドホンで耳を塞いでいても声が聞こえてくる。友達と通話をしながら楽しそうにゲームをしているのは大いに良いことなのだけれど、声のボリュームを70%ぐらい落としてほしかった。
 夕方頃にいつも制服姿で訪れ、店内にその騒音を響かせては毎度店員さんに注意をされていた。それでも次回になるとまたうるさい。
 隣の席に座ってしまったことがあり、その時も爆音でしゃべり続け、あまりのうるささに頭が痛くなって帰ったことがある。家に帰るまでに左耳からずっと耳鳴りがしていた。

 ケース③、囁き笑いの人。
 隣の席に座った際、常に「フフ……フフフ……」という囁くような笑い声が聞こえてくる。開店から閉店までそんな調子で笑い続け、とうとう夢の中にまでその人の囁き声が聞こえてきた。迷惑行為は一切なかった客なのだけれど、ちょっとした恐怖体験であった。

 ケース④、汗の人。
 誰なのか分からないが、汗の人がいる時に訪れると店内に嫌な匂いが充満している。PCスペースは普段から寒いぐらいに換気扇をガンガン回しているというのに、入口にまで汗臭い匂いが行き届いている。
 汗の人が居る時のサファリには活動限界時間があるので、1時間もゲームをしたら一旦外の空気を吸いに行く。

 サファリにはそんな個性豊かな客たちが集うのだけれど、あくまでも迷惑行為を働いているのは極少数の客。価格設定は超良心的だったし、PC環境も常に高スペックな設備に更新され続け、使用しているPCに不具合が起こったら店員さんがすぐに駆け付け、使用できなかった時間+1,2時間オマケで使用させてくれるなどのサービスもしてくれた。
 池袋には他にもPCを設置した「e-sportsカフェ」なるものが幾つかあると思うが、サファリが(当時)ダントツで価格設定が安かった。1時間当たりの値段はネットカフェよりも安いので、お金をあまり使えない自分は重宝していた。

 サファリではとにかくゲームをしていた思い出しかない。
 店に訪れる他の客と何か交流があったわけでもなければ、ショートカットの店員さんとの恋が始まるわけでもなかった。ただひたすらに遊び惚けた時間だけが続き、たまに心配の電話を入れてくる両親には「就活に苦戦している」とだけ伝えていた。本当は就活すらしていなかった。

 ある日、午後に起床した僕は無意識のままサファリへと向かう。
 もはや習慣化しているので、半分寝ぼけたままの状態でも最短ルートでサファリへと辿り着く能力を習得していた。

 店に入り、端っこの一際暗い席につく。お金を入れ、ゲームをプレイする。有意義な時間のはずなのに今日は何やら落ち着かない。店内がいつもより騒がしい。ヘッドホンを外してしばらく周囲の様子に耳を傾けた。反対側のスペースが物凄くうるさい。カバンの中身を漁る不利をして、向こう側の様子を伺う。見ると、ブチギレチャットファイト男が勢いよく拳を振りかざし、机を殴りつけて対戦相手にキレ散らかしていた。
 一つ飛ばしの席では、爆音狂乱高校生がめちゃくちゃなテンションで、自分のプレイを店内に響く爆音で実況している。

 明らかに異様な光景だった。
 さながらサファリパークの動物たちを見ているよう。

 その阿鼻叫喚の光景を見た瞬間、ここにずっといてはいけないと感じた。
 サファリという手ごろな幸福を得られる環境に順応した”成れの果て”が彼らなのだとすれば、この場所でただただ時間を浪費し続ける自分もいずれは、第⑤のケースに成ってしまう。よく見ると、僕の体にはいつの間にか縞模様が浮かび上がり、足には蹄が形成され始めていた。慌てて店を出る。

 約1ヶ月振りに、まだ陽が高い時間にサファリを後にした。
 変わらなければいけないと、ようやく自覚することができた。きちんと働いて、真っ当に生きなくてはならない。その為に東京に来たのだから。

 後ろを振り返ると、暗い穴の中からまだ彼らの声が響いていた。
 その声は、いつでも戻ってこいと、誘惑しているようでもあった。

▼前回の僕の東京百景


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