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人に善を為す時は、謝りながらしなければいけない。

人に善を為す時は、謝りながらしなければいけない。

私の大好きなコピーライター岩崎俊一さんの著書『幸せを見つめるコピー』を読んで知った言葉だ。

太宰治がヴァレリィの言葉を引いて綴った文だそうで、著書内のエッセイ「人助け」の中で引用されていた。(それを私が更に引用する)

後ろにはこう続く。
「善ほど人を傷つけるものはないのだから。」

なんて素敵な言葉なんだろう。
涙が出そうになる。

言葉との出会いが、とても愛しくて大切なものだと
気付かされた文章の一つである。


これまでの人生の中で、善行と人間関係について考えることがときよりあった。

いいことをすると気持ちがいい。
ありがとうと聞くと幸せな気持ちになる。

善を為した時に、相手の喜んだ姿を見れば自然に思うことだと思う。
だけどもし相手が感謝の意を示さなかったら、その時はどう思うか。

「せっかくしてあげたのに・・・。」

親切して損したと感じたり、ともすれば、怒りの感情を抱くこともあるように思う。
でもそれは、気づかないうちに自分と相手との間に上下関係を作ってしまっているから思うことなのだ。

そのくらい思ったっていいじゃん。
いいことをする。感謝された。
いいことをされた。感謝する。
そんなもんでしょ。

確かに純粋にそれだけでいいと思う。思うんだけど・・・。

不幸な人がいて、
それを助ける人がいたら。

助ける人は優しい人で。
助けられる人は哀れな人で。

けど、もし少し違う運命を辿っていたら、
立場が逆だったかもしれないのになぁ。
なんて思ったりもする。

だから、誰かの善行に感謝をし続けなきゃいけない立場の人を思うと、
それはそれでとても苦しいことなのじゃないかと悶々と考えてしまうことがあった。

うーん。それならどうしたらいいんだろう。

それでも、誰かが困っていたら、手を差し伸べたいし、
助け合いが自然に発生する、そんな世の中の方がいい!

そこで出会ったのが上の言葉だ。

良いことを偉そうな気持ちでやらず、申し訳ないと思いながらやる。
本心で本当に悪いことをしてると思ってるから、
相手に求めるのは感謝ではなく、許しになるのだ。

うん。

これなら、傷つけることを恐れて動けないということもなくなるし、
与えるも与えられるも同じ目線で居られる。
相手に期待することもなくなるし、自分がどうしたいかで行動ができる。

長年自分を悩ませていたテーマにやっと一つの答えが出たんだなぁと思った。

まあこれは、あくまでも善行をなされた側が上から目線にならないことが
前提なのだけど。。

誰かのためになることをして、
予想と違う反応が来たとしたら。
ムッとする前に、
「あ、そもそもいいことって謝りながらすることだったな。」て思えたら、
今までよりも爽やかな気持ちで日々を生きれるような気がする。


そんな素敵な人に、いつかなりたいな。

人間そんな偉くないから、難しいのかもしれないけど!笑

おしまい!

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今までですます調でnoteを書いてましたが、
文章書くのに慣れてないとですます調は難しいということに気づいたので、
やめます笑
拙い文章で恐縮ですが、これからもよろしくお願いします!
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