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君は酒に話しかけられたことがあるか

完全に酒に呑まれていた時期があった。それも二度。26歳、そして29歳のときのことである。全くどちらも甲乙つけがたいヒドさで、我ながらよく生きのびられたものだと思う。

アルコールは『遅延されたヘロイン』といわれるほどで、あらゆるドラッグの中でもっとも恐ろしい。そこらのイリーガル・ドラッグなど全く比べ物にならない。なにせ我が国においては24時間いつでもどこでも買えるし、数百円程度で手に入るし、何しろ合法なのだ。マナーを抜きにすれば公共の場所でキメてもいいのである。酒のほんとうのコワさというのは、自らの身をもって体験してみないと解らないものだ。オレとて吾妻ひでおの『アル中病棟』や、中島らもの著作を読み、曲がりなりにも酒のコワさは理解しているつもりであったが、いとも簡単に、あっけなくアルコール依存症に陥った。知識などは屁の役にも立たなかった。誰もがハマる可能性のある底なしの沼、それが酒なのだ。

26歳、初めて酒とズブズブになるまで、オレはほっとんど酒を飲まなかった。飲酒習慣はおろか、ライブの打ち上げなんかで『全員とりあえず生でいーいー?』みたいなクエスチョンをされても、『いや、僕はオレンジジュースがいいです』と戸愚呂・弟のようなアンサーを返していたほどである。決して嫌いというわけではなかったが、かと言って好きというわけでもなかった。時たま、月にいっぺんぐらい、気が向いたらほんの少しだけ舐める程度に飲むといったような、そんなごくごく浅いおつきあいであったのだ。『いやあ、昨日飲みすぎちゃってさぁ、二日酔いだよ』とかいう友人を見るにつけ、『なぜそこまで飲むんだ。明日に響かぬ程度に飲めばよかろうものを。』などと思っていたのである。

で、まあまあヘヴィーな話題なので詳述は避けるが、26歳の春、立て続けにシンドいことが起こった。初めて味わう人生の艱難辛苦にオレは大いに悩み、そして苦しんだ。盛りとかヌキで、まっすぐ歩くことすら困難になった。比喩ではなく本当に胸がズキズキと痛み、眠ることすらできなくなった。それまでのオレの救いといえば、映画や音楽やマンガであった。つらいときや苦しいとき、乗り越える力を与えてくれたのはいつだってこれらのポップ・カルチャーだった。しかし、マジで精神状態がドン底に陥ってしまうと、それらの恩恵すら受けることができなくなるということを、オレは身をもって知った。映画を観ても、本を読んでも、意味がさっぱり理解できなかった。クロマニヨンズの名曲『ドロドロ』に、“言葉は通じるけれども 話が通じない”という一節があるがまさしくそんな感じで、何を観ても、何を聴いても、内容がまったく頭に入ってこなかった。

出口さえ見当たらぬ絶望の日々に疲れ果てたオレは、そんな暗黒から少しでも逃れるべく酒を飲み出したのである。仕事終わりの憂さ晴らしを兼ねた晩酌とか、ハメを外すためのパーティー・アイテムとしてではなく、己の心を麻痺させ、つらい現実を一瞬でも忘れるための麻酔としてアルコールを摂取することにしたのだ。もともと酒を飲みつけていないせいもあってか、当初の効果は抜群だった。酒は頭の中に立ち込める暗雲をかすませ、胸の痛みを鈍らせてくれた。ぎざぎざした神経のカドも丸くやわらかくしてくれたし、眠らせてもくれた。味も、匂いも、シチュエーションも、何にも関係がなかった。オレは『一刻も早くワケわかんなくなるアイテム』として酒を飲み続けた。

そんなふうだから、酒量も瞬く間に増えていった。初めはせいぜい缶チューハイを2本も飲めば十分だったが、一刻も早くワケわかんなくなるためには度数の強い酒を飲めばいいのだと考え、ビール/チューハイ→ワイン/日本酒→ウィスキー/ブランデーと変わっていった。飲む量も、飲む時間も増えていった。とにかく早くワケがわからなくなりたかったから、毎晩ウィスキーをストレートでひたすら呷り続けた。そのうち、胸が痛むたびに昼間でも酒を飲むようになった。気がつくと朝起きたらまず酒を飲み出し、酔い潰れて眠って、起きたらまた酒を飲む。というような日もめずらしくなくなってきていた。オレは色々あって働いていなかったから、いくらでも飲めた。またその頃、小説を書き始めてもいたのだが、不思議なことにいくら飲んでも文章だけは普通に書くことができた。オレは来る日も来る日も酒を飲み続けながら小説を書いた。


あるとき、友達のひとりがオレに言った。『お前がいくら酒飲もうと別に勝手だけど、お前が人生で成し遂げたい何かがあるなら、そのままだと良くないよ』というようなことだった。オレのヘヴィーな状況を知っていて、くだらぬ愚痴や憂さ晴らしにも付き合ってくれていた友人だったので、ものすごく説得力があった。オレが小説を書き出したのはいくつかのきっかけがあるのだが、いくつかあるきっかけのうちの一つもその友人の言葉だったりする。

ともかくこれを深く受け止めたオレは、酒をやめる決心をした。

当時、オレは業務用ウィスキーの4リットルボトルを部屋に常備していた。もはや4リットルボトルがないとそれだけで不安だったし、一ヶ月足らずでボトルを消費するようになっていた。グラスに注ぐのさえ面倒くさくて、ボトルに口をつけて飲んだりしていた。オレはそのボトルを睨み、このまま捨ててしまおうと思ったが、まだ買って三日としないボトルであったので捨てるには忍びないと判断し、そのままにしておいた。

ほんで夜。

オレは困惑していた。

シラフの状態でどう過ごしていいのかをオレはさっぱり忘れてしまっていたのだ。酒を飲まずに時間をやり過ごす方法というのが全くわからなくなっていた。気を紛らわそうと本を読んだり音楽をかけてみたりしてもどこかソワソワ落ち着かなかったし、時間の流れはやたらと緩慢だった。オレはウィスキーの4リットルボトルを見つめた。喉が乾き、妙な悪寒が身を包んだ。

飲みたい。飲みたい。飲んでワケがわからなくなりたい。早くワケがわからなくなりたい。そうして知らぬ間に眠ってしまいたい。

湧き上がる欲求を、オレは必死にこらえた。

おかしな話だと思うが、オレはこのとき、初めて自分が相当アルコールに依存しているということに気づいたのだ。やめようと思えばすぐにやめられると高をくくっていた。だが実際、やめようと思い立って最初の一歩を踏み出してみたら、もう、それはとてつもなく過酷な道であったのである。自分はこれだけ酒に冒されていたのか、と思うと、情けなかったし怖かったしで、涙が出てきた。

くそ、くそ、飲みたい。飲みたい。飲みたい。

オレは身体をぶるぶる震わせながらウィスキーボトルを凝視していた。そのときだった。

 ——ちょっとぐらいいいじゃん。

ふいに、ウィスキーボトルがオレにそう話しかけてきたのである。軽薄そうな若い男の声だった。幻聴であることはもちろんわかっていた。わかっていたからこそ恐ろしかった。自分の脳ミソがここまでアルコールに蹂躙されているという厳然たる事実を突きつけられて、オレはパニックを起こした。

『うわーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!』


オレはダッシュすると、ウィスキーボトルをひっつかみ、窓を開けるとそのまま外にそれをぶん投げた。そのころ季節は冬で雪がいちめんに積もっており、ボトルは庭の花壇のあたりに音を立てて埋まった。途端にものすごい静寂が襲ってきた。痛いぐらいだった。オレは窓を開け放ったまま立ち尽くし、じっと庭に落ちたボトルを食い入るように見つめていた。


五分後、オレは泣きながら泥のついたウィスキーボトルを直で呷っていた。うまかった。痺れるほどの美酒だった。酒に酔いしれながらオレは泣いていた。涙を流しながら酒を飲み続けた。人生でいちばん悲しくて、いちばんうまい酒だった。



それから色々あって、ものすごく苦労して、オレはなんとか酒の沼から脱することができた。とはいっても完全に禁酒したとかそんなことはない。それから三年後、29歳のときにふたたびオレは沼に肩まで浸かって100を数えることになる。ともあれ、このときからオレは“酒を飲む人”になった。打ち上げでも普通に酒を頼むようになった。結局のところ酒は面白く、そして美味い。オレは酒を否定しようなどとは露ほども思わない。酒を飲むと色々なことが起きるが、ハッキリ言ってそのうちの95パーセントは全く不要な産物である。だがしかし、残りの5パーセントにミラクルが存在する。そのミラクルはおそらく他のどのドラッグにも起こしえないものであり、そのミラクルを味わうためだけに酒を飲む価値は十分あるとオレは思う。



あのとき泣きながら飲んだ酒の味、そして『ちょっとぐらいいいじゃん』と酒が話しかけてきたことを、オレは一生忘れないであろう。




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(オレに話しかけてきた酒)

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