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【実録】上海生活 #15「自分自身が価値ある商品です!」

人が何かものごとを判断するとき、中国人たちは「トレード的」、日本人は「インダストリー的」な基準で判断することが傾向があり、中国で感じる違和感、困惑などは、この違いがコミュニケーションの大きなギャップになっていることを感じる。「トレード」とは「取引」とか「貿易」などを意味し、その基本は、値段の安いところから高いところにモノやお金やサービスを移動させてその差額のサヤを抜くというものである。つまり価値の移動によって収益を狙う。商業とか金融業、貿易業などがその典型であり、いわゆる「商売」のことである。

一方、「インダストリー」は、一般に「産業」とか「製造業」などを意味する。その根底の発想は、従来になかった価値の「創出」や日々の改善によって既存の価値を「増大」させることである。もちろん製造業も造った製品を売るのだから、トレードの一部であって、両者は完全に切り離せるものではないが、その両者の考え方や行動はかなり異なる。

例えば、時給で働いている人マッサージ師が「もっと収入を増やしたい」と思ったら、経営者になる以外は時間あたりの単価を上げるしかない。「技術のスキルをアップして、お客様からより高い料金を取れるようにする」と考える人もいるだろう。そのために研究を重ね、接客技術を向上させ、店の環境もより良くする。競争もあるから簡単な道ではないが、努力する。これが日本社会では自然な思いつきだし、ぼくもそう思う。まさにインダストリー的発想、「スジ」的思考である。

一方、中国人は、同じ仕事で、「もっと多くのお金がもらえるところはないだろうか」と考える。人手不足や人気店、海外に行く手もある。仕事としてやることは一緒だが、もっと高く売れる場所に移動する。非常にシンプルな例えだが、トレード的というのはこういうことであると考える。必ずは言えないが、中国社会にこのような傾向が強くなるのは実感としても確かである。

以前に触れた「中国人がすぐに会社を辞める」ことも、「トレード的」な考え方であることがわかる。中国人の発想では、自分自身は商品であって自分という商品を、いかに高く売ろうかというトレードの発想が基本にある。
会社の経営も同様で、日本的な発想では、一つの領域で長期的に事業を継続し、自らの専門性を高め、他社にできない価値を生み出すことに意味があると考える。長い経験を積むことで問題解決能力、トラブル対応力を高め、高品質な製品やサービスを安定的かつできるだけ安価に提供しようとする。日本には100年、200年、もしくはそれ以前から存続している企業が数多くあるが、それはこれらの結果だろう。「創業100年の老舗」などと聞くだけで、絶大は信頼と尊敬の念を抱いてしまう。

一方、中国の経営者の発想は、会社経営そのものがトレードなので、自分の会社に価値がないうちは必死に働く。ところが事業がそれなりに回るようになり、一定の価値が生み出せるようになるとトレード的発想が出てくる。例えば家族でラーメン屋を始めて、それなりに成功して、数店舗持つことができた。しかし、ブームによって競争が激化して効率よく儲けられる時代が終わったと判断すると、さっさと店は人に売ってしまい、自分はもっとお金を効率よく回せる商売に移っていく。未経験の業種を手がけることも厭わない。日本のようにラーメン一筋、人生をかけてもっと美味しいラーメンと作って競争を勝ち抜こうとは考えない。そんな調子なので、結局は味もサービスも中途半端といったケースも少なくないような気がする。

ぼくは、前職も今もそこそこの大手の組織で生きてきたので、世間が共有する「スジ」に従って生きることをごく自然のことと思っていた。会社の理念とか社会的意義とか、お給料をもらうということ以外に「この仕事を通じて世の中にどんな貢献ができるか」「何のために生きるか」など、さまざまな「べき」論を受け入れている。また、それらに向かって努力することが人生にとって重要なことなのだという信念を持っている。それが結果的にお客様のためになり、社会のためになって、その価値の対価としてお金を得ることができる、思ってきた。ぼくのそんな想いを熱く語ると中国人スタッフはとても熱心に耳は傾けてくれる。ところが多くの場合、残念ながらそんな話は彼らには響いていない。日本からわざわざ来た人が一生懸命に話しているから、それなりに話を合わせてくれるが、心のそこから共感しているわけではない、というか理解できていないのだろう。それは、中国人のスタッフの感性が鈍いとか、考えが浅はかというわけではなく、「生きていく」という「相場観」「価値観」が違うだけなのである。

「この道一筋」のスジ的な発想に慣れ親しんでいるぼくからみて、中国人のこのような考え方や行動には強い違和感がある。自分たちが真奉して、かつ成功してきた「企業とはこうあるべき」「人生は書くあるべし」という自分の経験や成功体験と中国でも実現した問いう思いがなかなか伝わらない。しかし、そこで「だから中国人は・・・」とうまくいかない原因を相手のせいにしてしまうと、状況は悪化する一方になる。これは、中国人スタッフ個人の資質の問題ではなく、中国社会全体の「相場観」や「クセ」のような問題だからだ。すでに一人前の大人になった人間が、生まれた時から馴染んできた思考パターンや行動の区政を直すのは容易ではない。仮にできても数十年かかるだろう。

ただ、最近思うことは、中国人の中でも一部には日本的な雇用システムやマネジメント、そしてその根底にある「スジ」的な思考、さらには「カネだけじゃない」という職人気質といったものを理解して強い関心を示す人もいる。大げさに言えば、中国の経済が一定の成熟度に達してきたことで、初めて中国人と日本人が同じ土俵の上で議論できる環境が出来つつある。両者とも次の段階に進むべきときに来ているのではないだろうか。

次回に続く・・・。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!謝謝♫

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