RIKA

1995年生まれ┊時系列はバラバラ┊湧き出た感情を否定しないがテーマ┊好きな言葉は「正…

RIKA

1995年生まれ┊時系列はバラバラ┊湧き出た感情を否定しないがテーマ┊好きな言葉は「正しいかどうかは時間が決めること」

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自己紹介

ここ最近、色んな方のブログを読むのが趣味の1つとなっているのですが、自己紹介ってこんなにも読むのが楽しいのですね。 会ったこともないし、文章のやり取りすらしたことないのですが、自己紹介を読むとその方が少し近い存在に感じられます。まるで小説の主人公に感情移入するような、そんな感覚。 そんなこんなで、皆さんの自己紹介を読んでいたら、私も書きたくなってしまいました。真似っこです。よかったら、お付き合いください。 私について 1995年生まれ。社会人。夜に筆が乗るので、真夜中に

    • 息苦しい日々の中、世の広さを知ったときに一度歓びを感じ、その後思ったよりも広くないという事実に気づいたときが第二のステージ。その頃にはもう怖いものなんてないだろう。あるのは目の前の一本の道だけ。

      • 悲しみの感情表現を苦手とする人が目の前で涙を流したとき、側にいてあげられて良かったなと思う。そんな存在であり続けたい。

        • 信じたいんだと思う

          タワーマンションに住みたいわけではないし、ブランド物に囲まれたいわけでもない。整形をしたい欲もないし、高級料理をたらふく食べたい気持ちもない。 私の今の環境はとても恵まれていることも分かっている。帰る場所があり、毎日食事も摂っている。不安に怯えながら生きることもないし、歯車のように生きている感覚もない。 だけれども、何だか満ち足りていない気持ちだ。何が欲しいわけでもない。ただ、人生において何かが足りないのだ。 とても恐ろしい感情だと思う。これを欲と呼ぶのか。目標がある訳

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        自己紹介

        • 息苦しい日々の中、世の広さを知ったときに一度歓びを感じ、その後思ったよりも広くないという事実に気づいたときが第二のステージ。その頃にはもう怖いものなんてないだろう。あるのは目の前の一本の道だけ。

        • 悲しみの感情表現を苦手とする人が目の前で涙を流したとき、側にいてあげられて良かったなと思う。そんな存在であり続けたい。

        • 信じたいんだと思う

          好きだと思っていたその感情も、深掘りしたらただの欲であったなんてこともあるだろう。一番厄介なのは、その欲が承認欲求であったとき。人間はあなたの御飾りなんかじゃない。

          好きだと思っていたその感情も、深掘りしたらただの欲であったなんてこともあるだろう。一番厄介なのは、その欲が承認欲求であったとき。人間はあなたの御飾りなんかじゃない。

          何をしてもダメな日で驚くほど眠れない日だとしても、朝はいつも通りやってきた。明けない夜がないというのは、感情面においても戯曲を超えた真実である。

          何をしてもダメな日で驚くほど眠れない日だとしても、朝はいつも通りやってきた。明けない夜がないというのは、感情面においても戯曲を超えた真実である。

          定期的に私の心の中のマッチョが「とにかくやれ!悩むくらいならやれ!」と叫んできやがる。まあ、やらずに失敗ばかり想像するのはダサいよな。仕方がないなあ。やるよ。

          定期的に私の心の中のマッチョが「とにかくやれ!悩むくらいならやれ!」と叫んできやがる。まあ、やらずに失敗ばかり想像するのはダサいよな。仕方がないなあ。やるよ。

          周りが親になっていく中で

          28歳になってから周囲の様子がとても変わった。そう、親になる友人が増えたのだ。 結婚や出産ピークは25歳辺りに一度くると聞いたことがあったが私の周りは音沙汰なく、この歳で大波となってやってきた。とても静かで、高さのある波だった。 このピークは何だかとても面白く、事後報告が多い。産まれるまで何が起こるか分からないのもあるが、それにしても突然産まれたばかりの赤子の写真が送られてくると、とてもびっくりする。私の友人らだけなのか、それとも世間的にもそんなものなのか。 そんなこん

          周りが親になっていく中で

          夜は脳と感情を溶かせる者のみ生きれる場所であり、恋人や愛を欲するものが夜更かしする所以。理性を持っては生きられぬ。私は朝が好きだ。

          夜は脳と感情を溶かせる者のみ生きれる場所であり、恋人や愛を欲するものが夜更かしする所以。理性を持っては生きられぬ。私は朝が好きだ。

          比較しないと美しいと言えない愚劣な人間たちへ

          私も経験あるが、多くの人も比較の対象として勝手に容姿の評価をつけられたことがあるだろう。 周りより太い細いだの、容姿が上中下やら。人によってはクラスの中で1番可愛いなどの言葉は褒め言葉に聞こえるのかもしれないが、私はそんな言葉選びしかできない輩を最低だと思う。決して美しい言葉ではない。 なぜ何かを伝えるとき、人と比較をしないと言葉を発することが出来ないのか。前提としてネガティブな評価をすることは決して良くないので割愛するが、仮に可愛いと伝えたい場合「貴方が可愛い」と相手に

          比較しないと美しいと言えない愚劣な人間たちへ

          なんだか変よ 2023年の私

          今年の私はなんだか変だ。 誰とも会いたくないし誰とも話したくない。決して気分が滅入っている訳ではない。ただそれらに割くエネルギーが枯渇してるのだ。 ここ5年くらいの私はとてもエネルギッシュだった。話したい人には自ら声をかけ、会いたい人にはすぐ会いに行った。誘われたら嬉しかったし、一期一会の出会いも楽しく思えた。 しかし2023年に入ってからというもの、時間が経つにつれて人と会うことが嫌になってきた。制限が緩くなり世に出る人々に反するかのように、私は己の窓を次々と閉じてい

          なんだか変よ 2023年の私

          駆け込み乗車

          「生き急がなくていいから、落ち着きない」 これはここ数年、私が人生の先輩たちによく言われていた言葉。何を言っているのかよく分からなかった。 私は落ち着いているし、私の何を生き急いでいると表現しているのかが全く分からなかった。せっかちな性格のことかと尋ねても違うと言う。一体何のことやら。さっぱりだった。 しかし、最近それらの言葉の意味が何となく理解できてきた。きっと皆が言いたかったのは「足元を見て生きなさい」ということなのではないか。 感覚的な話だが私は数年に1度「あ、

          駆け込み乗車

          納得のいかない何かが自分の前に立ちはだかったとき、「頭でも心でも理解ができないのか」それとも「頭では理解できるけど、心が追いつかないのか」を考える。 ワンクッションこの問いを自分に投げかけるだけで、解像度がガラッと変わる。

          納得のいかない何かが自分の前に立ちはだかったとき、「頭でも心でも理解ができないのか」それとも「頭では理解できるけど、心が追いつかないのか」を考える。 ワンクッションこの問いを自分に投げかけるだけで、解像度がガラッと変わる。

          満ち足りた人生とは

          人生の充足感って どれだけ愛をもらっているかでも 上に登り詰めるかでもなく 24時間の中で どれだけ目の前のことに 集中できたかによって 決まる気がする 外部的な要因ではなく 個々の内側の話 だからこそ難しくて 簡単にもらえる他者からの評価に 手を伸ばしては そんな虚構で充足感が満たされるはずもなく 負のループに陥る人がいるのかもしれない 他者との関わりも 充足感の一部にはなり得るけど やっぱり軸となるのは孤独なる時間 最近よく考えてたテーマ

          満ち足りた人生とは

          人間は他者に対して何を求めているのか

          良い意味で他者は私たちが思っているほど完璧ではないし、手が届かないほど遠くにいる人たちを賞賛している人たちは、彼らの欠点を含めて愛しているのだろうか。 人より長けていること・目につきやすいことは、褒めやすいし好意に発展しやすいけれど、そんな薄っぺらい愛情なんて続かないし、優れている点は少しでも能力が落ちた瞬間に批判の的となる。 一体、人間は他者に対して何を求めているのだろうか。 愛情とは、他者の弱点をみたときに愛おしく思えること、それを含めて貴方だと認められることなので

          人間は他者に対して何を求めているのか

          深夜だからこそ美味いメシと文章がある

          深夜だからこそ美味いメシと文章がある