見出し画像

信じたいんだと思う

タワーマンションに住みたいわけではないし、ブランド物に囲まれたいわけでもない。整形をしたい欲もないし、高級料理をたらふく食べたい気持ちもない。

私の今の環境はとても恵まれていることも分かっている。帰る場所があり、毎日食事も摂っている。不安に怯えながら生きることもないし、歯車のように生きている感覚もない。

だけれども、何だか満ち足りていない気持ちだ。何が欲しいわけでもない。ただ、人生において何かが足りないのだ。

とても恐ろしい感情だと思う。これを欲と呼ぶのか。目標がある訳でもないのにひたすら分からない何かを求めてしまう。

華やかさだけの人生というのは、この世に存在しない。私はそう思っている。きっと各々の幸福と不幸を足してみると、皆同じくらいの幸せなのではないかと思う。だからこそ、何かを強く求める必要なんてないはずなのに、何かをかき集めてしまう。自分の周りを何かで埋めて安心したいのかもしれない。

そもそも人生というのは、質素なものなのかもしれない。全てが満たされた人生を想像するから苦しいのだろうか。

もちろん人生のある点においては、華やかで満ち足りた気持ちになることがある。ただ長い人生に置いて考えると一瞬で、過剰なキラキラは永遠と続くものではない。

自分の現状を幸せであると理解しているのに、それでも満たされないなんて、人間って本当に欲深いものだ。理解していると言ったものの、もしかしたら根っこまで理解していないのかもしれない。

きっと私は、私のことを信じたいのだと思う。まだ変化の余地があると、エネルギーをもっと湧き出すことも出来ると思いたいのだと思う。私は今とても安心して生きていて、物にも満たされている。だけれども、きっと何かに触れて自分の中に芽生える新たな感情がまだあることに期待をしているのだろう。

物ではないから、何か欲しいのかと言われでもピンとこない。だけれども私はきっと、様々な感情をもっともっと感じたいのだ。感情が湧き出るときに発生するエネルギーから、今を生きている感覚を抱き、それらが気持ちを満たしてくれる。感情から起こる変化に喜びを感じているのだと思う。

秋ごろまであまり人とコミュニケーション取りたくない気持ちでいっぱいだったが、それも落ち着いてきたので、久しぶりに新しい人が集うどこかに足を踏み入れてみるのも良いなと何だか思えてきた。自分を信じたいのなら、信じて試してみるしかない。師走を体現してみようかと思う。生きている事実を自分の心に染みつけているようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?