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沖縄県の小さな村で何万人規模の集客力のあるアイドルが600人の小さなイベントを行った


2017年7月9日満月の夜、沖縄県の人口1万人にも満たない小さな村でイベントを行った。

舞台に立つのはグループで何万人規模の集客力を持つ大人気アイドルグループのうちの一人。

少なく見積もっても数千人は集客できるところを、たった600人の限定イベントを行ったのだ。

単純計算してもチケット代×600人というのは大赤字であり、ビジネスとして考えると大失敗である。

しかしながら、このイベントは単純にアイドルのイベントではなく、地域に人の流れを作るものであり、新たな地域のファンを獲得するのが目的。

『今帰仁村をなきじんそんと読める人を増やし、今帰仁村を好きになってもらう』

そういった意味では大成功であった。

現在コロナ禍において、イベントの縮小が余儀なくされていて、これまで『地方創生=イベント』と考えていた自治体にとってはなす術がなく頭を抱えているのではないだろうか。

だけどこのたった600人規模のイベントがどのような効果をもたらしたのかを見れば、やってみる価値はあると分かってもらえると思う。

ここではどのように始まりどのように終わり、その後について正直に記していく。

参考になれば嬉しい。

このnoteで伝えたいこと

・地域の認知度をあげるイベントにおいて大事なのは集客数ではない
・一過性の集客に目を取られない
・自治体は地域を知ってもらい好きになってもらうイベントを考えるべき
・前例がなくとも挑戦すべき

地域イベントにおいて大事なこと

地方でイベントを行う際に大事な点がある。

それが以下である。

・地域全体を巻き込む覚悟をする
・始まったら最後まで責任を持つ
・『お客さんを全員笑顔で帰す』ことを目標にする
・地域の人に批判されることも覚悟する
・ひたすら頭を下げる覚悟をする
・どんなことがあっても最後まで諦めない

小さな地域であればあるほど、前例のないイベントに地域住民たちは不安に思うもの。

どんな人が来るのか分からない、乱されたくない、今のままでいい、と考え、新たな挑戦に対して批判的な意見も多く出る。

だけどそれは至極当然の意見であり、そこに対して我々が出来ることは不安を払拭してあげることである。

そしてその不安が的中しないように運営側は工夫し配慮をするべき。

なんども説明会を開催し住民に説明したり、時には議員会で地域のトップたちにも説明をしなければならない。

最後まで理解されないこともあるが、『地域を知ってもらい好きになってもらう』が達成出来れば、その後批判されることもなくなる。

だから最後まで手を抜くことなく駆け抜ける覚悟を持って欲しい。

イベントを開催するにあたり心配だったこと

心配なことはあげればキリがない。

それらを一つ一つ上げて行って、最悪の事態に備えて準備することが大切。

・全員車で来たら駐車場が足りない
・迷惑駐車をしたら村民からクレームが出る
・城跡内に隠れて無許可観覧する人が出るかもしれない
・テロが起きるかもしれない
・当日台風が来るかもしれない
・雨が降ったらどうしよう

などなど、全てを仮定しその対策をしておけば、イベントは失敗しない。

そのためにも批判的な意見の方の話も聞くべきである。

そうすることで解決すべき問題が見えてくるから。

企画立案〜提案まで

なぜこのようなアイドルがこんな小さな村でイベントを行うことになったのか、それはツテである。

大手事務所に真っ向から勝負しても払いのけられるのがオチ。

であれば、ツテから探るのだ。

『〇〇のイベントがしたい!』からスタートすると、そこに辿り着くまでに時間と労力を費やしてしまうことになる。

たとえ辿り着けたとしてもそこで一旦目標が達成してしまい、その後の力が湧いてこないこともある。

したがって、手を上げてくれる〇〇さんでどんなことをこの地域で行ったらいいか、と考える方が得策である。

私の場合音楽業界で活躍する友人がいるため、そこから話をつないでもらったのだ。

企画立案からスタートに至るまでの大まかな行動は以下の通りである。

私:友人にこんなことがしたいと相談
友人:周りに興味がある人がいるか聞いてくれた
友人:興味ありそうなグループを教えてくれた
私:友人とともに、レーベル(レコード会社)に訪問し提案(11月24日)
レーベル:所属事務所に提案
事務所:話を聞きたいと言ってくれた
私:事務所に訪問し提案(2月)

この裏には100倍もの労力が隠されているが、大まかに言うと以上だ。

それを数ヶ月で行い、最終的に2017年4月に7月9日にイベントを行うことが決定しそこに向けてひたすら地域との調整と事務所との調整、外注先(舞台関係)との調整などにひたすら走り続けた3ヶ月となった。

100倍もの隠れた労力について

このイベントは沖縄県北部の人口1万人に満たない小さな村、今帰仁村(なきじんそん)にある世界遺産『今帰仁城跡』で行ったものである。

私は観光協会の職員として今帰仁村で働いており、『今帰仁村を知ってもらいファンになってもらう』ことを任務として背負っていた。

今帰仁村は美ら海水族館と古宇利島という2大観光スポットの間にありながら、レンタカーで素通りされるだけの場所であり、いかにレンタカーをおりてもらうきっかけを作るか、ということをひたすら考えていた。

そして考えたのが『世界遺産・今帰仁城跡でのイベント』である。

ランタンフェスやセミプロ音楽フェス、光のフェスティバル、アートイベントなど様々なことを考えたが、どれもしっくりこなかったのである。

同時進行で音楽業界の友人との間でも色々と案が上がった中で、それは良い!と思ったのがそのアイドルのイベントである。
(ここに至るまでに企画20本以上考えている)

彼女であれば認知度が非常に高いし面白いイベントになるかもしれない、と考えたのだ。

そして『なぜ今帰仁村なのか』『なぜ彼女たちなのか』という点を重点的にまとめた企画書を持って沖縄から飛行機に乗り、東京のレーベルまで行ったのだ。

その時にはまだ今帰仁城跡でやるか、大人数収容できる場所で行うかも決まっていなく、まずの目標は『今帰仁村でやる意味を理解していただく』という点であった。

そしてその後事務所にも話をしてもらい、事務所から呼び出しがかかり、アイドルグループのボスに提案。

今帰仁城跡でやる意味、今帰仁村が抱える問題、今帰仁城跡の収容可能な人数などを事細かに説明しに伺った。

「まだ検討するが、今帰仁村でやるならこの子一人で」と提案していただき、その日は帰路に。

その後の提案次第でどっちにも転べる、と理解した私は、彼女と今帰仁城跡をかけ合わせるとどのような化学反応が起こるのかをひたすら考えることに。

まずは今帰仁村の良い点をあげた。

・世界遺産今帰仁城跡がある
・海が素晴らしく綺麗
・自然が豊富
・月夜が綺麗

そうだ!今帰仁城跡は月夜が綺麗なのだ!

今帰仁城跡でイベントをやるのであれば、世界遺産登録されていない場所でしなければならなく、その場所が城壁前と呼ばれる場所であった。

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そして月はその城壁の裏手から上がってくるのだ。

つまり、城壁前にステージを設ければ、客席側からは真正面から月が上がってくることになるのだ。

それを満月の日にできたら、、最高じゃないか!と化学反応がビシバシ起こったのだった。

満月の夜の煌々と光る月を楽しんでもらいたい!そう思った。(沖縄の月光はものすごいのだ)

『満月の夜に世界遺産をバックに行うイベント』として提案し直したところ、YESをいただき、遂に開催が決定(4月)!

問題は山積み

だがしかしその裏でまだまだ問題は山積みであったのだ。

①村からの補助金をもらわないと開催できない
②世界遺産なので使用許可を取らなければならない
③地域住民に理解を得ないとならない

これらを同時進行で進めていたのだった。

これが本当の意味での修羅場だった。

このイベントは補助金なしで行った

まず①の村からの協力について。

今帰仁城跡は多く見積もってもせいぜい1000名までしか収容できない。

たとえチケット代が5,000円だとしても500万。

500万などという金額は、イベントにおいてはハード面だけでも全然足りない。

つまり、補助金がなくてはイベントなど開催出来ないのである。

しかしながら、この補助金をいただくのは非常に大変で、まずは補正予算として調整してもらわなければならず、議会で議決されなければ通らないのである。

つまり、議員の方々にこのイベントをやる意味を理解してもらい、それは村がお金を出すべきだ、と思ってもらわなければならない。

村がお金を出すということはもちろん、村民の方々の税金なわけで、簡単に良いよ、とは言えないのは理解できる。

アイドルのイベントというのは若い方には理解されるものの、ご年配の方にはどうも理解されず、、、何度となく議員の方々の前で説明させていただくも結局最後まで理解されなかった。

最初の提案から2ヶ月、毎日提案書を直したり議員さんに説明したり若手議員さんに相談したりと疲労困憊の末、村からの補助金に関しては惨敗したのである。

しかし補助金で村とのやり取りが無くなってからは、役場も協力してくれるようになり「ここまで来たらもう成功させよう」と、村の持ち物である物品の貸し出しや当日のボランティアスタッフ送出まで一気に協力的になった。

強行突破し続けた結果、周りも協力せざるを得なくなった状況がこれだった。

良かったのかどうかは分からないが、結果成功したのだから良しとする。

だがしかし先にも述べた通り、こういったイベントはやり始めたら巻き込まれる人が大勢出てくる。

その人たちに迷惑をかける以上は絶対に成功させなければならない。

その強い意志を持って駆け抜けなければならない、ということを常に念頭に置いて欲しい。

協議会発足について

また同時進行で2月あたりから村内の協力してくれるメンバーで協議会を発足。

『村の認知度をあげる』『経済効果に期待する』『新しい挑みを応援したい』『村のためになるなら協力する』などといった思いを抱いた村内の若者が集まり完全無償で協力してくれたのだ。(サイト内Special Thanksで紹介)

そして進行状況や議会の考え、村民の考え、事務所の考えなどを共有しアドバイスをもらいながら進めた。

また我々はその中に、県内にいる彼女たちの猛烈なファンに1名入ってもらったのだ。

そうする事でファン側の意見や考えを教えてもらえるからだ。

これは非常に良かった。

(もしあなたがイベントを開催するなら、一人はそういう協力者を入れるべきである)

協議会メンバーは非常に心強い仲間になるので、何かイベントをやる際には必ず発足した方が良い。

開催が決定してから開催前日まで

開催が決まり、村との調整も諦めたらもうやることは以下。

しかも3ヶ月後には当日が!急ピッチでこれらを調整していったのだ。

①使用許可を取る(本当はもっと早い段階ですべき)
②イベントのコンセプト決め(満月としか決まっていなかった)
③協賛金のかき集め
④村民への説明
⑤当日物販系の手配(パンフレット、Tシャツ)
⑥音響関係の手配
⑦興行中止保険やスタッフ保険などの手配
⑧会場周りの設備手配
⑨ボランティア募集、スタッフの当日マニュアル作成
⑩出演者、その周りの方の顎足枕の手配
11.警察への道路使用許可と見回り願い
12.村内の子供達に前座として琉球舞踊と民謡の依頼
などなど

とにかくたくさん。

特筆すべきところのみピックアップして詳しく説明しよう。

②イベントのコンセプト決め

パンフレットやチラシ、宣伝などに使うため、イベントのコンセプトは早急に決定しなければならない。

予算もないしどうしようか、、、と頭を抱えた末思いたのが『環境に配慮したイベント』である。

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『今帰仁村は自然が美しい場所である』という点と『今帰仁城跡は世界遺産である』という点に注目したのだ。

そして何と、異例の『座って観覧しましょう!』という!

これに関しては、村民の方々の『アイドルのファンって、踊ったりとか、、、』という不安と、世界遺産の芝生がダメにならないか、という不安を払拭するための策であった。

これが逆にファンの記憶に色濃く残るものとなったのだった。

『環境に配慮したイベント』
自然が資産になっている今帰仁村。その自然を守っていくべく、環境に配慮したイベントとして関係者および参加者一人一人の環境配慮への意識を以下の通り統一したいと思っております。
・ゴミは各自持ち帰ります。
 ・公共交通機関を利用し、交通渋滞、騒音等による周辺地域への影響ができるだけ少ない努力をします。
 ・自然の力を最大限に活用し、新たな設備の設置は必要最小限とします。
 ・インターネットを活用するなど、チラシ等の紙媒体による広報を出来るだけ減らします。
※会場は芝の上に座っての観覧となります。シート等ご持参いただき、ごゆるりとイベントをお楽しみください。(過度なエリア含有はご遠慮ください。)今帰仁城跡は世界遺産ですので、禁止エリア内への立ち入りは無き様お願いいたします。また、会場内は食事禁止とさせていただきます。
※皆さんで『環境に配慮したイベント』を成立させていただきたいと思います。ご協力のほどよろしくお願いいたします。

このコンセプトにして良かった点

以下を理由づけできたのだ。

①ゴミを拾うスタッフを雇わなくて良い
②ゴミ箱を設置する予算を削れる
③ここは世界遺産なんだ、という意識を持ってもらえる
④みんなが優しい気持ちになれる
⑤ファンに協力をしてもらうことで成立するイベントとすることで、ファンとの一体感を出せる
⑥照明を最小限に抑えられる(月夜の光を大切にしたいから)
⑦舞台の装飾も最小限に抑えられる(自然のものを大切にしたいから)
⑧全員が車で来ると駐車場不足になるので、なるべくバスで来てね、とお願いできる(臨時駐車場を用意したが不要だったほど協力的だった!)

予算をたくさんかけて豪華なステージや会場を作り上げるのではなく、今あるものを大切に、その場所を借りて行うイベント、とすることで、大掛かりな設置は不要となり、結果予算を抑えられたのである。

③協賛金のかき集め

補助金に期待出来なくなって全力投球したのが『協賛金集め』である。

村内の事業者に営業をかけまくる日々が始まった。

そしてここでも問題が勃発。

アイドルグループであるため、酒およびギャンブル系の企業からの協賛NGが事務所から発令されたのだ。

今帰仁村を代表する泡盛酒造、大型スポンサーになる予定であったパチンコ屋が協賛企業として名乗りをあげてくれたのだが、お断りする羽目に。

これは非常に痛かった。

『協賛金』は『寄付金』ではない。

あくまで、協賛してくれた企業に何かしらの利点をもたらさなければならない。

しかしながら、大物アイドルであればあるほどその制約は厳しかった。

⑤当日物販系の手配(パンフレット、Tシャツ)

こちらも事務所との相談が必要な点。

足りない予算は物販で補填する(私は過去イベントのマーチャンダイザー担当だったのでその辺りの知識があったのだ)と思っていたのだが、事務所も当然同じことを考えていたため、調整が必要だった。

相談した結果、観光協会側ではパンフレットとTシャツを制作させていただく、ということで了承を得た。

イベント開催=物販で稼げば良いや

という考えはほどほどに、出演者の権利も発生するので慎重に行おう。

⑥音響関係の手配

舞台や音響関係になると外部に依頼しなければならない。

事務所側が用意するものとこちら側が用意するものとをキチンと把握し、舞台関係の業者に外注するのだ。

「そっちが用意すると思っていたのに」ということがないように、慎重に事務所側のPA担当と何度も確認を重ねることが必要。

この時は仲介業者にも入ってもらい、多大なる協力をしてもらった。

本当に感謝しかない。

⑦興行中止保険やスタッフ保険などの手配

ここにもお金がかかるのか、、、と驚愕したのが保険。

沖縄は台風が発生して飛行機が飛ばなければイベントが開催できない、というリスクと常に背中合わせ。

そのため『興行中止保険』への加入は必須。

また『スタッフ保険』も必須。

他に『来場者保険』『賠償責任保険』『ボランティア保険』もかけた。

保険だけで70万円以上もかかった。非常に痛かった。

⑧会場周りの設備手配

ここは本当に細かい部分で、深夜まで準備をしていたのを思い出す。

会場周りには用意しなければならないものがたくさんあるのだ。

ざっと以下である。

・投光機
・仮設トイレ、トイレ汲み取り
・誘導版制作
・スポットクーラー、ミストファン(熱中症対策)
・金属探知機(テロ対策として入場時にチェック)
・AED・消化器
・雨天対策
・会場周辺設営(車誘導看板や立入禁止看板など)

入場時にセキュリティチェックを行わなければならず、その際に必要なテントやテーブルなどは村から無償で借りるなど、使えるものは全て村から借りて行った。

⑨ボランティア募集、スタッフの当日マニュアル作成

人件費が捻出できないため、スタッフは警備員以外は全員ボランティアで募集。

県内からボランティアを募ったところ、ファンの方が協力してくれることに(本当にありがたい)。

スタッフの当日マニュアルは必須。

ただでさえ当日ディレクターは忙しいので、いちいちインカムで呼ばれていたら体が足りない。

当日の各自の動き方は全てマニュアルに落とし込む!

20回くらい直してやっと前日完成させるくらいマニュアル作成は大変だが、当日ひっちゃかめっちゃかにならないためにも用意するべきだ。

11.警察への道路使用許可と見回り願い

車で路駐してイベントを見る人を出さないために、一部の道路を使用禁止にしたのだ。

それには警察への道路使用許可申請が必要であり、企画書と概要文を持参して許可取りを。

同時に『人が集まるところではテロを起こせ』という命令文が出回っているからテロ対策を行うように、と怖いことを言われ、見回りのお願いもしたのだった。

12.村内の子供達に前座として琉球舞踊と民謡の依頼

当初の企画書にもある通り、『今帰仁村の若者・⼦ども達に夢を!』という思いからこのイベントは作り上げていったのだ。

そのため、村内の子供たちをどうにかして絡ませたいと思い前座として村内の子供達に琉球舞踊をお願することに。

数ヶ月にもわたり夜遅くまで子供達は練習を重ね、子供たちを巻き込むことに関しても無理させてという批判的な声もあったが、村の子供達に『こんな小さな村でも素晴らしい場所があり、こんな経験ができることもあるんだ』と知ってもらいたかったのだ。

その信念を曲げずに子供たちには頑張ってもらい、当日子供たちの様子を見た事務所の計らいで本番でも出演者とともに舞台に上がってもらう事ができた。

今帰仁村は最高の場所なのだ。

それに子供達に気が付いてもらい、今帰仁出身であることを誇りに思ってもらいたかったのだ。

もちろん、子供達が喜んでくれたのは言うまでもない。

イベント当日

そしてやって来た当日。

色々と想定していた不安も全て起こらず、ひたすらにファンの方が協力的で何のトラブルも起きなかった。

『座っての観覧』という異例の事態もきちんと守ってくれ、ゴミも一切残っておらず、本当に暖かいイベントとなった。

当日途中まで曇りだったものの、満月が見え出した時にファンの方が

「後ろ見て!」

と言って『わー!』となった一体感を今でも忘れない。

帰り際、誰からのクレームを受けることもなく、全ての人から感謝の言葉をかけられて終わったイベントとなったのだ。

イベント開催後〜今まで

あれからもう3年が経過する。

イベント終了後、ネット上ではイベントタイトルが話題に上がり、誰もかれもが高評価で、誰一人批判している人はいなかった。

そしていまだにマイナスな評価は上がってこない。

当日参加できなかったファンの方の間でも伝説のイベントとなり、少なく見積もっても新たに『今帰仁村』を『なきじんそん』と読めるようになった人は3万人を超えた。

ふるさと納税では『あの時のイベントに感謝します』と一言そえられることもあるそうだ。

『聖地巡礼』として、今帰仁村を訪れる方も増えたと聞いている。

そして今帰仁村が好きになった、と言ってくれる人も多い。

いまだにツイッターのタイトルをイベント名にしてくれているファンの方もいる。

先にも述べたとおり、ビジネスで考えるとこのイベントは大失敗である。

本当に、赤字スレスレだったのだ。

だがしかし、経済効果は間違いなく高いイベントとなった。

これからイベントを考える方へ

目の前の数字で考えると、なかなかこういったイベントを開催するのは難しい。

また、ディレクションを出来る経験者がいなければ用意すべきことが用意できずに悪戦苦闘することとなる。

ただ、小規模イベントであってもこれだけの効果があり、3年が経過してもなお、再度イベントの開催を求められるイベントがある、ということは知っておいて欲しい。

コロナ禍においてイベント開催は難しいという世の中だが、このようなイベントであれば開催出来るのではないだろうか。

最後に

私はこの当時、2歳と5歳の子供を抱えての業務だったため家族を犠牲にした半年間であり、子育てしながらこの仕事は出来ないな、と思いこの実績を封印してきた。

だがしかしイベントは麻薬みたいなもので、達成感が半端なくまた欲してしまうのだ。

そして今回、またどこかのイベントのお手伝いが出来れば、と思って投稿に踏んだ。

役に立てれば嬉しい。

最後に、このイベントに協力してくださった村内の方々、関係業者様、レーベル様、事務所様、巻き込まれた当時の観光協会職員、協議会メンバー、そしてファンの方々には感謝してもしきれません。

長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

2021年8月追記:プレゼン資料の公開

同じような提案を事務所にしたいと思った場合に、参考になる資料があれば楽だと思うので、今回有料で公開させていただきます。

目的:せっかくの成功例があるので利活用してもらい、より良いイベントを沢山繰り広げて欲しいという思いから公開することにしました。

ローカルの魅力をより効果的にプロモーション出来るイベントを考え、どんどん提案して実現に近付けて欲しいなと思います。

macのkeynoteで作成しているためpptで開くとレイアウトが崩れる可能性がありますが、手直ししつつ活用してください。(パワポに変換したものをアップしています)

準備が整い次第『運営マニュアル』も上げていきますのでご活用ください。

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