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コーヒーフロートと人生のこと|日々のエッセイ

 連日35度近い猛暑日が続いていた7月のある日の昼下がり。用事があって出かけた地下鉄の駅の近くで昼ごはんを食べた後、アイスコーヒーでも飲みながら本を読もうと、少し歩いたところにあるお気に入りの喫茶店に向かった。

平日の休みの日に空いている喫茶店で本を読むのは、私の一番好きな時間だ。

喫茶店の自動ドアがウィーンと音を立てて開き、ひんやりとした空気に包まれる。あー涼しい。最高だ。狭い店内を見ると、お客はノートパソコンに向かって仕事をしている女性一人しかおらず、とても静かだった。本を読むのにちょうどいい。

額の汗をハンカチで抑えながら、パラパラとメニューをめくって眺める。食後だったので、コーヒーだけじゃなくて、甘いものにもちょっぴり惹かれていた。でも、ケーキという気分でもなかった。

と、その時、「夏限定!コーヒーフロート」の文字とともに、アイスコーヒーの上に白いアイスが乗っかった写真が目に飛び込んできた。

おお、今の私の気分にぴったりではないか。私は久しぶりにコーヒーフロートを注文することにした

 コーヒーフロートが来るのを待ちながら、私は読みかけの文庫本を開いた。店内の照明はそこまで暗いわけではなかったけれど、どうも文庫本の字がぼやけて焦点が合わない。しかたがないので、少しだけ本を顔から離すと、焦点があって見やすくなった。

分かっている。そう、これは「老眼」というやつに違いない。近視の人は老眼になるのが遅いという話しを聞いたことがあったが、そんな執行猶予のような期間もどうやら終わりのようだった。

それだけではなかった。髪にも白いものが目立つようになったし、夕方になれば目の下に隈が浮き出てきて、ぼんやりと疲れた顔になる。

久しぶりに会った同世代の友人や同僚の子供の年齢を聞いては驚愕し、己の年齢を思い知る。抗えない現実を、もう少し見て見ぬふりをしていたかったのに、急にアッパーパンチを食らったような気持ちになってしまうのだ。

 カランカランと、グラスに氷がぶつかる音がした。店員さんがコーヒーフロートを私の前に置く。

冷えたブラックコーヒーの表面に氷が浮かび、その上にさらに真ん丸の、白いバニラアイスがポコポコと2つ乗っている。なんてかわいらしい見た目なのだろう。

かわいくて食べるのがもったいなかったけれど、アイスが溶ける前に食べなければ。私は、文庫本を傍らに置いて、コーヒーフロートのアイスを細長いスプーンですくって食べ始めた。

その時、二十代くらいの女の子の二人組が店に入ってきた。彼女たちは周りを気にせず、終始おしゃべりに夢中だった。そんな彼女たちを横目に、私はバニラアイスを食べる。

白くてなめらかで、ちょっと甘ったるくもあるバニラアイスは、若くてきれいなお肌の、かしましい二十代の女の子みたいだ。でも、アイスがすぐに溶けてしまうように、若く美しい時代もそう長くは続かない。

 しばらくして、クリーミーだったアイスがシャリッとした食感に変わった。氷に触れてうんと冷えたアイスがコーヒーと混ざり合ってシャーベットのようになっていたのだ。

シャリシャリとした食感と、ほんのりと苦いコーヒーの味は、さっきまでの甘いバニラアイスとはまた違ったおいしさだった。

さらに、その下のアイスコーヒーは、今はもう形のなくなったバニラアイスが溶け込んで、まろやかな味のカフェオレになっている。

 私はふと、このコーヒーフロートが人生のように思えてきた。若い頃の美しさやかわいさは、アイスクリームのように時とともにゆっくりと溶けて、形を崩していく。

四十代も半ばになると、若さへの未練がましい気持ちや、諦めのような気持ちが入り混じる。それはまるで、氷に冷やされたアイスクリームが、コーヒーと混ざり合ってできたシャーベット。

今の私はきっと、このシャーベットの状態なのだ。なめらかなアイスクリームでもなく、かと言って、まだカフェオレにもなりきれていない。でも、このシャリシャリとした食感は、今しか味わえない。

そして、そのシャーベットもやがてはコーヒーの中に溶け込んで、美しいマーブルを描きながら、まろやかで、ほんのり甘いカフェオレになる。

苦みの効いたブラックコーヒーも悪くないけれど、アイスクリームが溶けてリッチになったカフェオレはかなりおいしい。(しかも、カフェオレのほうが、ブラックコーヒーより値段も高いのだ)

こんなふうに考えたら、この先、年をとっていくのも、案外悪くないなと思えてきた。

夏の昼下がり。カランと氷がぶつかる音をたてるアイスカフェオレ。絵になるではないか。

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