映画『PERFECT DAYS』を見ると、お陰様で、と言いたくなるワケ。
鑑賞して1ヶ月近く過ぎるのに、いまだに余韻に浸っている映画『PERFECT DAYS』。
(以下、少々ネタバレを含みます。ご注意ください)
公式サイトでは以下のように紹介されている。
◇◆ ◇◆ ◇◆
役所広司さん演じる平山は、東京・渋谷の公衆トイレ清掃員として、変化に乏しいながらも充実した日々を送っていた。同じような日々を繰り返すだけのように見えるものの、彼にとっては毎日が新鮮で小さな喜びに満ちている。
古本の文庫を読むことと、フィルムカメラで木々を撮影するのが趣味の平山は、いつも小さなカメラを持ち歩いていた。
◇◆ ◇◆ ◇◆
一言で言えば、トイレ清掃員の日常を淡々と描いた作品。
この映画の何が私の心を唱えて離さないんだろう。
一つには、平山の毎日が、規則正しいルーティンで回っていること。
毎日決まった時間に近所のおばあちゃんが箒を掃く音で目を覚まし、煎餅布団をたたみ、顔を洗い、髭を剃り、植物に水をやり、青い作業着を着て、アパートの前の自販機でコーヒーを買い、車に乗り込むと、カセットテープでルーリードなど懐かしのロックやポップスを聴きながら渋谷の街にある公衆トイレに向かう。
昼食はお寺の境内でひと休み。ポケットから写るんですを取り出して木漏れ日の写真を撮る。仕事が終わると銭湯でひと風呂浴びて、スカイツリーを横目に押上駅付近の地下街の行きつけの居酒屋で夕飯。夜は読書をして眠る。
平山の生活が規則正しいからこそ、ルーティンに彩を添えるようなほっこりとした出来事や、反対にルーティンを狂わせる不穏な出来事が、より鮮明に印象付けられる。
毎日同じようなことの繰り返しではつまらないと、感じている人ほど、
自分は変えなくとも、自分を取り巻く人間関係や社会環境は、日々変化していくもので、1日として同じ日はないことに改めて気付かされ、驚かされる。
それから、平山の職業が
『公衆トイレの清掃員』であること。
社会のインフラとなるエッセンシャルワークであることに誇りを持ち、毎日、心を込めて丁寧に公衆トイレを掃除している。
私たちの社会では、どういうわけか、頭脳労働の方が、肉体労働や人を相手にするサービス業より、社会的地位や給与が高かったりする。
だから、「トイレ」は誰もが生きるために欠かせない場所でありながら、汚い、臭いという理由で家の中でも街の中でも、目立たない場所に置かれている。
でも、その価値観、やっぱり間違ってるよね。と揺さぶられる。
もう一つ。
木々の影が作る「木漏れ日」や、映画の後半で出会った男性と「影踏をするシーン」など、『影』のメタファーが散りばめられていること。
平山自身がトイレ清掃員として、社会のインフラ的存在で『影』のような存在である。
そんな影のような存在たちに光を当てようとしている。
平山は自分が影の立場と自覚しているけれど、だからと言って、存在を無視され、いてもいなくてもいいとは思っていない。
それが証拠に、夕暮れ時にふいに出会った男性からの
「影は重なると濃くなるんでしょうか?変わりませんかね?」
という何気ない問いかけに、
「影が重なっても、濃くならないなんて、そんなこと、あるわけないじゃないですか??」と
平山がムキになって怒ったりする。
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この映画を見た後、勤め先の保育園の園長先生から聴いた一言が、平山の生活と私の生活の共通項を教えてくれたように思う。
「私たちは子どもたちが主体的に自ら遊びに向かうための『黒子』にならなくてはいけないんです。床に散らばった教具(おもちゃ)を拾い、食事や排泄など基本的な生活態度が身につくように支援する。毎日同じことを繰り返す生活そのものが重要なんです」
この映画を見て、心地よいと思ったのは、平山と同じように、陰で支える仕事をしている自分を、肯定してくれているように感じたからなんだろう。
私たちは、自分を陰で支えてくれた人に「お陰様」と言う。「お陰様」という言葉が持つ尊さにも気づいたからには、もっと大切に、もっと頻繁に「お陰様で」と言おうと思う。
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