見出し画像

うつ病と生きることでみえた、私のしあわせ


10年前、私はうつ病になった。


うつ病になる

「うつ病」と診断された。

仕事中の動悸からはじまり、勝手に涙がでるようになった。泣くたびに濃いアイシャドウで赤い目を隠した。ふるえ不安感で呼吸を整えるためにトイレにこもった。化粧命だった私は、どうせ泣くからと化粧をせずに仕事に行くようになった。

今ならすぐ病院へ!と言われるだろうことも、私は何もしなかった。知らなかったからだ。私は疲れと自分の泣き虫のせいだと思っていた。


ある日、職場で限界がきた。私は休むことと病院に行くことをすすめられた。

待合室で本当にここにいていいのだろうかと不安だった。ただ涙が出るという理由で病院なんて、泣き虫なだけだろうと思われると思った。


診断はうつ病。しかも重度に近いらしい。びっくりした。

泣くことも治るんですか?と先生に聞いた。それは症状だからちゃんとおさまります。大丈夫ですよと優しく言われてまた泣いた。


病院の帰り道。秋のはじめ。外は肌寒かった。
空気が澄んでいて見上げると星がみえた。そんな漫画みたいな場面。

うつ病…うつ病…。診断されてからたぶん頭で100回は唱えている。うつ病だったんだ…今までのこと…泣くのも全部うつ病だからだったんだ。
どこかでほっとした。これが正直な感想だ。


薬を飲んだ日、気持ち悪くなって寝込んだ。はじめての薬も副作用もこわかった。

ある朝、ぱちっと目が覚めた。頭の中がすっきりしていることがわかる。昨日までと何もかもちがう。薬が効くと言われていた3週間たった頃だった。
うつ病なおった!!!

もう元に戻ったと思った。職場にも復帰した。

でも、なおっていなかった
仕事中にまた私は涙が出るようになってトイレで涙をふいて濃いメイクで顔を隠す。

結局、私は退職した。


うつ病をなめるな
昔の、もう戻れないあのときの自分へ。

その後はずっと波の繰り返しである。実際10年近くたった今、私はまだ治っていないのだ。

正直、私はなめていた。

大切な人の葬式に出たいから

詩人の谷川俊太郎さんがテレビ番組の「僕らの時代」に出ていたときに、「僕は母親にとてつもなく愛された記憶があって、絶対に母親が愛してくれたと思うから何があっても大丈夫だった」というような話をされていて、とても印象に残っている。

私にとって、それは祖母だ。

私は小さい頃に母を亡くしていて祖母に育ててもらった。

私を愛してくれている人として1番に浮かぶのは祖母だ。
何か自分がよくないことをしようとしたり、思ってるときに浮かぶのも祖母だ。きっと祖母が悲しむ、と思うから。

今年89歳の誕生日を迎えた祖母。まだまだ元気である。
普通こういうことを書くのはお別れをしたときで、思い出とか後悔とかそんなことを綴るのだと思う。

でも私は祖母が生きている今、書きたかった。


うつ病になったとき、ずっと隠していた。
心配をかけたくなかったからだ。祖母は人のいたみで自分が寝込んでしまうくらい優しい人なのだ。

うつ病ということは、結局バレてしまう。
それからは家族との距離に悩み、「心配だよ」という連絡に苦しみ、何度言っても伝わらないもどかしさに疲弊した。放っておいてほしいということは贅沢なんだろうかと苦しかった。

だから距離をとった。悲しまれることも、もしこの間に祖母に何かあったら後悔することもわかっていた。

でも、無償の愛情より有償でも無関心がほしかった。
それくらい、うつ病の私は追い詰められていた。

法事があった。親戚の法事で私は行くことになっていた。
その当日の朝、身体が動かなくなり大の大人の私は、泣きながら今日行けないと家族に言った。

祖母は抱きしめてくれた。

そのとき思ったのだ。
このままでは、この先、いつか、大切な人のお葬式にも行けないかもしれないのだと。

愛する人のお葬式に行けずにお別れもお礼も言えないかもしれないのだと。
心から治りたいと思った。


うつ病をなめるな

うつ病をなめるな。死ぬぞ。

うつ病をなめるな。ずっとずっと手強いぞ。

そして
うつ病よ、私をなめるな。

ぽっとでのやつに人生を握られてたまるか。負けたくない。2度と会いたくないのに、また現れる。にくくて、大嫌いだよ。

でも私はいまだにあなたがわからない。どんなときに来るのか、なぜくるのか。準備をしても心づもりをしてもなぜだめなのか。知りたい。それだけなのに、教えてくれずにただ今日も泣く。

共存だとか一緒に生きていく…という言葉を聞く。私もそれがきっと正解なのだと思っている。完全にいなくなることはなくて、ずっと私の奥底にいるんだ。どこからかやってくるんじゃない。現れるんじゃない。

私の中にいる。それがわかるから苦しい。これは私なんだって。なんとなく思うんだ。

なめんなよ、うつ病。
一緒に生きていくとか生ぬるいこと言いたくない。2度と見たくなくて会いたくないのに。一緒に並んで共存なんてまっぴらごめんだよ。

いやなんだ。

でも追い出すのは無理だ。わかってる。

だからわたしは先をいく。一歩先でも10歩先でも。あなたが来たとわかってからでも走り出す。追いつかせないように。

たぶん無理だけど。追いつかれて押しつぶされる。また泣きながら布団にもぐる。
それでもそのつもりで生きたいんだ。

この生き方は過去の私が教えてくれている。泣いて泣いて布団の中で歯を食いしばってくそくそくそって怒りながら、何もできなくて泣いていた。あのときの私が教えてくれた道だ。

そして今の生き方を未来の私は見てる。
どんなふうにみえるのか。未来の私に見せる。

あの漫画のセリフを借りるなら生殺与奪の権を渡したくない。


うつ病と生きるということ

うつ病は「脳の病気」と知ってから「私なんぞが気合でどうこうできるものではない」とある意味あきらめがついた気がする。

だって脳だから。
例えば内臓の病気になって治療法が手術だとしたら、うつ病はそれが休息であったり薬であったりするのだと思う。

動けないことも何もできないことも、自分が情けないから、怠けているからではなくて症状の一つなのだ。

まぁ、わかっていても難しいのだけど。自分を責めて攻めてどうしようもなくなって、疲れてしまうから。あらためて文字にして、私の頭にすりこむ。


私がつらいと思うのは波があることだ。何年たっても波が来る。回復したと思っているから余計につらい。絶望する。

それも経験していくしかないのだと思う。

経験を重ねて「これも症状である」とひたすら自分に言う。

学んでいないのか?忘れてしまうのか?
毎度まいど、なんども言わないとまたふりだしだ。

でもこれがうつ病と生きていくということだと思っている。

過去と今の自分の経験が、未来の自分をきっと助けると信じている。


SNSではうつ病の方のポストが流れてくることがある。ああわかるなぁと思ったり、同じだなぁと思ったりする。

そんなただの共感がとてもうれしくて頼りになることを私は知っているつもり。

私が診断されたとき周りに同じような人はいなかったし、SNSもしてなくて、孤独というかとにかく何も知らなかった。病名がついてホッとしたけれど、休めと言われて安心したけれど、私は自分に何が起きているのかがわかっていなかった。

「ツレがうつになりまして」の映画を観る機会があってそのとき初めて「私と一緒だ!」と思って涙が出た。
その後も何冊か本を読んでやっとうつ病を知った。そのときにようやく自分ごとにできた気がする。

知らないと、きっとむりだ。

私は文章も、そしてイラストや漫画も未来の自分に向けてかいていることが多いのだけど、おこがましいけれど同じような人が見てくれて「これ自分だ!」て思ってくれたらうれしい。
「これうつ症状だったんだ」って、知るだけで気持ちが違うから。ぜったいにちがう。

一緒にがんばりましょう、なんて言うつもりはないけれど、同じ人がいるんだと知るだけで夜が少し深くなるかもしれない。


私のしあわせ

今でも調子が悪くなることがある。

波が来たら、完全惨敗である。
100%負ける。特に冬は。
いくら用意していても心づもりをしていても私は負けるのだ。相手が強敵なのは間違いない。

初めてうつ病になったときの、ひよっこな、無知でボコボコずたぼろ状態ではない。薬を用意して身構え心の準備もしている。なんだったら季節でさえ、天気でさえ用心する。

でもだめなのだ。ここに圧倒的な力の差を感じる。相手は「私が死にたくなる方法さえも知っている」。


それでも、一緒に生きていくことを望んでいる。
家族に支えられてそれを望んでくれている人がいる。
なにより私が生きたいと思っているからだ。

うつ病になっていろいろなものを失った。
得たものもあります、なってよかったですなんてことはない。ならない未来があったならなりたくないし、大切な人にもなってほしくない。

でも何かを得たとするならば、私は周りの人にも自分にも目を向けるようになった。きっとあのままだったら私はとことん自分を追い詰めて働いていただろう。寿命も縮まり、突然死していたかもしれない。

だからって寿命を比べることはできないわけだけど、少なくともこれからの生き方は変わったと思う。

毎日が生きやすくなった。ご飯もおいしいし、お風呂に入ってさっぱりしたり、好きな音楽を聴いたり漫画を読んだり。会いたい人に会ったり、一緒に泣いたり、怒ったり。そして笑ったり。
そのどれもが今だからできることだ。たぶん、大切な人のお葬式があったとしても今なら行ける。

月並みな言い方だけど、あたりまえなことなどひとつもないのだ。

何かの後悔をせずにすむ生き方が、選択できる気がする。

それが、うつ病と生きていくことで得た、私のしあわせだ。


いつもありがとうございます!