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「孫のたわごと」おばあちゃんが天国へ逝った話。

2022年6月某日
母方のおばあちゃんが天国へ逝った。

「死」のテーマを残すか、しばらく迷った。
今さら、「命は大事だ」なんて言える人間じゃないし、そんなことは誰だって知っているから発信されても仕方がないとわかっている。

だけど、その日から今日まで、何度も込み上がる感情は特別に感じるから、残そうと思う。

親族が亡くなったのは初めてではない

高校生の頃、父方のおじいちゃんが天国へ逝ったのが初めての「死」との直面だった。

自分のことをすごく可愛がってくれていたおじいちゃんだったことは、はっきり覚えている。
施設へお見舞いにも行ってたし、亡くなる前まで微かな声で名前を呼んでくれていたことも覚えている。

だけど葬儀で、込み上がってくるものはなかった。
「死」と直面している感覚がなかったのかもしれない。
おじいちゃんへの感謝と共に、しっかりとお別れしなかったことを、今さら恥ずかしく思う。

家族のグループLINEで突然の訃報

楽しく宴会をしていたとき、母から訃報が届いた。

すぐに、「明日大阪へ帰る」と判断はできたけれど、その宴会から飛び出して帰ろうとしなかった。
そして、楽しく飲んで解散したあと、シャワー室で泣き崩れた。

お酒は感情を高めすぎると知っているけど、こんなことは初めてだった。
さっきまで平気だったのに、どうして悲しみが溢れてくるのかわからないし、悲しくて泣いているのかもわからなかった。

実家へ帰省する移動中にも、気を抜くと涙が溢れてしまうような状態だった。

小さく痩せたおばあちゃんと再会

おばあちゃんは、施設や病院を転々としていた。
ベッド生活になってからは、会話も食事もままらなかったけれど、母は常に会いに行っていた。
私は、機会は多くなかったけれど会いに行っていた。
ベッドの上にいるおばあちゃんの記憶がもっとも長く感じるけれど、ほんの数年前までは一緒に焼肉やうなぎ、ケーキを食べていたな。

ビールも好きで、おばあちゃんと母の遺伝は私がしっかり引き継いでいる。

そんなおばあちゃんは、棺の中では小さく痩せていた。

葬儀で初めて「死」を実感した

葬儀までは、ふつうに過ごしていた。呑気すぎてバチが当たりそうなほど。

棺の中にいるおばあちゃんと再会しても、悲しくなかった。
美しさを残したまま亡くなった人を見つめるのは、思ったよりも冷静だった。

だけど、少人数ながらに親戚が集まり、葬儀が始まると「おばあちゃんが死んだ」ということだけが全身に巡った。
おばあちゃんに時間も費やしていなかったし、出来ることでさえしてあげてこなかったのに、都合がよすぎるのだけど。

悲しい、悔しい、感謝が溢れている、どの感情がぴったりと合うのか説明ができなくて恥ずかしい。
我慢できないほど溢れてくるものの正体がなにか、いい大人になってもわからなかった。

結局、ストッパーがぶち壊れたまま泣いては止んで、おばあちゃんとお別れした。

私含めて、うちの家族は変。でも。

お別れをした後、数日実家に残った。
なんてバチ当たりな家族なんだ、って他人なら思っちゃうかもしれないけど、うちの家族はこうしたイベントが発生しても笑い話をして過ごす。
良くも悪くも、仕来りみたいなものがない。

そんな家族が好きで。

「死」に無関心になろうと思えば、いくらでもなれる。
母がどれだけ大きな愛でおばあちゃんをお見送りしたのか、知っている。
だからこそ、たくさん笑って、美味しいものを食べて過ごすんだと実感した。

日常に戻ってから今日まで

「家族に会いたいな」と考えていた頃、しばらく実家で休憩ができた。
「人を大切にすること」が疎かになっていた頃、死と直面した。
「時間は有限」であることを、教えてくれた。

おばあちゃんはすごいなと思う。

当たり前なのだけど、家族は誰か一人でも欠けていたら、違う人だったら、今の自分はいない。

もう会えないことを悔やんでいるのか、それとも別の感情なのか今でもわからない。
29歳になった今でもわからないままで恥ずかしい。
わからないけれど、おばあちゃんは私に「この感情」を教えてくれた。


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