苦しさと温かさ。
こんにちは。こんばんは。
お久しぶりの投稿でございます。
書きたいなと思いながらなかなか筆が動かないという感じでした。
書きたいテーマは山積みほどたくさんあるんですけどね。
でもそんな中でも
あ。今だ。書きたい。書かなきゃ。
とふと思うのですよね。
そんな今日、涙が溢れた瞬間にあ。今note書きたいと。
途中までパソコンで書いてたけど今は布団に横になりながら携帯で打っている。
そんな夜もあってもいい。
涙が流れる理由
気づいたら泣いている
気づいたら涙溢れている
ついさっきもソファーに横になりながら楽しいYouTubeを見ていた
楽しいYouTube見て笑ってるのに、泣いてる
涙が溢れ落ちてくる
そんな日が毎日毎日続いていた。
理由がわからなかった
なんで涙が溢れ落ちるのか
なんで私は今泣いているのか
でもそんな理由が今日なんとなくわかった。
私は常に感情の蓋を閉じています
特に「辛い」「苦しい」「悲しい」
そういった感情には蓋をして開けないようにしてます
それは意識的に…
他人からその感情の蓋を開けられそうになると感情や気持ちや言葉よりも涙が先に出てきちゃいます。
涙でその開けられそうになった私の感情の蓋を閉じようとしているのかもしれません。
なぜ私は毎日泣いているのだろうか
それは「愛」に直接触れた時と「幸せ」を感じた時なのかもしれないと今日思いました。
愛に触れれば触れるほど
幸せを感じれば感じるほど
泣いていたなと振り返るとそんな気がしています。
でもその涙は「苦しい」という涙と「温かい」という涙の2つがあるということもなんとなくわかってきました。
苦しいけどすごく温かい
温かいけどすごく苦しい
この2つの感情が入り混じってて同時にくる感覚
それが涙で私の身体に出てきているんだと。
振り返るとセックスを終える度に涙流していたなと。
セックスが終わり相手が寝て、その横でいつも涙を流していた。
その涙も苦しさと温かさからくる涙だった。
セックスは普段よりも愛に直接的に触れて、幸せというものをすごく感じるからこそ。
今のパートナーとは特にそれが強くでてて
身体を重ねていくごとに、ものすごい温かなもので包まれてて、誰かと身体を重ねるってこんなにも神秘的なのか…という事を感じていました。
話が少しそれてしまったけれど、私が涙を流すのはこのような時なんだと。
じゃなぜ、そんなにも愛に触れたり幸せを感じたりすると泣いてしまうのだろうか?というところまで向き合っていってみようかなと思います。
もうすでに苦しいから、この先書くことも苦しい作業になるかなと思ってはいるけど、なんだか向き合わなきゃいけないタイミングな気がするので向き合っていきますね。
幸せが苦しい
涙が溢れ落ちる理由
泣いてしまう理由
が少しずつ見えてきたところで、一つずつ掘り下げていってみようかなと思います。
「幸せ」
幸せって幸せな気持ちになることで、世間一般的にもすごくポジティブな言葉ですよね。
でもその「幸せ」が「苦しみ」に変換されちゃう時があるんです。
なんで幸せが苦しいの?って思う方もいれば
たしかに…幸せって時には苦しいですよねと思う方もおられるでしょう。
人から見られる幸せというものと
自分の内側から見る幸せは
わりと違ってくるのかなと思います
今回は自分の内側から見る幸せに焦点をおいて書いていこうと思います。
私は幸せというものが続くと怖さがでてきます。
それはどんな怖さというと
この幸せがいつまで続くのかという恐怖と
幸せになってはいけない自分がいると思い込んでしまっているところからくる恐怖です
両方とも過去の経験や育ってきた環境が大きく影響しているのですが、幸せには終わりがやって来ると思ってしまっていて、「幸せ」を感じていけば感じていくはど、あと何回かな。もうすぐこの幸せが終わってしまうのかな。というとてつもない恐怖や不安を感じ、ものすごく苦しくなってしまうのです。
そして、私は幸せになんかなってはいけない人間だ。と思ってしまっていたり、刷り込まれていたりする中で、そんな思いを抱えながらでも「幸せ」を感じてしまっている自分に苦しくなってしまってます。
そこから抜け出さなきゃいけないというのもわかってはいます。
ただ幸せだからこその苦しさが常にあって。
幸せが苦しいって思うのです。
幸せになってもいいし
幸せが終わるって思わなくてもいいし
頭ではわかってはいてもなかなか、この過去の経験と育ってきた環境と染み付いた思考からはなかなか離れられないのが現状です。
愛と向き合ってきた2年間
私には今、付き合って2年が過ぎた同姓のパートナーがいます。
私はこれまで男性とのお付き合いを何人かとしておりました。
同性の方とお付き合いしているのは、今のパートナーがはじめてです。
今までお付き合いしてきた男性から「愛」というものをもらってきたとことがなかったし、私も「愛」というものを与えてこなかったと思います。
そして親からの「愛」もまたもらってはこないで今まで過ごしてきました。
「愛」というものに真剣に向き合ってこなかったし、目を背けてきてたところもありました。
「幸せ」と同じで「苦しいもの」だと思っていました。
ですがこの「愛」というものに真正面から向き合って、与えて受け取ってきました。
それが今のパートナーです。
愛がなんなのかわからなかった2人
わからないなりにこの2年間、ほんとに「愛」というものに向き合ってきました。
愛される
愛する
簡単なようでものすごく難しい
でも彼女は私に
愛することの素晴らしいさ
愛されることの大切さ
にたくさん気付かさしてくれました。
でもその愛も向き合っていけばいくほど怖くて苦しくて。
愛に触れれば触れるほど
胸がギュッと苦しくて
涙が溢れ落ちる
真っ直ぐな愛であればあるほどに
愛を捧ぐ時にも涙が溢れでて
愛を受け取る時にも涙が溢れ出て
素直に真っ直ぐ受け取り
ちゃんと渡したい
って思っていても
その愛が苦しくて
時には受け取るのを拒んだり、素直に受け取らなかったり、真っ直ぐ渡せなかったり。
そんな繰り返しの2年間でした。
でも今はもう素直に愛を受け取ることができるし
まっすぐ愛を渡せることができるようにはなりました。
だけどやっぱりどうしても愛に触れると涙が勝手に無意識に溢れ落ちています。
けどそれも「苦しさ」だけではないからです。
苦しさの他にも「温かさ」というものがあって…。
苦しいのに温かい
ここまでずっと「苦しさ」に焦点を当てて書いてきたけれど、苦しさの中にというか苦しさと入り混ざっている感情がもう一つあって。
それが
「温かさ」
苦しいのにすごく温かいし
温かのにすごく苦しい
こんな感じで私の中には常に入り混じった感情があります。
この「温かさ」に感じた時も私は涙を流しています。
自然に涙が溢れ落ちています。
この気持ちを文字にするのがすごくすごく難しいのですが、なんというかものすごい温かい柔らかい包み込んでくれるベールに包まれているという感覚でしょうか。
そしてここまで書いてきた
愛に直接的に触れた時
幸せを感じた時に
すごく「苦しみ」と同時にこの「温かさ」を感じます。
受け取る愛、与える愛が深ければ深いほど
幸せと感じる気持ちが強ければ強いほど
温かさを感じます。
だからこそ大好きな大切な今のパートナーと身体を重ねた時には強く感じます。
パートナーから大事にされていると感じた瞬間もこのような感じになります。
苦しいのに温かいのです。
でも温かさを感じるから苦しいのかもしれないし
苦しみを感じるから温かさを感じるのかもしれないし
そこはちょっとまだ付き合いきれていないのと深掘りができていないです。
でも少なくとも両方の気持ちが一気にくることで、涙に変わり、涙を流すことで調和が取れているのかもしれません。
苦しいけど、温かい…
温かいけど、苦しい…
ずっとぼんやりとは頭の中で出てたけど
それ=涙を流している理由とまではわからなかったです。
無意識、潜在意識の存在なのかなと。
苦しかったら苦しいって言おうと思ったのと
今すごく温かい気持ちなんだ
「ありがとう」ってこれからは伝えてみることにしようかなと思ってます。
そしたらまた何か違った気づきも見えてくるだろうし、パートナーにより一層感謝していけるだろうし、そして、今のこの環境が当たり前ではないことを意識していけるかなと。
当たり前じゃない存在
ここまでいろいろ書いてきて
書きながらいろいろと見えてきた部分もありました。
今回ふと、泣いている自分を客観視して冷静に見れたことから、ここまでいろいろと向き合って深ぼっていくことができました。
今大事な人がいていて
とっても大好きな人がいていて
そしてお付き合いができていて
「おはよう」「おやすみ」「お疲れ様」って毎日言える人がいてて
なにかあったらすぐにハッピーなことでも、悲しいことでも言える人がいてて
本当にこの環境は当たり前じゃないなと思っています。
日々を過ごしていると、どこかいつもその気持ちを忘れてしまって自分本位で行動してしまうから。
一緒にたくさんいろんなことを向き合ってくれてありがとう。
たくさん愛も幸せを捧げてくれてありがとう。
「愛」というものを私に教えてくれて
「幸せ」というものを見せてくれて
まだこれからもたくさん向き合い続けていくけど、私の中の「愛」と「幸せ」からの「苦しみ」と「温かさ」のお話でした。
共感する方ももしかしたらいてるかも?と思いながら書いておりました。
またこのnoteが誰かのもとに、必要な時に必要なタイミングで届くといいな…と。
2022.12.05
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