さとしとさ

地方(愛知県)で商業映像の企画構成演出をやってます。技術や感性の加速にしがみつきながら…

さとしとさ

地方(愛知県)で商業映像の企画構成演出をやってます。技術や感性の加速にしがみつきながらもこの先どうなっちゃうんだろうと不安ばかり。で、思うんです。あの時は正しいと思ってやったことも時が経つとあれ?と。しょうがない。人間は変化する生き物だから。「その時」を記録していきます

マガジン

  • 控えめな自己主張日記

    今日もまた、あんなことこんなことが気になって。あんまり深くは考えずさらっとひと息ついてます。妄想半分の控えめ自己主張日記。文章トレーニング兼ねてます。

  • 本と映画と、すてきないくつか

    今日も心をとらえて離さない本と映画と、それからいくつかのステキなものたち

最近の記事

4月14日 地球の悲鳴を聞きながら辞書を引いたら驚いた

家電製品がなぜか同じ時期に壊れはじめるように、世界中の地面が悲鳴を上げている。 ニューヨークでも過去140年で最大規模の地震があったとか言うし。まじでちょっとこわい。 どんだけ頻繁に地震が続いているんだと、防犯アプリの地震履歴を覗いてみると、最近どころか、毎日毎時間毎分どこかで小さく地面が揺れ続いていた。 地球は小刻みに生きている。空白なんてものはないんだ。 ふと思って、いつも使っているブラウザの履歴を開いてみたら、同じように毎分さまざまなサイトを彷徨っている自分の落ち

    • 桜星人に乗っ取られてピンクに染まる

      桜ってどうしてピンク色してるかわかる? そりゃあ、あれだけたくさんの人に見つめられ、Amazing、Beautifulとつぶやかれ、パチパチシャッキッとシャッターを押されて一斉に注目されたら、血管が花びらに集中して、ピンク色に染まるわな。 と言ったのは、坂口安吾だか梶井基次郎だか。(ウソ) 桜さくらサクラSAKURA テレビを点ければ日本中の桜の森の満開の下で誰も彼もがはしゃいでいる。 花見という宴から遠く離れては早ン十年。まだまだ夜は寒いのに元気だなみんな。トイレが近

      • 「居る?」「要る?」どっち?

        ずっと前の、(たしか)ほぼ日の「言いまつがい」で見かけた投稿だけど、数年経ってもいまだしっかりと記憶に残っている。良かった。まだボケてない。 この投稿をはじめて読んだとき笑ってしまったけど、よくよく考えてみると、かなり深く、この家庭の状況を深み読みしたくもなってしまいます。 父は本当にボケていて、この家庭における「ボケ」とはボケている父、のことだという暗黙の共通認識なのか。 それとも母は、いわゆる漫才でいう「ボケ」のつもりで父と電話を変わったのか。 「居る?」なのか「要る

        • 想像もできない<現実>と向き合えるのか〜「正欲」

          この映画の彼女は、もうガッキーなんかじゃない。女優・新垣結衣なのだ。 ラスト数分の、稲垣吾郎と対峙する彼女の眼差しは、諦めと失望と自棄と、そして孤抱だけが残った無気力さで、凄まじかった。 多様性という言葉は、現実の範囲をぐんと広げていく。 広がった現実も受け入れますよ、と扉を開ける。 でも、それはあくまでも、想像の範囲の現実。 この物語にあるように、想像もできない<現実>がぽんと目の前に現れてしまったとき、それも多様性のひとつとして広い心で受け入れられるか、というと、自信

        4月14日 地球の悲鳴を聞きながら辞書を引いたら驚いた

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        記事

          三月十日の記憶

          スマホ、つまりはiPhone、をはじめて手にしたのはいつだったのか。 そんなの記録を見ればすぐにわかるけれど、今日は記録じゃなく記憶にぶらさがります。 いつからか、はまったく覚えていない。でも、あのとき確実に持っていなかったことは覚えている。 あのとき。 なにが、なにが起きてるの、と震えながら覗き込んでいたのは、ガラケーの画質の荒いワンセグ画面だったから。そんな自分自身の行動はしっかりと覚えている。 2011年3月11日。 そこはオフライン専用の編集室の小さなスペー

          三月十日の記憶

          お調子者に支配されている世界で生きていくしかないのか

          いつだったか誰だったかのFacebookのタイムライン上に、生牡蠣の写真と「生牡蠣うめぇ〜」てな記事があがっていました。 思わず舌なめずりをしてしまうそのシズルに誘われコメント欄をクリックしてみたら、こんなコメントがありました。 「わたしは◯◯勤務なので生牡蠣禁止令が会社からでていまーす」 (◯◯はいわゆるサービス業を当てはめていただければいいです) なるほど。禁じられた美食なるものが大人にはあるんだ。 就活生は給料や休日や働き方ばかりに気を取られていると、「聞いてな

          お調子者に支配されている世界で生きていくしかないのか

          「もう学ぶことはない」はない!

          アングルを決めるときのフレームをつくる指の形に時代と世代を突きつけられてしまう今日このごろ、映像業界のみなさまいかがお過ごしでしょうか。 こういう時こそ、「もう学ぶことはない」という経験による慢心を断舎離して、今一度基本に立ち返り、知ってるつもりを疑うと、新たな発見がいくつもあって、よし!とさらに先へと進んでいける。

          「もう学ぶことはない」はない!

          蜜柑を巡る、「ない」ことと「ある」ことの物語をふたつほど

          みかん…ミカン…蜜柑。 蜜柑がおいしい季節です。 そんな蜜柑がもっと美味しくなる(かもしれない)お話をふたつ。  村上春樹の短編「納屋を焼く」に パントマイムを習っている女の子が出てきます。  男性の前で延々と<蜜柑むき>の パントマイムを繰り返します。  「納屋を焼く」を映画化した映画「バーニング」(監督:イ・チャンドン)にも <蜜柑むき>のシーンがあり、 ヒロインのチョン・ジョンソが 蜜柑むきのパントマイムを見せてくれています。  文章ではするっと流れてしまう蜜柑

          蜜柑を巡る、「ない」ことと「ある」ことの物語をふたつほど

          キャッシュレスで手首をひねる私って…

          あれ?最後に現金を使って支払いしたのっていつだっけ?と、記憶をたどってしまうほど、最近の買い物はほとんどがキャッシュレスです。 いちおう自分なりの基準があって、二千円以上になるとクレジットカード、それ以下は、paypayメインの、ときどきmanaca(愛知県の交通系ICカード)の日々となっています。 で、paypayのスマホ決済なんですが、この前あらためて気づいてしまったのです。 ああ、今までなんてことをしていたんだと。 こんなことわざわざする必要なかったじゃないかと。

          キャッシュレスで手首をひねる私って…

          味方の敵は敵で、敵の敵は味方で、敵の味方は敵となるとき、ここはどこ?となる

          マキタスポーツ&プチ鹿島&サンキュータツオのおっさん3人がどーでもいい(けれど、案外深い)話をする東京ポッド許可局というラジオ番組があります。 いつだったかの放送で、マキタスポーツさんが叫んでいました。 「マイナスとマイナスをかけるとどうしてプラスになるんだ?!教えてくれー!」 そう!そうなのだ! 数字との濃厚接触を10代半ばにして早々と諦めてしまった身としては、この叫び、激しく同意します。 番組では、マイナス✕マイナス=プラスを理解するための<たとえ>を、いくつか取

          味方の敵は敵で、敵の敵は味方で、敵の味方は敵となるとき、ここはどこ?となる

          サンタクロースはトイレにいた

          11月下旬なみの気温ですという天気予報に誘い出されたのか、トイレの中に2月がいた。 便座に腰を下ろし、足元をみると、見覚えのある豆が目に入った。 節分のときにまいた、炒った大豆がひと粒、転がっていた。 なんで、突然、10ヶ月を経て、いま突然顔を出す? これまでお前はどこに隠れていたんだ。 ブラックホールはそこらじゅうにある。 洗濯機の後ろから、歯ブラシや水中メガネが出てくることがある、と「大ピンチずかん」にも載っていた。 こうしたブラックホールに気づくのが12月だと、

          サンタクロースはトイレにいた

          その場でしか「観られない劇」とその場にいたら「観られない劇」が同時に存在したらあとはもう、想像しかない

          気にはなっていたけれどこれまで足を運んだことがなかった、覚王山の揚輝荘。(名古屋) 園内にある建物のひとつ、聴松閣(松を聴く!)を舞台とした演劇を見てきました。 1階(喫茶室)か地下(旧舞踏場)の、どちらで観るかを選ぶと、物語が終わるまでその場を動けません。 てことは、 その場でしか「観られない劇」があって、 同時に、 その場にいたら「観られない劇」も存在する。 そんな、ふたつの「られない」にくすぐられながら、欠けた物語の隙間を空想のパズルで埋めていく。 それだって、観

          その場でしか「観られない劇」とその場にいたら「観られない劇」が同時に存在したらあとはもう、想像しかない

          声に出して読めない、オジサンたち戦慄のネーミング

          クドカン(宮藤官九郎)さんのエッセイ(の一部)にこんなのがあります。 そこは番組の企画会議。 中心メンバーである4,50代のオジサンたちが、若い頃に接したアニメやヒーローの名を次々とあげていきます。それらをホワイトボードに書き出していく役目を担っているのは、20代のAD。 ところが、ADは、耳で聞いたそれらを正確に書くことができません。 例えば 「ちばてつや」を「千葉てつや」 「あしたのジョー」を「明日のジョー」 「ブルース・リー」を「ブルー・スリー」 それを見て、

          声に出して読めない、オジサンたち戦慄のネーミング

          「ドキュメント72時間」が好きな人におすすめチョン・セラン「フィフティ・ピープル」

          NHKの「ドキュメント72時間」が好きで欠かさず見ています。 たまたま同じ場所の、たまたまの3日間の、たまたまの人たち。 登場する誰もがみな輝いているわけではなく、つらい状況にいたり、何かが終わろうとしていたり、始まろうとしていたりと様々で、そんななかでもしっかりと自分のコトバで想いを語っているのが、ステキです。 この番組を見ていると、小さな自分の物語のなかでは誰もが主人公、そんな感じがします。 「ドキュメント72時間」が好きな人におすすめしたい一冊が、チョン・セラン「

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          どうせ世界が終わるなら<それ>を楽しみにすればいい。「太宰かよ!」と思わず叫んでしまった「終わらない週末」

          宇宙人の襲来? 惑星の衝突? 核戦争の予感? 大規模自然災害? はたまた悪の集団の暗躍? これまで世界はなんど終末を迎えてきたんだろう。 いえ、はい、映画の話です。 世界の終わりを描いた映画をたくさん観てきたけれど、その結末に納得や感動や希望をもらったことがありません。 どの映画も、強引だな、無理やりだなと、受信ボックスを埋め尽くす迷惑メールの集団のようでまとめてくしゃっと削除したくなってしまいます。 そんななか出会ってしまいました。 とても心地よい、世界の終わりを描

          どうせ世界が終わるなら<それ>を楽しみにすればいい。「太宰かよ!」と思わず叫んでしまった「終わらない週末」

          通帳記入のジィージィー音にほくそ笑む連中をダン・シャーリー

          日曜の朝(12月10日)、テレビ見てたら頭がくらくらしてきました。 10年で1000億。 あなたには1000億の価値がありますと評価される感覚を味わってみたいもんです。 ま、いきなり1000億!となったわけじゃなく、 少しずつ結果を出してきて1000億に向けて 大人の階段のぼってきたんでしょうが、 階段の一段目と二段目を行ったり来たりしている身としては 冬の夜見上げるペテルギウスの輝きに 640年前を想像するのと同じぐらい遥か彼方の物語です。 それにしても1000億を通

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