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4月14日 地球の悲鳴を聞きながら辞書を引いたら驚いた

家電製品がなぜか同じ時期に壊れはじめるように、世界中の地面が悲鳴を上げている。
ニューヨークでも過去140年で最大規模の地震があったとか言うし。まじでちょっとこわい。

どんだけ頻繁に地震が続いているんだと、防犯アプリの地震履歴を覗いてみると、最近どころか、毎日毎時間毎分どこかで小さく地面が揺れ続いていた。

4月14日

地球は小刻みに生きている。空白なんてものはないんだ。

ふと思って、いつも使っているブラウザの履歴を開いてみたら、同じように毎分さまざまなサイトを彷徨っている自分の落ち着きの無さがそこにあった。
小刻みな興味の分散が可視化されて、こちらもちょっとこわい。


いつか来るであろう地震。その時どこでなにをしているのか、を時々考える。


今年の1月1日の能登半島地震のときは、トイレにいた。いつものように便座に腰を落とし本を読んでいたら、足ともに置いたスマホが唸りだした。音を楽しむと書いて音楽というけれど、その音は世界中の歯医者さんが蜂起して歯を削り出したような勢いで、むき出しの下半身の無防備を攻めてくる。

今、ここで、来るのか。

四方を壁と柱で囲まれた狭い空間は強かった。ふわふわと目眩のような感覚は多少あったけれど、揺れ、は感じなかった。


リビングへ出ると、でも、シャンデリアライトが揺れていた。
1月1日、新しい年の始まりも、そんなものは地球には関係ない。人類が勝手に決めた区切りだからといって容赦はしない。


逃げて逃げて!

テレビではNHKのアナウンサーが叫んでいた。

数秒ごとに繰り返す必死の声は、いつか来るであろうに備え、訓練を重ねたまさにプロの叫び、という感じだった。
真剣で、必死で、誰かを思っての訴えは、もうそれだけで事態の重大さを表していた。
震源地から遠く離れた愛知県でも、その緊急性は充分に伝わってくる。


あとで知ったのだけど、2023年までの10年間で震度5弱以上が0回だったのは、富山、岐阜、静岡、愛知、三重、香川の6県だったが、今回の地震で、静岡、愛知、三重、香川の4県となったらしい。その4県のひとつ、愛知県に住んでいて、たしかに大きな地震は体験していないな、と思い出す。
でもそんな空白もいつまでかは、わからない。


いつか来るであろう地震。
その時どこで何をしているのか。


4月3日の台湾の地震では、発生から4時間後に温水シャワー、トイレ完備でプライバシーが確保された避難所が設置されたといいます。
台湾すごい、と称えられますが、ひょっとしたら台湾がすごいんじゃなく、日本があまりにもひどい、のかもしれません。

規模や避難所を必要とする人数など条件は異なるかもしれませんが、その時どこで何をしているか、に加え、その時への備えが充分である場で暮らしているかもどうかも(つまり行政や政府やその他団体の対応)安心を得られるか、の大きな要素のような気もします。


再び地震履歴を見て、もう空白なんてない、を改めて思う。

地球は過去何度も揺れてズレて呼吸をしてきたから、温泉があり、絶景があり、高低差があり、山や湖や半島がある。
ブラタモリなんか見てると、とんでもない時間のほんの小さな隙間の片隅で、かろうじて生きているんだなと思い、頭がくらくらしてくる。


最近はドラマ版「舟を編む」(傑作!)の影響で、たびたび辞書を開くようになってしまった。
「空白」を引いてみました。

大辞林より

①紙面のなにも書いてないところに次ぐ②の語釈は実質的な内容のないこと。
とあります。

空白を拡大解釈すると、なにも争い事のない空白の期間、つまり「平和」でもあるわけです。
セレンディピティあふれる辞書のおもしろさはここからはじまります。


「空白」のすぐ左隣にあったのは、なんと「空爆」。

平和と空爆は隣り合わせなんですね。


で、「空白」の右隣は?と見ると、「クーバード」なる言葉があります。
クーバード?なんだそれ?

語釈には、
妻の出産時、夫が禁忌を妻とともに守ったり、分娩の苦しさを象徴的に演じたりすること。中南米などでみられる。擬娩。
とあった。


擬娩(ぎべん)とは、つまり、男性が妊婦の分娩を真似たり、出産の苦しみを妊婦とともに共有すること。らしいです。

そんな風習があるんだ。
なんのために?

出産という痛みや苦しみを一生体験しない男たちよ、想像力を働かせ、女性たちを称え、敬え、ということなのか。

最近の地震の多さは、この地域は地震がないから、という慢心や思い込みを許さない。

擬娩のように、想像せよ、ということか。


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