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熱狂の『THE FIRST SLAM DUNK』(原作・脚本・監督井上雄彦)を観た。26年間の空白を経て、そこに現れたのは、たった今のスラムダンクだったー

『スラムダンク』は、週刊少年ジャンプで1990年に始まり1996年に終わる高校バスケット部を描いたマンガだ。当時は「バスケット物は売れない」とされていたが、空前の大ヒットとなる。

連載開始時、作者井上雄彦は、未だ無名の新人マンガ家であった。1988年、ジャンプの新人登竜門、手塚賞に入選。1989年に刊行された初の単行本は原作つきで別ペンネーム「成合雄彦」となっている。
絵柄も当時人気のあった江口寿史や上條淳士の影響が見られる。

そして1990年「高校生の頃からなんとなく思い描いていたスラムダンクを開始」(『INOUE TAKEHIKO ILLUSTRATIONS』1997刊 後書きより)

(関係ない話ですが、当時は、全然知らなくて、たまたま9巻目まで持っていた友達に貸してもらって一気読みし、1週間で9回読み返して、自分で買い直した。以降、毎週ジャンプは欠かさず読み、単行本も買い続けた。あまりにも好きになって、もっともっと読みたいと欲望が募り、ついに禁断の同人誌にまで手を出させた。魔性のマンガである。
連載終了時の96年は、自分自身、ガロのマンガ評論新人賞に3年連続応募でやっとのこと「佳作」をもらった時でもあった。マンガにどっぷり頭の先からつま先まで浸かっていた頃。『スラムダンク』は、共にあったのだった)

 週刊少年ジャンプでは、周知の通り、連載継続は、アンケートの結果で決まる。短い物は3回で打ち切りになるのもあった。逆に、すでに物語は完結しているにも関わらず、人気があるからと無理やり継続させられている(としか思えない)作品もあった。どれとは言わんけど。

『スラムダンク』も、派手な見てくれの桜木花道とクールな水戸洋平その仲間たち、いわゆる「不良マンガ」の体裁でスタートする。いかにバスケットに繋げるか、どう説得性を持たせるか、模索が見える。

決定的な読者の支持を得たのは、7巻目「バスケ部最後の日」から9巻目の「問題児軍団」に至る、三井寿を軸とした「不良少年たちの再生物語」に寄る。意図的なのか週刊連載の偶発性に頼った展開だったのかは、ただの読者には知る由もないが、湘北高校バスケット部の面々、全てのキャラクターを「そこに居る人たち」として、受け止め、バスケットというスポーツを見つめる心を抱く瞬間が、確かに生まれていた。

「先生、バスケがしたいです…」

三井寿の涙が、30年たった今でも、何度読んでも、同じように、もらい泣きさせるように。

連載7年、31巻で『スラムダンク』は終わる。バスケブームを巻き起こした最中での最終回、ジャンプ誌面には「第一部完」と書いてあったが、わたしは信じなかった。物語は、しっかりと完結している。続ける必然性が、作者にあるとは到底思えなかったからだ。

 『スラムダンク』は、桜木花道という独りよがりで無知な16歳の少年が、バスケットに出会い、「自分の出来ること」を見つけ、周囲の人々と触れ合いながら、だんだんと成長していくー入学式から夏のインターハイまでのたったの半年間ーを描いた物語だが、それは花道が「バスケットマン」へと開花し目覚めていく過程であると同時に、井上雄彦自身がマンガ家、あるいは「表現者」の自覚に目覚めていく過程でもあったのではなかったか。

 1巻目から5巻目くらいまでは、未だ安定しない絵柄と描線、どこへ向かうべきか描きながら考えている。9巻目から目に見えて絵が変わり、表現技術の向上とともに、あらかじめ筋が「見えている」感覚が伝わってくる。陵南高校仙道と花道の対決にいたる21巻目は、『スラダン』二つ目のピークで、「バスケットの試合を描く」そのものが<物語>として生き生きと目覚め動くようになって行き、怒涛のラスト、山王戦へと向かっていく…。
 『スラムダンク』には、そのような(奇跡的な)必然性のようなものが備わっている、稀有なマンガ作品なのである。「第一部完結」と謳われながら、第二部は描かれないことを含めて。

 花道が「バスケットマン」の自覚に目覚めてどこへ行くのか、花道にしかわからないように。マンガ家としての自覚に目覚めた井上雄彦には、「延々と同じように試合が続くバスケットマンガ」を描き続けることはできなかったのでは、ないだろうか。

23歳の新人は、30歳の超人気マンガ家となり、少年ジャンプから去っていった。以来、青年誌で『バガボンド』『リアル』の二大作を継続させながら、26年の時を経て、井上雄彦は、『スラムダンク』を再び、世に送り出すことになる。

 2022年12月3日、土曜日の映画館で、封切られた。
『THE FIRST SIAM DUNK』原作・脚本・監督/井上雄彦 
かつて放映されたテレビアニメのシリーズに、満足はしていなかったと伝えられていた作者本人が、紆余曲折を経て、直接関わり、ついに完成したアニメーション映画は。
 
 多くの『スラダン』ファンの予想を空振りさせただろう。映画の主人公と主題は「桜木花道のその後」ではなく、宮城リョータだった。31巻の本編中には描かれなかったリョータの過去と本編最大の山場である「山王戦」をクロスさせる。(これ以上はネタバレに過ぎるので公開が終わってから、まだ書きたいことがありますので)

最新のアニメ技術も井上のマンガ表現への執念もさることながら、わたしは、やっぱり驚いた。この『スラムダンク』に関しては「空白の26年間」であるはずの時間を、空白ではなくする作用に。
井上がマンガ家として、一人の人間として、生きてきた時間と空間、成してきた仕事、多くの経験によって蓄積されたであろう「意識」が、「花道たちの生きる世界」とはっきりと結びつけられている。そして、それは、スクリーンの前に座っている、一人一人のわたしたちにも、ちゃんと繋がっているのだ…。

ノスタルジーでも過去の人気マンガやアニメの再生でもない。
全く新しい、今ここにある『スラムダンク』をこそ、井上雄彦は、表現したかったーいや表現しなければ、26年前に終えたはずの別れを反故にする意味など、どこにもない。

だからこそ、この映画のタイトルは
THE FIRST SLAM DUNK  なのだと。

生き生きと
ひたすらに生き生きと
バスケットをする彼らを見て
胸がドキドキ波うち、
涙が溢れて止まらなかった。

「生きている」
アニメーションの語源は、魂や生命を意味するラテン語アニマという。 そこから派生したのが「生命を吹き込む」という英動詞アニメート。<ウイキペディア> に書いてあったが、はるか昔、中学生の頃に読んだ手塚治虫先生の本にもそう書いてあったと記憶している。

スクリーンの上の、ただの光と影に過ぎないものに。
わたしは、確かに、吹き込まれた 生命を見る。

その輝きを見て
自分自身が、60歳の今日まで生きていて、良かったーと思った。
本当に、心から、思ったのだった。


(文中敬称略)





 
 


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